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和歌、ときどき長田弘

悲しみは、言葉をうつくしくしない。
悲しいときは、黙って、悲しむ。
言葉にならないものが、いつも胸にある。
嘆きが言葉に意味をもたらすことはない。
純粋さは言葉を信じがたいものにする。
激情はけっして言葉を正しくしない。
恨みつらみは言葉をだめにしてしまう。
人が誤るのは、いつでも言葉を
過信してだ。きれいな言葉は嘘をつく。
この世を醜くするのは、不実な言葉だ。
誰でも、何でもいうことができる。だから、
何をいいうるか、ではない。
何をいいえないか、だ。
長田弘「一日の終わりの詩集」『魂は』

生物の中でも必ず死をむかえると認識することを宿命づけられている人間であるがゆえに、永遠というものに憧れながら生きていく。

そして憧れに対し生きていく悲哀を表すため、また悲哀の中で他の人間とともに生きていくために生み出した『言葉』。

そのようにして存在する言葉であるから何でも言えばいいというものではなく、言葉に表現できないくらいの大切なものを大事に生きていくものなのだろう、そしてそういう大切なものを言葉に留めていきたい、
という思いを詩人長田弘さんは語っておられるのかと想像します。

銘記する。
言葉はただそれだけだと思う。
言葉にできない感情は、じっと抱いてゆく、
魂を温めるように。
その姿勢のままに、言葉をたもつ。
自分のうちに、自分の体温のように。

一人の魂はどんな言葉でつくられているか?
同上

人生というもの、永遠、憧れと悲哀、を人生を通じて掴み取ろうとされ、表現された(であろう)長田さんと、人生とは何かを探り続けていきたいと思いいたすところです。

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