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思い描かれないアフリカ~モロッコ周遊記~

気づいたら、アフリカの大地にいた。

会社を退職し、次の会社に入社するまでのほんのわずかな自由らしい空白の時間にすることといえば、一度は旅行を考えるはずだ。もちろん、かくいう私も同じくして、旅行を決めた。

場所はどこだってよかった。

今日までの人生で海外は正直お腹いっぱいだと思っていたけれど、辞める間際に同僚からこれまでの旅行話を聞かされすっかりその気になってしまった。せっかく時間もお金もある。さらに年齢には逆らえない体力の低下もまだ深刻化してはいない。遠くて時間も体力の要りそうなところ…アフリカか。その程度で決めた。

その2週間後、知っているのはその名前と暑い場所であるということだけ。人生で最も無縁の土地アフリカにいる。

何故なのか。とにかく寒い。ヒートテックにダウンを着たところでアフリカの寒さに対抗するには無力すぎた。身体があまりに大きく震え、人間はここまで強烈な寒さを感じるとこんなにも震えることができるのかと驚いた。寒さに抗い、体温を上げ生きようとしている。見たこともない昆虫が横で元気に飛び回っているのに、わたしはこんなに縮こまってるのがおかしくてひとり笑ったりした。笑ったかと思えば、強烈な寒さがあまりに辛くて涙が出たりもする。感情を揺さぶられながら、太陽が顔を出すのを午前4時のバスターミナルで待っている。

いるのはアフリカの北西に位置するモロッコ。アフリカは暑いという知識はどこで手に入れたのだろうか。もしかして、アフリカは暑いだなんて教わったことなど一度たりともないのに、テレビで映し出される「アフリカ」の様子から勝手に思い込んでいただけだろうか。でもおかしい。私は人生で「アフリカだって冬は超寒いし常夏じゃない」なんて言葉を耳にしたことがない。

アフリカとは、一体なんなのだろう。

そもそも、アフリカと呼ぶとき、私はいったい誰を呼んでいるのだろう。

こんなにも空っぽな名前を私は知らない。アフリカにいるはずなのに、ここがどこだかわからなくなった。

モロッコはすごく怖い国らしい

モロッコは他のアフリカ諸国と同様にイスラム教徒(ムスリム)が大多数を占める国のひとつだ。もともとフランスの植民地支配下であったために国民の第一言語はアラビア語、そして第二にフランス語としており、町のほぼすべての掲示にその二か国語が併記されている。基本的にはどちらも話せるそうだ。

行く前の情報収集段階では、ネガティブな意見しか見つけられなかった。もちろんそのほとんどが想像に難くない、治安に関することである。

・物乞いが多く貧しいため治安が悪い
・優しくしてくる人間のほとんどがチップ(金銭)目当て
・英語(日本語)を話す人は観光客目当ての詐欺師

有名な観光旅行ガイドブックもそうだし、旅行ブログも、旅行代理店の運営するメディアも。このような治安情報で溢れている。

わくわくするための情報収集だったはずが不安は一気に駆り立てられ、これらの回避方法は誰とも話さないこと以外に見当がつかなかった。


往路の飛行機の詐欺師

モロッコはカサブランカ行きの飛行機内。さっそく隣の席になったモロッコ人が流暢な英語で話しかけてくる。

第一の関門が、入国前から襲ってきた。この男性は事前情報によれば「観光客目当ての詐欺師」である。逃げたい…と思ったが、席はあいにく窓側で行く手を阻まれている。

どこに行くのか、モロッコはとてもいい国だぞ、ひとりでペラペラ話し続け、挙句の果てには私がほぼ上の空なこともお構いなしに空港から車で市内まで送ろうか?と来た。

いやいやいや、空港出てからすぐといえば昔悲しい事件が過去にあったでしょう。大学生だった当時の私はその事件にとても心を痛めていたし、そんな手には乗らない。

詐欺師「日本人は優しいしとても礼儀正しい、国も発展しているし来年の3月に行けるかもしれない!」

とてもうきうきしながら彼はひたすらに話している。

私「日本はとてもスリリングな国だよ。あまり英語も通じないし、地下鉄は迷路みたいで日本人でも迷子になる国だからね」

詐欺師「そんなことはない、日本人はみんな英語が上手じゃないか!」

そりゃ、モロッコに来るような日本人で英語がまったく話せない人はいないでしょうよ。

彼はしばらくすると、モロッコのおすすめ観光地をポケットに入っていたくしゃくしゃの紙に書きなぐり、私に差し出した。

「ここがおすすめの観光地だ。モロッコはいいところがたくさんある。時間があればぜひ全部回ってほしい」と、スマホで写真を見せながら説明してくれた。

ぜんぶ行ってみたいとは思ったがすでにルートを決めていたし、諦めるしかなかった。とりあえず「行けたら行く」と答えた。

そんな会話をしてるうちにすっかり眠くなってしまった私は眠りにつき、目をあけた時には着陸していた。

「じゃあ、気をつけて!Good bye」

隣の彼は着陸しシートベルトサインが消える前に荷物を取り出しはじめ、そそくさと帰っていった。あまりのあっけなさに唖然とした。彼は詐欺師でもなんでもなく、単なるおしゃべり好きないい人だった。


