和歌ざんまい

自分の詠んだ和歌が歌会始に選ばれることを目標に古典を読んだりたま〜には自分で作ったりし…

和歌ざんまい

自分の詠んだ和歌が歌会始に選ばれることを目標に古典を読んだりたま〜には自分で作ったりしていきたいと思います。

最近の記事

龍淵に潜む

うちつけにとは、突然とかいきなりとか出し抜けにとかいう意味だそうで、それが全体にどう掛かっていくのかがよくわかないままではありますが、 来年もこの秋のような月を見るために生きていたいものだという意味合いでしょうか。 秋の澄んだ空に浮かぶ素晴らしく美しい月を見ていると、心奪われるような、晴れ晴れとするような心地を見出しそうで、 その心地を味わえるのを来年の秋の月まで楽しみにするごとく、 孤独の中の人間や心そしてその悲哀ともさらに来年も向き合い、それらを歌にし、己を掘り下

    • 葉月

      気温は秋らしくなってきたと思っていたら、連続して台風に見舞われていますが、被害に遭われた皆さまにお見舞いを申し上げます。 冒頭の和歌は西行さんのもので、西行さん自身が自分の第一の自嘆歌(自ら褒める歌)としている歌だそうです。 風になびいていく富士山の噴煙が空に消えていく。同じように私の思いもどうなっていくのか行方もわかないのである というような内容かと思います。 歌をどう歌うのかではなく、自分の心をどうするのかに苦心した西行さんのこの歌を小林秀雄は 「遂にこういう驚

      • 玄鳥帰る

        冒頭の和歌は西行の出家した若い頃のものだそうで、 都で(野宿しながら)見た月がしみじみした哀れ深いものだと思ったのは、取るに足らない慰めであった という歌のようです。 普通を語るほど和歌を何事も承知はしていませんが、 よく和歌では月を見てあはれを感じる、というものが多いように見受けます。 ところがこの和歌なのか西行さんなのか、大した慰めにもならなかったと、堂々と詠ってるな〜、読み違えたかなぁくらいにも思ってしまいます。 これについて小林秀雄は、 西行は単なる抒情詩

        • 和歌、ときどき小林秀雄

          前回に続いて小林秀雄さんが和歌をどう読み解いたのかを見ていきたいと思うのですが、 冒頭の和歌は西行晩年の歌で、 年をとって若い頃越えた山をまた越えることができるとは思ってもいなかった。生きていればこそだなぁ、という和歌の意味になろうと思います。 西行は評価の高い歌人と世では言われておりますがその評価の元となるものは評価者によっても異なるのでしょうが、 放胆な歌が評価されるとしながらも小林秀雄さんは 「心理の上の遊戯を交えず、理性による烈しく苦がい内省が、そのまま直か

        龍淵に潜む

          新涼

          以前と同様ではありますが、40数年あまり大河ドラマを観ていない歴を更新する身のため、 現作品で源実朝が出てくるのか、出てきたのか、誰が演じたのかは全く知らないのですが、 実朝は暗殺された鎌倉幕府第三代将軍で、その歌は万葉調ともいうべきおおらかで重厚味があり天才とも評される人だそうです。 冒頭は実朝の中でも名歌と言われている歌だそうで、解釈は特段難しくはなく今の時候にふさわしいものかと。 一方で小林秀雄は実朝を高く評価しているものの万葉調でおおらかなというような見方には

          天地始めて粛す

          東京地方は今日も蒸し暑くしかも天気予報以上?に晴れ、まだまだ夏の気候の真っ只中という感じですが、 冒頭の和歌は、 新古今和歌集で「秋の夕暮」で終わる「三夕の和歌」と呼ばれる歌の中で、 西行の代表作の一つと言われている和歌のようです。 出家し風流などを解さないわが身でも、鴫の飛び立つ沢の秋の夕暮の風情は格別と思いいたすものである というように詠んでいるのかと思います。 暑い暑いと言っている間に、このような日本の風情が味わえるのも間も無くかと、しばし楽しみに待ちたいと思い

          天地始めて粛す

          寒蝉鳴く

          この歌は、古事記に書かれた日本武尊の辞世の歌で、東征の帰途の伊吹山で負傷し、命尽きようとする際に故郷への思いを歌ったとされるものです。 昔の言葉とはいえ日本語なので訳すというのはいつもながら変だなとは思いながらも実際にはよくわからないのでいろいろ参考にして訳しますと、 大和は国の中でも最も素晴らしいところだ。長く続く青い垣根の山に囲まれた大和は美しい。 命の無事な人は幾重にも連なる平群山の樫の木の葉をかんざしに挿すとよい。 ああ懐かしい。我が家の方向に雲が立地のぼり、

          立秋とお盆と甲子園と

          毎年のように、まだまだこれからが暑さの本番だろうという時候に立秋を迎えるわけですが、今年も何やら第二弾目の酷暑が到来している先日8月7日が立秋でした。 でお盆休みに入ったところで東海や関東地方に台風が接近している中、昔に比べてあまり見なくなったとはいえお盆休みには必ず見る甲子園も、関西地方は晴れて夏の気候。 九州学院の試合があり、確かヤクルトの村上選手の弟さんが出てるはずだったよなと観ていたところ、どうもお兄さんよりも身長は高い村上選手。 あまり本調子ではなかったようです

