見出し画像

玄鳥帰る

都にて月をあはれと思ひしは数よりほかのすさび成りけり
西行「山家集」

冒頭の和歌は西行の出家した若い頃のものだそうで、

都で(野宿しながら)見た月がしみじみした哀れ深いものだと思ったのは、取るに足らない慰めであった

という歌のようです。

普通を語るほど和歌を何事も承知はしていませんが、

よく和歌では月を見てあはれを感じる、というものが多いように見受けます。

ところがこの和歌なのか西行さんなのか、大した慰めにもならなかったと、堂々と詠ってるな〜、読み違えたかなぁくらいにも思ってしまいます。

これについて小林秀雄は、
西行は単なる抒情詩人でも叙事詩人でもなかったとし、
「彼は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である」(小林秀雄『モオツァルト・無常という事』)
と述べています。
そして
「孤独という得体の知れぬものについての言わば言葉なき苦吟を恐らく止めた事はなかったのである」(同上)
とも書いており、

自然をおおらかに素直に詠っただけではなく、自らをそして自らの心に触れ、詠おうとしたということでしょうか。

その目線も頼りに西行さんの旅を続けます。

人間孤独の観念か〜、実に興味深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?