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壮大な絵巻物の中で [西田俊英ー不死鳥]@武蔵野美術大学 美術館・図書館(11/19)
「西田俊英ー不死鳥」@武蔵野美術大学 美術館・図書館(11/19)。
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「観にいかなければ」
本展のことを知ったのは、ACKの会場だったと思う。
アートの展覧会やイベントには、たいていほかの展覧会の案内が置かれているコーナーがあって、貴重な情報源なのだけど、
フライヤーの絵の佇まいから、ただならぬものを感じた。
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観ないと後悔するだろうから「11/19までに武蔵美に行く」とだけ覚えて、それ以上の情報を入れないことにした。
本作が「完成すれば70m」にもなる日本画の超大作の、わずかな一部にすぎないことなど、もちろん想像もせずに。
玉川上水を、武蔵美まで
Googleによると、最寄り駅からは徒歩20分以上かかるとのことだったが、玉川上水沿いの遊歩道をゆっくり歩くことにした。
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入口には作家自身がいらして(数多い肩書の中に、武蔵野美術大学造形学部日本画学科教授、とある)、静かなたたずまいの方で、列をなす人々と、にこやかに対話されている姿が印象的だった。
遺すべき仕事の半ば
館内は撮影不可。このサイトに↓、出品作一覧(写真)がある。
現代日本画壇を牽引する作家のひとりである西田俊英は、湿潤な日本の風土やヨーロッパの街並みを捉えた風景画、ボルゾイ犬をモチーフとした現代的な花鳥画、インド留学が転換期となり描きはじめた人物画など 様々な題材に果敢に挑戦し続けています。確固たる技法に裏付けられた幻想的な空間表現。日本画の精神性を重んじ、崇高な物語の漂う、新しい表現を追求しています。
完成すれば縦2.05メートル、全長70メートルに達する巨大日本画《不死鳥》。人間と自然の森との共生、尽きることのない生命の循環の物語を紡ぐため、西田は2022年から1年間屋久島に移住し、日々山にわけいって 写生を繰り返しました。本展では、この前人未到ともいえる大作を核に、 西田の原点となる少年時代の作品から、インド留学を経て森羅万象を神とする日本人の心で、風景や動物、人物や花を愛情深く精緻な筆致で描いてきた作品群まで、29点を通し50年におよぶ画業の軌跡を追います。
会場には人が多かった。人の波のなかで、じっくりと鑑賞していく。
エキゾチック、非常にリアルなのに幻想的、といった一作一作は、それだけが展示されていたなら、長い時間を作品のなかで過ごすことになったであろう、深い世界があった。
ただ、「完成すれば縦2.05メートル、全長70メートルに達する巨大日本画《不死鳥》」の存在感は、大きさといい、投げかけられているメッセージといい、圧倒的だった。
まず、見上げるような高さ。そこに、緻密で壮大な世界が描かれていく。
《不死鳥》は6章からなり、本展では第3章の一部までが展示されている。第1章は生まれる生命と、飛び立つ不死鳥(下のパンフレットと、そのあとの告知用のタペストリー)。
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第2章は深い深い森と、そこに住まう妖精。
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第3章では一転して、不穏な空気が描かれる。森が伐採され、巨木が切り倒されていく。
ただ、そうした苦難の時を経て、最終的には、人類との共生という希望を示して、作品は完結するという。
作家はこの大作に挑むため、昨年から1年間屋久島に移住した。喪われていく自然を嘆き、警鐘を鳴らす「序」の言葉からも、動かずにはいられなかったという気持ちが伝わってきた。
生命の時間を何に使うか
だれもが「終わり」に向かって歩いているわけで、自分の生命の時間は今も失われ続けている。そしてそれを、どのように使おうと自由であるし、優劣もない。それはもちろんわかる。
でも、縦2.05メートル×全長70メートルに、緻密に美しく描かれる原生林と生と死の物語を目の当たりにしてしまうと、その残り時間のことを考えないではいられない。
これだけのことを伝え、遺そうとしている人がいるのだと。
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