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2021/6/8 「創作」

クララとお日さま。村上春樹。主人公と男の子が一緒につくる場面が好き。女の子は絵を描いて、リックがそこに言葉を添えるの。後者は絵を見て書くけれど、それがすごく難しそう。よく書ける時もあれば、そうでない時もあって、たまに困っている。

でも、ジョジーは、待っていて。言葉が書き足されていくことを心待ちにしている。何なら、言葉を添えてもらうために、絵を描いているんじゃないかと感じるくらいに、待っている。

2人での創作も光景も、こちらが見ると、お花畑に包まれる空間を見ているみたいに愛おしい気持ちになる。小さな男女が愛でている。絵とリボンの付いた麦わら帽子と緑色のネクタイと、ハーフパンツにちょっとお洒落でさわやかなシャツ。これは勝手なやつで、一切ない。

実際には部屋の一室にいる2人だけれど、それくらいの柔和な空間が創造されている、想像ができる。羨ましいかぎりだ。

私もそんなふうに言葉を誰かのつくったものに添えてみたいし、言葉でつくった世界を誰かに別ので表現してほしい。私の言葉だけでは未完成な世界。それはそれで、好き。でも、物足りない感じもする。

言葉に、音が添えられて、声が添えられて、韻が添えられて。ピアノとかギターとかが奏でられて。それで円盤に閉じ込められるでしょう。そうしたら、誰かに絵を描いてもらうの。そして次は、演出。世界を空間で表現してもらうの。あとは、映像。これは地元で、主役はもちろんあの人で。最後は全員で口ずさんでもらえたら、死んでもいい。一生願い続ける夢だ。

たった一分でもいいし、一分いかなくてもいい。ほんのちょこっとだけでいいから遊びでいいから、叶わないかなぁ。

言葉が好きじゃなかった。言葉部門ではなくて、歌声部門とか筆部門とか、走り部門、手先部門。身体部門とかね。そういうのがよかったんだ。だから言葉でやっていこうと思うなんて、予想外もいいとこだ。

言葉だと導かれたのは、たった二年前。導かれた、そう、ほんとうに。だって予想外すぎた。まさかなと。この言葉並び好き。まさかなと。だから導かれたって表現したい。でも、そのおかげでこのブランク。大丈夫かと不安になる。思い込みが激しいもので。よりいっそう、怖い。

でも思いに思い、恋焦がれていると言ってもいいくらいやって、それで今到着という感じだから、今の思いは只者じゃなくなっている。思いに思ってきたおかげで、とんがりが素晴らしい。先が尖りすぎている。

射る対象の的はというと、これまた狭い。狭いにもほどがある。過ぎ去った年月を巻き戻していけば大きい円に戻るけど、あいにくそんな技術は知らないし、学んでこなかった。

とんがりすぎた矢と小さくなりすぎた的。ダーツボードのブルしかない模様。あとの枠はどこかへ行ったか、なぜか光が消えている。とにかく放つ目標が、真ん中の中心の、それだけだ。

結構、究極の所に立っている。刺さるか落ちるか。運良ければ最高だし、これ以上ない運命だし、そうじゃなかったら落ちる。私の人生底知れない。どこまで落っこちるかわからない。崩れた崖の欠片の一石そのままで落ちていく。

言葉で他者と創作できる世界をどうしたって無視できない。そこだけに唯一の光が灯っている。


またね👋










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