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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2021年12月の記事一覧

孤独感、絶望感、欠乏感、疎外感、虚無感、みじめさ、、、というものを感じるとき

孤独感、絶望感、欠乏感、疎外感、虚無感、みじめさ、、、というものを感じるとき

私たちの機能(はたらき)とは?孤独感、絶望感、欠乏感、疎外感、虚無感、みじめさ、、、

そういったものを感じるとき、

その感覚こそが「神から分離した」その瞬間の経験をしているのだと言うことができます。

つまり、原初の瞬間を私たちはこの時間の中で何度もただ再演しているだけにしかすぎないということです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、そのことについて次のように述べています。

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そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの

そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの


「ここ」が自分の居る場所私たちは何のためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、もちろん、「神のもとに帰る」「わが家に帰る」ことが目的なわけです。

そんな私たちが知っておくべきことは、ここではないどこかにわが家(天国/神の国)があるのではないということです。

本当は、ここがわが家(天国/神の国)なのです。

もちろん、この世界(宇宙空間/時空間)は幻想(

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過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない「いまここ」とは?

過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない「いまここ」とは?

本当の安全はどこにあるのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちは、表層意識においてはこの世界の夢から目覚めて自由になりたいと思ってコースを学んでいるわけです。

ですが、コースが教えていることを理解するようになると、私たちの無意識ではまったくその真逆を望んでいるということが明らかになっていきます。

つまり、その学びが深まっていくにつれて、この世界の夢から目覚めることよりも、

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時間の中にいる私たちにとっては、目覚めに至るまでのプロセスがある

時間の中にいる私たちにとっては、目覚めに至るまでのプロセスがある

一瞬にして目覚めるわけではないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいる私たちがしていく実践とは、「聖霊と共に見る」「聖霊を教師とする」ということだといえます。

それというのも、私たちはすでに自我を教師としてしまっているので、まずはそのことを自覚/認識して、それを訂正していく必要があるわけです。

私たちは「聖霊と共に見る」「聖霊を教師とする」という訓練を通して、聖霊の視点(ヴィジョ

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幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない

幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない


自我の策略は、直視させないことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が他のスピリチュアリティと比べてちがう大きな特徴は、その実践におけるフォーカスしていく方向がまさにまったく真逆なところだといえましょう。

つまり、コースの実践は、真理ではなく幻想のほうに、光のほうではなく闇のほうに、愛ではなく自我のほうにフォーカスしていくということです。

コースにおける実践は、愛や光といったものにフォー

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死ぬためにこの世界を生きるのか?死の夢から目覚めるためにこの世界を生きるのか?

死ぬためにこの世界を生きるのか?死の夢から目覚めるためにこの世界を生きるのか?


私たちは誰もが自殺願望を持っている私たちは、誰もが自殺願望を持っているといえます。

自覚していようがいまいが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることをまともに理解するようになるならば、そのことが明らかになっていきます。

つまり、私たちは死ぬ(体験をする)ためにこの世界にやってきているということを理解するようになるということです。

それが意味するのは、本来の私たちは神に創

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