世界遺産都市の詐欺師

シェフシャウエンという、京都のように街の一帯が世界遺産に認定されている都市に到着した。町全体に青いペンキが降り注いだのだろうか、鮮やかな青で彩られている。迷宮のように入り組んだ土地。街歩きがとにかく楽しい。

そろそろお腹が空いた…と思っていたら声がする。

???「オネエサン!カワイイ!オネエサン!ニホンジン!」

私を呼んでいるようだが、人違いだったらさすがに恥ずかしすぎるので無視した。しかし、徐々に大きくなる声。これは、こっちに近づいてきている…!?こわい!

???「カワイイ!オネエサン!」

と後ろで言われたところで振り向いてしまう私は自分のいやらしさを恨んだ。異国の地にいようと可愛いと言われたら何歳になっても嬉しいものだ。

目が合ってしまったが最後。また詐欺師に会ってしまった。

詐欺師はモロッコレストランの客引きだった。ちょうどタジン鍋を食べてみたいと思っていたところだったので、これも何かの縁だと前向きに捉えてラス席に腰かけた。

チキンとレモンのタジンは、これじゃない感の塊で、ついつい「これは何?」と聞いてしまったが、回答は「タジン」だった。

もし日本の和食屋さんでとり鍋を頼んだとして、鍋に入ったフライドチキンとフライドポテトが運ばれてきたらびっくりするだろう。

シェフシャウエンで旅行会社を経営しているという詐欺師は英語が堪能で、自分の事業の話やら、スペインに頻繁に行きフラメンコを演奏する趣味の話を聞かせてくれた。純粋に楽しい時間で、かれこれ3時間くらい話していたのではないだろうか。

???「ところで、お土産を買っていないのなら自分のファミリーが絨毯ショップをやっているから紹介するよ」

すっかり忘れていたが、そうだった、事前情報によると彼は英語を話す「観光客目当ての詐欺師」であった。アブナイアブナイ。

いつもなら、ここでOKし出会ったばかりのおじさんに付いていくことなど絶対にしない。こんなのは最近は日本でも危険な気がするし、ましてやここはモロッコ。

私「OK、行ってみたいから連れて行って」

よし!と腰を上げレストランで会計を済ませ、ショップに向かう。もし不慮の出来事が起きてしまっても、この詐欺師がすぐに捕まるようにスマホで音声と動画を記録しながら歩く。ちょっと暗い道や人気のない道を通られると、さすがに恐怖と不安を感じた。

この詐欺師を信じてみようと思ったのは、これまでの話がとにかく興味深く楽しい時間を提供してくれたから。この人に騙されても、最悪殺されなければまあ許せるかなとさえ考えていた。海外にいて、知らない人との会話でそれほど楽しかったのもこの一度しかない。

連れてこられた先は、アラジンの世界そのものだった。

ひっくりかえしたら、どこかに空飛ぶ絨毯がありそうだ。こすったら魔人が出てきそうな古びたランプもたくさんある。映画館はほとんど行かない私だが、アラジンの実写版だけは見ていてよかったと心底思った。

シェフシャウエンだけでなくモロッコのあらゆる市場で絨毯が売られている。もともとは少数民族のベルベル人が絨毯を織っていたらしい。どれもとても色鮮やかで美しい模様が描かれており、その素材も羊やシルクなど多様である。値段は大きく何の素材を使っているかによるようだが、基本的に言い値商売であるため観光客の私には相場というものはよくわからなかった。

「ここはファミリーの絨毯のアトリエだ。ぜんぶ職人が織っているんだ」

童心に帰るとは、まさにいま、この瞬間のことを言うのだろう。そんな子どものようにはしゃいでいる私に、ファミリーが絨毯の営業をかけてきた。

お気に入りの1枚を選び、言い値は700ディルハム。(当時、約7200円ほど)

私は絨毯など欲しくもないし買う予定もなかったが、この雰囲気ですっかり1枚くらい買ってもいいかなと思いはじめ無理を承知で、300ディルハムでどう?と尋ねる。

しばらくラリーが続き、最終的に握手を交わしたのは350ディルハム。まあ悪くはないだろう。それにしても、半値にまで値引きできるとはどれだけボラれる予定だったんだろう。

