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寒蝉鳴く

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし

命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

愛(は)しけやし 吾家の方よ 曇居起ち来も

嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや

この歌は、古事記に書かれた日本武尊の辞世の歌で、東征の帰途の伊吹山で負傷し、命尽きようとする際に故郷への思いを歌ったとされるものです。

昔の言葉とはいえ日本語なので訳すというのはいつもながら変だなとは思いながらも実際にはよくわからないのでいろいろ参考にして訳しますと、

大和は国の中でも最も素晴らしいところだ。長く続く青い垣根の山に囲まれた大和は美しい。

命の無事な人は幾重にも連なる平群山の樫の木の葉をかんざしに挿すとよい。

ああ懐かしい。我が家の方向に雲が立地のぼり、こちらへやってきている。

妻の寝床に置いてきた草薙の剣、あの剣はどうした。

というような感じになるでしょうか。

今回この歌を取り上げたのも、
これから新古今和歌集や古今和歌集とともにさらに遡り万葉集にも挑戦していこうと思っていたところに、
昔読んだある本をたまたま紐解き掲載されていたところによります。

その本では、
「日本は、古代から歌の国として栄えた」(執行草舟『生くる』講談社)
として我々の祖先は、
「真心だけを歌として表した」(同上)と語っています。

そして歌の主題や歌に生命を与えるものとして、
「人間に関しては、根っからの尊敬心だけが良い歌の源になっていると感ずる。すべての理屈を通り越した、人間同士の共感が生む真心だけが歌となるのだ。」(同上)
とも述べています。

これからもnoteの投稿を通じて、高く清くひたすらに悲しいとも詠める日本の歌の精神を探し見つけていこうと思います。

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