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生きるということ②

『第三部 第八章 1.新しい人間』より

この本は
「ある」こと、つまり存在そのものであることが生きるということ

「持つ」こと、つまり物や精神を持つことで生きているとすること
を対比しながら、生きるということを考察している本である。

この本で書かれている内の、一部を抜粋して、感じたこと、個人的意見を残したい。

「どうして生きているのか?」
何もしていない空白の時、何かに追われている時、どちらにいても不意に現れる問い。しかし、そんなことを考えていても目の前のこと、例えば仕事は終わらない。問いの答えが出たとしてもお腹が満たされることはない。
でも家に突然現れる蜘蛛のように、ふと問いかけられるその問いと対峙(退治)しないことには前に進めない気もするのだ。

しかし、この本は僕の問いに対して十分な答えを与えてはくれなかった。
だが、人としてどうあるべきか、は教えてくれたと思うし、今の生き方に足せる要素も知れた。それが『新しい人間の資質』。

(以下 本書、『第三部 新しい人間と新しい社会』の『第八章 人間変革の条件と新しい人間の特色 1.新しい人間』より引用及び私の感想・意見。)

新しい人間の資質

(1)十全に“ある”ために、あらゆる“持つ”形態を進んで放棄しようとする意志。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

自分自身の存在感を“持つ”ことで生きることを感じるのではなく、そのままで“ある”ことが“ある”という本質であり、それは“持つ”ことを捨てなければ(捨てようとしなければ)得られない。
端的に言えば「所有するな」
持とうとすれば何もかも持とうとするし、持っているもの(自分のもの)として存在する。そこに執着が生まれる。執着をした途端に失ったときの絶望、失うかもしれない不安、苦悩、苦痛…あらゆるものが付いてくる。だから持とうとしなければあらゆる執着から逃れられる。

(2)安心感、アイデンティティの感覚、自信。それらの基礎は自分の”ある”姿であり、結びつき、関心、愛、周りの世界との連帯への要求であって、世界を持ち、所有し、支配し、ひいては自分の所有物の奴隷になろうとする欲求ではない。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

自分の身体さえも自分の物ではない、というのは仏教の教え。だから世界中のもの、目の前にあるパソコンやスマホさえも自分の物ではない。それはその「モノ」としてただ”ある”だけであり、貴方も同じくただ”ある”だけ。そこに所有の概念などそもそもない。”持つ”ことで自分を”持とう”とすればするほど”ある”ことから遠ざかる。
社会人となり、これまでを振り返ると「生かされている」という感覚があった。家も、食べ物も、衣服も、それを買うお金も何も自分で得ていない。住ませて、食べさせてもらい、持たされていることに気づいた。そして、自分は何者でもないと深く落ち込んだ。そもそも何も持っていないのに、持っていたものさえもなくなった。そこに自分が“ある”ということさえも分からなくなった。「どうしたら自分になれる。俺は何がしたい。何か動かなければいけない。誰かの役に立たなければならない。でも何も持ってない俺に何かどうすることなど出来るわけない。」そう僕も所有の奴隷になっていた。
でも世界は優しい。愛がある。関心の湧くことがある。たくさんの関係がある。何もないことはない。それぞれがそれぞれでそこに”ある”し、だから自分もそれぞれの一つとしてそこに”ある”。そこに“ある”だけで良いの。

(3)自分の外のいかなる人間も物も、人生に意味を与えることはなく、このラディカルな独立と、物に執着しないことが、思いやりと分かち合いに専心する最も十全な能動性の条件になりうる、という事実の容認。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

物だけでなく、心に対しても執着は大なり小なり争いを生む。固執しなければそこに争いはなくなり、互いが互いを分かろうとする心に変わる。すれば人も自然も地球も宇宙もハッピーになるしかない。そうして俯瞰して物事を捉えられることが必要だと思う。でも、俯瞰できるゆえに、しんどくなったり、辛かったり、諦めたくなる。でもそれはそれで“ある”姿。僕のありのままの姿だ。それに他のみんなも同じかもしれない。みんなも悩んでる。悩みがない人なんてごくわずかだ。でも他のみんなもみんなのおかげで生きている。ならそのマイナスな心を”持つ”だけ無駄じゃないかな。ありのまま”ある”のでいいと思う。
「人生に意味を与えることはなく」はそんなことはないと思う。意味がある=意味を持たせてるという意味なのかな。でも、関係性があるのだから意味はあるはず。そこに“ある”だけでも十分意味だ。

(4)自分が今あるところに十全に依存すること。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

時に、周りの環境に流されてもいいと思う。周りの人の言うことに身を任せてもいいと思う。今の環境に感謝することから始めればいいと思う。
また、この一文は今この「瞬間」に依存せよとのことだとも思う。過去未来を考えても、過ぎたものであり、何がどうなるか分からないもの。だから、今この瞬間どうするか、でしかないはず。

(5)貯蓄し、搾取することからでなく、与え、分かち合うことから来る喜び。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

前半はできてきたと思う。団体に入ってるだけで払わなければならない1万円も、他に使うとすれば自分の欲しいものに使うだけ。その1万円に拘るのなら他に使う1万円と何が違うだろう?浪費?消費? お金が大事じゃないというわけではないが、全てでもないとうこと。
後半はまだまだだ。与えることも分かち合うこともまだできていない。まだ自分一人で満足しようとしてるのだから。そんなこと出来るわけないじゃん。だから、少しでもGIVEの精神を持ちたいのだが、、、。「贈与」についてはまた次回書く。

(6)生命のあらゆる現れへの愛と尊敬。それは物や力やすべての死せるものでなく、生命とその成長に関係するすべてのものが神聖である、という知識の中に見られる。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

神聖の知識ってなんだ。知識があるから愛と尊敬ができるということかな。であればすべての知識が愛と尊敬に繋がるということかな。「愛と尊敬は必須だから、そのための知識をつけろ」

(7)食欲、憎しみ、幻想をできるかぎり減らすように努めること。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

(1)、(2)の執着の話と同じ。食欲よりも栄養を考えよう。身体に良いことをしよう。憎しみより愛を持とう。分け与える喜びを知れば幸せ。幻想より今を見つめよう。今ここにいることで充足してると感じられる。


あと10個以上、新しい人間の資質は述べられているのだが、今回はここまでにしたい。
1ヵ月ほど熟成させた下書きだが、読み返してもまだ変わらない思いもある。
ただ、今ある問いは、「向上心と現状維持の葛藤」
向上心→足りないから、もっと良くしたいから今を改善する
現状維持→今あるもので満足する
この2つは相反すると思う。でもどちらも必要な要素だとも思う。
良い悪いではないが、私はどちらを求めるのだろう。

#熟成下書き


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