絨毯を350ディルハムで手に入れたことにとても満足し、しばらくして店を後にした。

「じゃあ、またシェフシャウエンに来ることがあったら教えてよ。僕は旅行会社をやっているから安く手配できるよ。Good bye!」

4時間近くも一緒にいたが、ここでも最後はあっけなかった。彼もまた、詐欺師でもなんでもなく、単なるおしゃべり好きないい人だった。


タクシー運転手の詐欺師

フェズに来た。

ここまでの写真を見ても分かる通り、都市間で街の雰囲気がまったく違う。各々が独特の雰囲気を醸し出している。すべての都市で空気感がここまで違う国は初めてだ。

カサブランカは都会、シェフシャウエンはカラフルで観光地化されたオープンな都市、しかしここフェズは少し陰気な雰囲気を感じる。降り立ってすぐ、ここでは差別を受けそうだと感じたくらいには、苦手な空気感だ。

とはいえ、目的は観光地でもある迷宮の旧市街だ。行くぞ。

少し歩いて嫌な予感はすぐに当たった。
旧市街行きのバスが混んでて乗れない。さすがのわたしも、乗り方すら把握できていないのに、超満員バスの中に、バックパックを背負って特攻する勇気はなかった。

仕方なくタクシーを拾う。バスを待つ間もひたすらに暑く、体力は限界だった。もう到着するのであれば何でもよい。

一台の流しのタクシーに声をかけられ、疲れ果てた私は少しの会話だけで乗車を決めた。浅はかだった。こいつ(タクシー運転手)はただの詐欺師だったのだ。暑さと疲労とで苛立ち、さすがの私もくそ!と思った。

結局みんな詐欺師だと思ってたのに、実際はそんなことはなくイイ人たちばかりの国モロッコ、とこの話を閉じたかった。この男のせいで叶わなくなったことを呪いたい。

旧市街に着いたその後も、騙されたモヤモヤが晴れることはなく、なんとなく歩き回って帰りたくなってしまった。それだけではない。やはりこの町はどことなく陰気なのだ。それは、そこに住む人々が作り出すものなのか、街の作りが光を邪魔するからなのかわからない。ただ、これまでのどの町とも違う、苦手な空気感をまとった都市だということだけは印象強く残っている。

わたしが見たモロッコ

最後の街、マラケシュ。ここは旅のクライマックス。最後くらいは楽しく過ごさないと!と意気込み、ラクダに乗って過ごしたり、散策ツアーに参加したり、存分に楽しんだ。

モロッコに来る前は、「アフリカ」のもつイメージに怯え、不安でいっぱいだった。みんなもどこかしらで「アフリカは怖いところ、治安の悪いところ」と思っている節はあると思うし、それが普通なのかもしれない。

ここに書いた人たちはひたすらに怪しそうに見えたけれど、ひたすらに優しかった人たちで、旅中はたくさんの優しさ、親切心で迎えてもらった。

  • 夜行バスの中でお腹を空かせた私に、飲み物とサンドイッチを買ってプレゼントしてくれたお兄ちゃん

  • マラケシュでホテルの場所が分からず迷っていた時に、雨のなか声をかけてくれ、ホテルまで連れて行ってくれたおっちゃん

  • 日本食が好きだといって、マンゴーのカリフォルニアロールを振る舞ってご馳走してくれたホテルのオーナー

  • 数日間、マラケシュ観光にドライバーとして付き合ってくれて、最後に空港まで送ってくれた時に、お土産にブレスレットをくれたドライバー

名前は分からないけれど、一人でわけも分からず、不安で旅をしている私は毎回のように彼らの優しさに涙しそうになったし、今でも昨日のことのように鮮明にすべてのシーンが記憶に残っている。

一つ一つの優しさや親切心に対して、警戒し、騙されているかも、お金を要求されるかもと疑い続けることに途中から嫌気がさした。人の優しさを素直に受け止められないことは、ひたすらに心を虚しくさせるだけだ。

もちろん、警戒心は必要なんだけど。ただ、警戒心はあくまで違和感、リスクを感知するためのものであるはずで、決して人を遠ざけたり拒絶したりするものではないはずだ。

誰かを疑うより、信用する方が何百倍にも難しい。疑うのって、ただ自分が楽をしてるだけなんだと反省した。信じることには、責任が伴う。


最後に。やはり、私は「アフリカ」を知らなかったのだ。
気候もそう、治安もそう、街の様子もそう。何一つイメージ通りなんてことがなかったし、何一つ誰かの旅行記通りなんてこともなかった。

きっと、この国には、日本人が「アフリカ」という文字を目にした時に浮かび上がってくる絵はない。たぶんこれからも、ずっとそうだ。


そんな知らなかったアフリカの地、モロッコに行って、帰ってきた。



旅程:2019年11月24日~12月2日
場所:モロッコ(カサブランカ→シェフシャウエン→フェズ→マラケシュ)

2019年の旅行中から書き続け、ようやく2022年9月に公開しました…


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