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休みの日を心ゆくままに過ごして気付いた「時間」の価値観

「今日は〇〇しよう」と何となくプランを自分で決めていたにもかかわらず、案外想定外のことほど行動力を発揮してしまうものです。

今日は休み。自宅でゆっくり映画をみたり本を読んだり、室内でゆっくりするぞーと思いながら朝を迎えました。

時刻はまだ午前7時。カーテンの隙間からうっすら朝日がさしこみ、外が明るいことを理解します。

起きて、布団を脱いで(布団を脱ぐって表現どうなんでしょう?他の人は使ったりするものでしょうか?)、朝イチのコーヒーを淹れます。

コーヒーはスーパーで売っているドリップコーヒー。
特にコーヒーにうるさいわけではないけれど、ちょっといい雰囲気も感じたいからインスタントではなくドリップ派です。

本格的に雰囲気を出したいなら豆からミルで作った方が格別かもしれないけど、そこらへんは結構めんどくさがり。

お湯を3回に分けて丁寧にドリップして(矛盾するけどドリップはちょっと丁寧に入れたい)、出来上がったコーヒーを片手にカーテンを開け、窓を開け、ベランダから景色を見たとたん私の心は急変しました。

「散歩に出よう!」

窓を開けるとひんやり冷たい、だけど寒くない、心をサワっと触るようなこそばゆい風と、白くかすかにオレンジ色の光が広がる空をみて、心が変わったのです。

女心と秋の空。

つい先ほど布団の中で「今日は家でゆっくり過ごそう」と思っていた私の心をいとも簡単に変えてしまいました。

とはいえ、コーヒーを淹れたばかり。
秋の朝を窓際に感じながら、茶色い木目調の古民家風の椅子に腰かけ、スターバックスのマグカップでコーヒーを飲みながら、読書。

洋楽なんかかけちゃったりしたら尚良し。
いつもなら「会社に行かなきゃ」と時間を気にしながら飲むコーヒーも、時間を気にせず、誰にも気をつかわず、ただ自分の心ゆくままに味わえることにほのかな幸せを感じます。

大人になればなるほど、時間の流れが早く感じるもの。
25を過ぎたらあっという間に30。30過ぎたらあっという間にきっと40。
30過ぎたあたりから、仕事や結婚が「将来の夢」ではなく「現実の問題」として立ちはだかったように感じ、時間が経つことに敏感になります。

人生で大切なもののうち、その一つは時間だと思います。
将来のために、時間を無駄にしないように精一杯生きる人。仕事に没頭したり、勉強に励んだり。
でもその一方で、時間をいっさい気にしない安心感や解放感にもどっぷり浸かれるのも、時間の魅力です。
そう考えたら、大切なのは“時間”そのものではなく、どんな過ごし方をしようとその瞬間にどう感じているか、“心”ではないかと思うのです。

仕事をしていると、スケジュール、納期、締め切り等を意識して、時間を「使うもの」として考えるシーンが多い。
「資料作成に2時間必要」「ミーティングまであと1時間あるからその間にちょっと事務処理」等、時間を何かに”使う”ことを考えがち。
時間を使って何かをしようとしていないと、サボりだと非難されるからという意識があるからかも。

だからこそ、休みの日は時間を“使う”のではなく、“過ごす”ことにどっぷり心から浸っていたい。

カーディガンを羽織ってスニーカーを履いて、家を飛び出しました。
特に予定はないし、行きたいところも特にないし、家でゆっくり過ごすつもりだったけど、ただ秋の朝に誘われたから出てきただけ。

行先を決めずに、ただ足の向くままに歩く。
「歩こう、歩こう、私は元気。歩くの大好き。どんどん行こう。」
ほんと、そんな感じ。

歩きつかれてお腹が空いたらカフェを見つけて入って、食事して、食後のコーヒー飲みながら本読んで(コーヒーと本の組合せが好き)、気がすんだらカフェを出て、ちょっとウィンドウショッピングして、そしてまた歩いて帰宅。

帰宅した時間は、夜8時。

特別なことは何もしていない一日。ただ外にでて歩いて、カフェでご飯して、ちょっと買い物して(何も買ってないけど)、帰った。

だけど何でしょう。この充実感と満足感。
時間を何か特別なことするために”使おう”とするのではなく、ただ心感じたままに行動し、時間の縛りから解放されて過ごしただけですが。

「明日からまた頑張りますか!」と前向きなパワーを心にためこみ、明日が来るのが楽しみに感じました。

時間や予定や計画があったとしても、それにこだわるのはやめて心に素直に従って過ごす。
その方が、心のバケツにエネルギーをためて力強く出発できそうな気がします。


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