嗚呼ろみ

えへへ。 よろしくね。

嗚呼ろみ

えへへ。 よろしくね。

最近の記事

シャッターの自由

10月にカメラを購入。 とにかく上手になりたくて、11月中旬からSNSへ1日1枚の投稿を始めた。 やがて1か月が過ぎたあたりで急に、ヘタクソの羅列をしていることが恥ずかしくなった。 何が原因でどう恥ずかしいのか、どうしてヘタクソなのかを徹底的に考えてみた。 Youtubeや本で写真の勉強をしてきた。 とにかく流行りの構図でシャッターを押し、流行りの色合いで調整していた。SNSでイイね!押されたい。つまり人から褒められたい、という気持ちがが写真からあふれている。 僕の写真

    • Ordinary Day

      人間関係の心情を考えさせられる1週間だった。恋やら、生理的に受け入れがたい上司やら、意欲のない仲間やらなんやら。 自身にふりかかる内容だったら、環境を整えて生きやすくすることに手を抜くことはできないけれど、そいつの将来やら考え方やらを理解しながら尊重するのは、本当にエネルギーを消費する。もうぐったりですよ。 他人であるはずの彼や彼女たちの行く末を心配し、聞いてあげてアドバイスするのは、人によっては「おせっかい」でもあって、時には「考えすぎだよ」と切り捨てられたりもするもんだ。

      • 生きている行為とそのセンス

        「キリエのうた」から、上書きをしたくなくて映画作品をすっかり見なくなった。 気が付けばnoteも10/19以降書いていない。今日は12/5なので、一か月半くらい、綴るべく言葉がなかった気もする。 「なかなか秋にならないね」なんて言っていた時からあっという間に、街はグレーのグラデーションを含みながら、冷えた風が頬へ刺さるように移ろっていく。 さてその期間なにをしていたかというと、秋らしく読書がとても進んでいた。やたらと分厚い本も手に入れて、今はインプットを強化する期間なんだな、

        • キリエのうた

          一番好きな映画はなんですか?と聞かれたら、ずっと「スワロウテイル」と答えてきた。 1996年公開作品だから、27年間ずっとずっと。 なので岩井俊二の作品には特別な思いをもって触れてきた。今回の「キリエのうた」も、ただ休日に見る映画群のひとつという雰囲気ではなく、儀式というか通過点というか、やらなくちゃいけないことであり、ライフワークのような存在で、推し活でもあったりする。まあ、そんな感じ。 アイナ・ジ・エンドの歌声からスタートする本作は、時系列の表現が「ラブレター」のようだ

        シャッターの自由

          秋空と百科事典

          人の価値の賞味期限について書いていたら長文になってきたので、これは完成したらnoteに転載しようと思う。遠い道のりやけど。 そんな初秋の今日。 東京は抜けるような青空が、そりゃもう文字のごとく抜け過ぎていて、どこまでも遠くて深いところまで青が広がり続けている。 本日はお仕事もお休みなので、午前中から美容院へ行ってブリーチをしてきた。僕の髪も抜いたのだ。金髪ヘアは10年選手なので、抜くのはベテランだと思っている。 そんな抜けるような青空を、キレイに抜けた金髪ヘア越しにみていた

          秋空と百科事典

          恋せよ、ポジショントーク

          先日、直接の部下から「話したいことがある」と相談を受けた。 人生を失ってしまうくらい寂しくて厳しい思いを涙ながらに吐露されたのだけど、肝心かなめの大切なところは「言えないです」というよくわからない暴挙に巻き込まれとても疲弊した。 それも職場内での男女に関わる出来事なので、ことを公にできず考え得るどの解決方法もナイーヴで、結果としてただ傍観することしかできなかった。 結局のところはプライベートな事案なので、なんにもしてあげられない。肝心なところは隠されているのでアドバイスもで

          恋せよ、ポジショントーク

          パチンと

          もし僕たちが、死ぬタイミングを選択できる生き物だったら、どのような毎日を送るようになるのでしょうね。 満足のいく生き方をして、さあもういいですよここらで終わりにしましょうか、といって指を鳴らしてパチンと体が弾けて全てが切れるような。 まあきっと、いつまでも指を鳴らさずに生き続けたいという人がほとんどのような気もするけれど、どのような生の痕跡を残す「思想」や「文化」「生命のメカニズム」となるのだろうか。 10代の初期というかそんな塩梅な時の僕たちは、悲しいほどに毎日が毎日で

          インベーダーみたいな柄

          街中でよく見かける女子の、セットアップで「インベーダー柄」の服があると思うのだけど、それを見かけるたびただなんとなしに母のワードローブを思い出す。 スナックを経営していた母だったから服の量は多かったように思い出すのだけど、ぎっしり詰まったワードローブの中にぶら下がっている白黒のパターン模様を見るたびに(これなんだろう?インベーダーがつながっているように見えない?)と深くなくて浅くもない疑問を持っていたんです。それを解決せずただただインベーダーの模様と呼んでいて、どこかしらでそ