          立秋とお盆と甲子園と

          和歌、ときどきティク・ナット・ハン

          全国的には洪水をともなうような雨が降っている地域もある一方で、東京地方はこの数日特に朝方は涼しいくらいの天気で幾分過ごしやすいというところでしょうか。 タイトルのティク・ナット・ハン氏はベトナム出身の禅僧で、平和活動にも取り組んだ代表的な仏教者という方。 意識的呼吸等を用いた瞑想を提唱して、心の落ち着きを取り戻すことが重要と本も多数出して述べられていて、マインドフルネスという言葉も世の中に浸透してきたようにも思います。 他人にも自分にも微笑みかけるの重要性を行動する仏教

          和歌、ときどきティク・ナット・ハン

          盛夏

          意見はさまざまにあるところですが、久しぶりの制限のない夏到来で、東京地方も6月に梅雨明けした時のような酷暑的な気温から見ると、元気が出てくる夏らしい夏という感じでしょうか。 ただ予報を見ると近年の夏らしい夏に突入していく気配なので、 西行さんの夏の夜と月を詠んだ風流を夜くらいは感じられるといいのだけれどと思う次第です。

          夏深し

          東京地方の今日は大暑のとおりの天気と暑さで、しばらく雨や曇りがちだった天候から本格的な夏に向かうのでしょうか。 冒頭の和歌は、季節の「秋」と恋人に「飽き」られたことを露でまず表しているとのことです。 人の心変わりによって落とした袖の涙の露も、古代の歌人が詠んできた悲しい紅涙、血の涙に染まるが、それをつらく嘆いている間に消えてしまった。 と詠いつつ、 秋の草の露と同様に自分の生命も消え入りそうなほどの嘆きもあわせて深く詠み込んでいるそうで、藤原定家も絶賛の歌だったようです

          雲海

          わたつうみというのは海、八十島は多くの島という意味のようで、 遠くにある数多くの島々で雲が降らせている時雨では海に咲く波の花を染めることができないでいる、 と言うような情景を詠んでいるのかと思います。 一方で、古代から時雨が草木を染めるという恋愛を型取った言い方がされていたところを、時雨と波という花に置き換えてしかも時雨は波の花の色を染められず、 「時雨は波の花を染めようと欲して瀟々と降りそそぐ。虚しく降りそそぐ。さふいう憂愁と悲劇性を彼(後鳥羽院)は沈痛に歌つた」(「後鳥

          朝焼

          あはれは哀れと阿波、世は世と夜、うみは倦みと海、浦人は占人、ほのかは仄かと帆、おきは沖と隠岐、等々重ね合わせ、 「哀れなイメージだ、まるで阿波の国のやうに人の世に倦み果てながら夜の海を渡るうらさびしい漁師が占ひの者さながらに仄かな焔を、帆と同じみづからの伴侶として船尾に灯すとき、(中略)隠岐の国の沖の秋の海にも憂く燃える篝火は。」(「後鳥羽院 第二版」丸谷才一 ちくま学芸文庫) と、おそらく後鳥羽院が隠岐に流される前に詠んだであろう和歌に、隠岐のもの悲しさが先んじて表現さ

          もの思う空

          へにけるは、経にける。あらましは、あれこれ思い巡らすこと、ということらしいので、 思い続けて経過した年月の甲斐もなく、あれこれとこれからのことも思い巡らしている夕暮れですっというのが表向きの読み方かと思います。 新古今和歌集や後鳥羽院は重層的に和歌を詠んだということのようで、例えば、 『かひ』は甲斐と、昔の人たちが恋を忘れさせる呪力を持つと信じ和歌にも詠ってきた『貝』を重ね合わせ、その貝に縁のある渚とか波とか浦とかの言葉も受けるように解釈されるとのことです。 なので一方で

          梅雨明け?

          今日の東京地方は朝から晴れて、梅雨明けを思わせるような天気と気温になっていますが、そもそも梅雨入りをしていたのかは個人的には怪しいと思っているこの頃ではあります。 馬を並べて打出の浜に来てみると朝日に照らされた志賀の浦の波が騒めいているのが見える、 と風景に重ね合わせて、治天の君となりつつあり国見として琵琶湖を訪れた際に、 朝日将軍とも呼ばれ源平の戦いで勝ち続けた木曾義仲とその後も世の中をにぎわし討死した義仲を波に喩えて読んでいるものかと思われます。 この歌を詠んだ頃

          和歌、ときどき長田弘

          生物の中でも必ず死をむかえると認識することを宿命づけられている人間であるがゆえに、永遠というものに憧れながら生きていく。 そして憧れに対し生きていく悲哀を表すため、また悲哀の中で他の人間とともに生きていくために生み出した『言葉』。 そのようにして存在する言葉であるから何でも言えばいいというものではなく、言葉に表現できないくらいの大切なものを大事に生きていくものなのだろう、そしてそういう大切なものを言葉に留めていきたい、 という思いを詩人長田弘さんは語っておられるのかと想像

          和歌、ときどき長田弘