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シャッターの自由

10月にカメラを購入。
とにかく上手になりたくて、11月中旬からSNSへ1日1枚の投稿を始めた。
やがて1か月が過ぎたあたりで急に、ヘタクソの羅列をしていることが恥ずかしくなった。

何が原因でどう恥ずかしいのか、どうしてヘタクソなのかを徹底的に考えてみた。

Youtubeや本で写真の勉強をしてきた。
とにかく流行りの構図でシャッターを押し、流行りの色合いで調整していた。SNSでイイね!押されたい。つまり人から褒められたい、という気持ちがが写真からあふれている。
僕の写真は、こんなんでいいのか!?と気が付いた。
あぁ恥ずかしい。褒められたい承認欲求モンスター👾

このことをとてもよく表している1枚がある。

会社の新年会で高層ビルがきれいなお店にいった時、夜景をバックにして、人を入れて撮ってみたいと思った。社員の女子を呼んでテラス席に座ってもらい、何度もシャッターを押す。F値調整してボケボケにエモくした。
写真は雄弁で、なぜこのような写真を撮ったのか物語っている。

ココには存在しないだろう人が、不自然に写っている。

自分が何を求めてシャッターを押したのかが表現された。写真にはヨコシマな気持がそのまま出てくるから、それがわかってしまうし、わからせてしまう。
カッコいいものを写真に収めたのではない。カッコいいと言われたくて、シャッターを押している。

こんなものを「どうぞ見てください」と晒し続けるのはとても恥ずかしい。けれどココで止めたら、もう写真をあきらめることになってしまうと思った。
どうせ他人は期待して僕のSNSを見ているわけではないし、と開き直った。

あれから更に二か月。写真は継続して100枚をアップできた。それでもまだ、心の機微を上手に表現できていない恥ずかしい写真が続いている。

シャッターを押す瞬間に、なぜそれを収めたいと思ったのか。もっと深く考えることをしなくてはならない。

写真は自由だから。

だからこそ、自由な気持で、ヨコシマな気持を取り払って、シャッターを押し続けたい。

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