          インベーダーみたいな柄

          本当と本質はどこに宿る②

          さて、自分のやりたいことは【自分で考えることができないもの】なのだろうか。 自分の欲求は【webやカタログの中にしか存在していない】のだろうか。 そうだとしたら、【生産者が意図した売りたいもの】を消費させられているだけではないだろうか。 僕たちは自由に選択しているように見えて、美徳も価値観もある程度狭められた世界(生産された世界)の中からしか得ることができないのではないだろうか?と思えてくる。 さてまず僕が欲しかったものは、余暇で【消費するもの】であるということを前提として

          本当と本質はどこに宿る②

          本当と本質はどこに宿る①

          仕事が一段落したので、5日間の遅い夏休みをとることにした。 だがしかし、5日間でできる「行ってみたいところ」や「やりたいこと」が思い浮かばない。 南米に行きたいな、とはずっと思っていたけど3週間後の休みなので、いまからパスポートをとりに行っては間に合わない。 屋久島のツアーも探してみたが、人気の旅行スポットのためか、予算に見合った安いプランは軒並み売り切れ。高額で優雅なプランしか見つけられず、台湾や韓国の方が安く行けそうだった。 そこで僕はgoogle先生に聞いてみた。

          本当と本質はどこに宿る①

          空気を読み合う世界と同調性:起 (仮題)

          常日頃から心にあるアイデンティティのひとつに、 自由になりたい! というものがある。 10代の頃はがむしゃらに 「大人の言うことなんて聞くものか!」 「俺に命令するな!自分のやりたいようにやるんだ!」 なんてことを吐き出しながら、他者を否定し自分を肯定することが自由なんだと勘違いしていた。 それから少しオトナになって社会へ出るようになるのだが、やはりそこでも 「このデザインを赤に変えたいなら、そのことでどのように利益がでるのか会議で説明してください」 「メーカーから協力金

          空気を読み合う世界と同調性:起 (仮題)

          本当の自分はここにいるという軌跡

          正しくきちんと社会に寄り添っている人は、多くの人に恵まれ、たくさんのモノを手にすることができる。 そうして幸せな人生を過ごすのだろうけど、本当の自分を隠さなければ社会的な立ち位置を確保できないタイミングが多いように思える。 人の期待を裏切らず、真面目に集団の利益と幸せを追求している人ほど、その社会的なポジションに自分をアジャストするものだから、本当の自分というものを失くしていってしまうのではないだろうか。 例えばひとつのプロジェクトを成すにあたり、納得させる要素を用意して発

          本当の自分はここにいるという軌跡

          それゆけ多様性

          僕は繊細だ。 望んでそうなった。 人生とは、 道端の石ころを拾っては選別することを繰り返す。 その過程で死んでいくものだ。 そんな生き方を、先人から教わって生きてきた。 誰も気が付かない小さなことも、 拾っては確かめて、 手に入れ、捨てて、心に留めて。 それを繰り返してきた。 けれどまさか、その繊細さに潰されるとは思っていなかった。 繰り返される会議での中、僕に求められることは「新しいアイデア」「新しい展開」などではなく、誰もが安心する知見に基づいた「技術」だけだ。

          それゆけ多様性

          男は畑の野菜なのよ

          女の子とご飯へ行くことになった。 知人の紹介で一緒に遊んだことがきっかけ。今度は二人で会いましょうとなりLINEを交換した。 そして時はきた。 日にちだけは日曜日と決まっていたけど、前日になってもどこの場所(お店)にするかはまだだった。 ねえ??明日の待ち合わせは何時かしら? おっと、勝手に夜ご飯だと思っていた! 明日は日曜日だ。もしかしたらランチのつもりだったのかもしれない。 というか、そもそもどこにするか決めてないから探さないといけない。 いや、ランチなのか?ディナ

          男は畑の野菜なのよ

          せせらぎキラメキ

          幼い頃の記憶です。目蒲線という東急の電車があった頃のお話。 目黒駅からふたつ進んだ武蔵小山という街で生まれた僕は、20歳を過ぎるまでそこで生活をしていた。 東洋一長いアーケードの入り口にある駅舎は、一度地下に降りると改札があり、再び階段をのぼった地上が駅のホームになっていた。 今でも地上を走る目蒲線の夢を見ることがある。あれから30年近くたっているのに。 下半身が隠れる程のボックスの中に、駅員のお兄さんが横並びに2名。 切符に切れ込みを入れる鉄鋏を片手に、各々がオリジナルの

          せせらぎキラメキ