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宇野亞喜良展 -圧倒的な作品数,溢れる才能,プロフェッショナルということ

 宇野亞喜良(うの・あきら1934-)、900点超の大型個展が開催されている。東京オペラシティの「友の会」(年パス的なもの)を取得し、すでに4回ほど訪れている。



展示作品数900点超

 会場は、いつ訪れても盛況だ。ファンのみならず、デザインやイラスト関連のプロだろうか?という雰囲気の方々もいる。作品の前で立ち止まり、じっと何かを得ようとしている人々の姿があった。

 展示構成に従って、写真で様子を追っていく。


プロローグ 名古屋時代

 1950年代の作品を観て、ただ一言「才能!」としか出てこなかった。10代のときから90歳を迎えた現在まで、走り続けてきた作家なのだと知る。


グラフィックデザイナー 宇野亞喜良

 版下、校正紙。仕事の現場がよみがえってくるような展示。

企業広告

 驚いたのは、戦後の企業広告・広報の自由さだ。

 例えば、1967年の東急百貨店の「すごろく」だ。

 内容も、なんだか攻めてる。

 広報誌も、

 カレンダー、ポスター。

 アイデア募集のポスターは、シュルレアリスム(?)風。

 パッケージ……これは今もありそう。


新聞・雑誌

 表紙、そして挿絵。


書籍

 かなりの点数があったのだけど、ごく一部を。


絵本・児童書

 宇野亞喜良の手にかかると、絵本の絵も、どこか怪しく、大人の世界を感じさせる。わたしの宇野亞喜良・原体験は『詩とメルヘン』という雑誌だったのだけど、葉祥明といった作家たちのなかで、宇野作品はどこか惹かれる、でもちょっと憚られるような魅力に満ちていた。


ポスター

 圧巻だったのが、ポスターの展示室だ。

 すべてはとても載せきれない、情報の大洪水。1作品ごとが美しく、ときに怪しく、そして時代のトレンドを感じさせたりもして、この展示室で過ごす時間はおのずと多くなる。

舞台美術

 展覧会ならではなのが、舞台美術の展示だ。


 リアルな寺山修司ドールも。

「星の王子様」。立体になっても違和感なく、そしてとても美しい。


 見惚れるようなものから、思わず飛びのきたくなるような嫌悪を感じるものまで、

 その演劇を観たことがなくても、物語の世界に自然に誘いこまれてしまう。

近作・新作

 近年は、

 俳句とコラボした作品や、

 こんなポスターも。


疲れず逆にパワーを得る、その理由は

 大回顧展的な展覧会では、疲れ切ってしまって休憩をとりながら鑑賞したり、何回も少しずつ鑑賞するのがわたしの常だ。

 しかし宇野亞喜良展は疲れを感じず、その反対にすべて鑑賞したあとにパワーを得た気がした。

 会場で上映されていた作家のインタビューを見て、ああ、と思うことがあった。

 「この展覧会を通じて何を伝えたいですか?」的な質問のあとだったと思う。作家の動きが一瞬止まって、そしてこんな意味のことを言った。

 考えているのは編集者、自分はその発注内容に従って、仕事をすると。その言葉は静かで、淡々としていた。

 発注者の求める範囲があり、その範囲内での自由さを持ってクリエイティビティを発揮し、作品を制作して納品するのがクリエイターの務めだ。

 しかしその範囲というのは、ある方向になら、うまく飛び越えていい。そこを感覚で察知して、結果、アウトプットしたものが「こう来たか!」的なものであれば、賞賛を浴びる。それができるのが、すぐれたプロだと思う。

 もちろん、理解してみろとばかりに、全作家生命をかけた作品を展示し、鑑賞者に格闘を迫る展覧会もある。作家が精神的に不安定であったりすれば、なおさらだ。その嵐に巻き込まれて当事者のひとりとなるのも、展覧会の醍醐味だろう。

 でも宇野亞喜良展は、そうした展覧会とは、毛色が違うのだ。だから鑑賞者は安心して鑑賞ができる。目の前に展開されるのがエロでもグロでも、その世界に遊びながら、日常に戻ってくることができる。すれすれのところでの予定調和。プロの手数。観終わったあとに、いい仕事を見せていただいた満足が残る。

 クリエイター・宇野亞喜良はそうやって仕事を続けてきたのだと感じた。



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