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久米島で出会った異国からの女性

コロナ禍のために海外旅行ができなかったこの2年間、その代わりと言ってはなんだが、3度ほど沖縄に行った。とにかくこの生きづらく閉鎖的なニューノーマル社会から離れ、一人で海をひたすらにぼーっと眺め癒されたかったから。私にとって最も不可欠で愛してやまない、波の音の中で海を眺める時間にただただ身を委ねたかった。

沖縄本島、宮古島と訪れ、3度目の沖縄は久米島。2021年秋だったが、もうその頃には国内旅行は右肩上がりに需要も戻りつつあり、石垣島になるととても手が出せない価格にまで高騰していた。そこで選んだのが久米島だった。

久米島内にはいくつかの繁華街があるが、私は静かにホテルステイができることと、部屋から海が眺められることを条件としていたので、繁華街から離れたリゾートホテルへの滞在を決めた。繁華街や観光地への足は、レンタカーの他、タクシー、バス、自転車で、徒歩圏内にあるのは周辺のサトウキビ畑だけだ。

滞在中のある夜、ホテルでの食事もさすがに飽きた私は、繁華街で夕食をとるべく夜のバスに乗った。コロナ禍の影響なのか、それが日常なのか分からないが、その路線の終バスはとても早く、当時19時半には最終だったと記憶している。終バスで繁華街へ向かい食事をとった後、帰りはタクシーでホテルまで戻る予定だった。

その最終バスでやってしまった。降りるはずのバス停ではない所で降りてしまい、最終バスは私を一人残し去っていった。つまり、繁華街への足がなくなり、サトウキビ畑のど真ん中で置き去りになってしまったのだ。こんな観光客みたいな格好をしているのだから、バスの運転手も「こんなところには何もありません」くらいに教えてくれてもよかったのに。

久米島には、いたるところにサトウキビ畑が広がっている。ゆえに、夜は街灯などほとんどなく、闇は目と鼻の先にある。とにかく1メートル先どころか自分の身体すらまともに目視できず、どこが道なのかすら認識できないので、iPhoneで足元を照らしながら進むしかない。進むと言っても、ちょうどホテルと繁華街のど真ん中のようなところで、歩くには心が折れそうな距離だ。しかも、雨までパラついてきた。最悪だ。

これまでの人生で、本当の暗闇に身を置くのは初めてだと気づく。私の存在はまさに闇に飲まれ、こちらから何も見えないだけでなく、向こうからも私の存在が見えないということに大変な恐怖感を覚えた。タクシーが気づいて拾ってくれることを祈りながらiPhoneを片手に大きく振ったりしても、時間だけが無慈悲に過ぎていく。

今にも泣きそうになりながら、30分ほど経ったとき、目の前に1台のミニバンが停まった。

「大丈夫ですか?どこに行くのか教えてもらえれば、乗せて行きますよ」

サトウキビ畑の中で仕事をしていたのだろう。たくさんのサトウキビを後部座席に積んだ車を運転し、たまたま通りがかりに声をかけてきてくれたその女性は、まさに女神だった。

繁華街まで10分程の道中、女神のお姉さんは色々な話を聞かせてくれた。その女神は、20年前に中国から久米島のサトウキビ畑に嫁ぎ、以来ここで旦那さんと娘さんと暮らしているそうだ。20年前、多くの中国人女性が集団で久米島に嫁ぐためにやってきたという。お姉さんは、そのうちの一人だった。

無事に目的地まで着くと、お姉さんは今から帰宅すると言い、笑顔で帰って行った。名前も知らないままお別れしてしまったが、この時の私はとにかく無事に繁華街の人気のある場所に来れたことにとにかく安堵していた。

たった10分の会話ではあったものの、その後夕食をとりながらこの10分間を思い出しながらアレコレ想像した。中国から嫁ぐために異国の地にやってきて、20年間帰国もせず毎日サトウキビ畑で働いている。20年前の若き頃、言葉も分からないまま日本へ降り立った女性は、サトウキビ畑を前にどのような心境で何を思ったのだろうか。将来の夫となる人とここで一生を共にすることを、どう受け止めていたのだろうか。

もし今、同じように中国へ嫁ぎに行く未来になったとしたら、何を思い、誰に想いを伝え、どのような自分の未来を想像するのだろうか。

答えもない、行き場もない感情は、辿り着いた先の居酒屋でオリオンビールで一気に流し込むことしかできなかった。私にできるこの時の感情の処理方法は、今もこれしか思いつかない。

海の美しさに、サトウキビ畑の奏でる音。これは、求めて行ったはずのそれらよりも、久米島の姿を教えてくれた中国からのお姉さんのお話。

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