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生きやすくなった恩師の言葉

2000年代後半の高校時代。3年間、図らずも担任教諭はずっと同じ女性教員だった。

おまけに、部活の顧問でもあったから、平日は朝から部活の終わる夜まで、そして土日も毎日のように練習で顔を合わせていて、当時は一番顔を見ていた人かもしれない。

とにかく、男勝りで強気で、若くてパワフルで、怒るとめちゃくちゃ怖いけど、カッコいい先生。先生にとって、私たちクラスは初めての生徒であり、卒業生だった。今になって振り返ると、高校時代にあれだけ熱血な教員の生徒に3年間もいれたことは幸運だったと感じる。

卒業式後のホームルームでは、たいていの場合は担任教諭から有難いお言葉があると思う。我がクラスも例にも漏れず同じような時間があった。

その時の、一つの言葉をずっと覚えている。覚えているどころか、わたしは何かある毎にその言葉を思い出している。30を超えた今になっても、だ。

「この人のことが嫌い。そう思ったら、まずはその人の良いところ、好きなところを3つ探すこと。3つ探しても、それでもまだ嫌いだったら嫌いでいい」


それからというものの、私は嫌いになりそうな人を見つけるたびに、良いところを3つ探すようになった。3つ良いところがあっても、それ以上に嫌なヤツだったら嫌いでしょって思っていたのだけれど、不思議なことに、それ以来、嫌いな人がいなくなった。

先生は、「嫌いになってはいけない」とは一言も言っていないのに。むしろ「嫌いになっていい」とさえ言ってる。

「なんだかんだいい人なんだな」とか、「意外といいところあるじゃん」「そういえばあの時のあの言葉、うれしかったな」とか。そんなことを3つも挙げてみると、数分前にはあれだけ嫌いになりかけていたのに、嫌いとまでは言えなくなってくるから驚愕する。

そして、「私も嫌なところくらいあるしね」って思えたところで、一気に気持ちが楽になる。嫌いな人がいない、というのはとても生きやすいものだ。周りに嫌いなものが多いより、少ない方が毎日生きやすいのは当たり前だよね。

嫌い、という感情は主観であり、相手の問題ではなく自分自身の問題。工夫次第では思ってる以上にコントロールが効く、と思っている。

もちろん、波長が合わないとか、コミュニケーションの取り方で苦手な人はいる。でも嫌いな人がいなくなった。苦手=嫌いではない。

人によって言葉の受け取り方は異なると思うが、個人的に苦手な人というのは「コミュニケーションを取りたい、仲良くなりたいという気持ちがありながらも言葉の使い方や間のとり方等の違いで上手くいかない人」であり、前向きな気持ちが前提にある。嫌いな人は、もちろん拒絶を前提としている。


その後、大学に進学して、就職をしてすっかり大人になった今でも、私は幾度となくこの言葉に救われている。社会に出て、それはそれは色んな人に出会った。だからこそ、この言葉に救われた。

先生は今でもこの時の話を覚えているだろうか。私はずっと覚えていて、卒業後もずっとお守りのように側にいてくれていることを、いつか感謝とともに伝えたいと思っている。

先生、世の中は、案外いい人で溢れてるんだね。


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