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せせらぎキラメキ

幼い頃の記憶です。目蒲線という東急の電車があった頃のお話。
目黒駅からふたつ進んだ武蔵小山という街で生まれた僕は、20歳を過ぎるまでそこで生活をしていた。
東洋一長いアーケードの入り口にある駅舎は、一度地下に降りると改札があり、再び階段をのぼった地上が駅のホームになっていた。
今でも地上を走る目蒲線の夢を見ることがある。あれから30年近くたっているのに。

下半身が隠れる程のボックスの中に、駅員のお兄さんが横並びに2名。
切符に切れ込みを入れる鉄鋏を片手に、各々がオリジナルのリズムを奏でながら、行き交う人達をさばいていく。
乗る人、降りる人で向きを変え、人々を遮ることなく美しく流れさせる。
まるで小川のせせらぎに寄り添う水車を思わせる日常だった。
延々と小麦を挽きつづけ、白いきらめきが駅舎の狭い窓から差し込む日差しでキラキラと漂う。
機械とコンピューターに仕事を奪われる前の世界だった。
駅員と客には、言葉を介さないコミュニケーションがあって、

阿吽の呼吸
以心伝心
ツーと言えばカー
シンクロ率100%

考えてみれば、電車も地上を走っていたので車内も明るい。
満員電車で肌をすり合わせていても、今ほど窮屈に感じていなかったようにも思う。
コロナを経験した今となっては、切符を手渡しでやりとりしていたことも控えたくなってしまう。

人々は小川のせせらぎのごとく流れ続け、
輝く小麦をまとった世の中はキラキラと輝き続けていた。

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