「運命」と「宿命」 ー文化資本と親ガチャー
ブルデューのディスタンクシオン。
これを読んだとき、ふと「親ガチャ」についての記事を先日目にしたことを思い出した。
ブルデュー理論に基づくと、経済力に豊かな家庭に生まれた場合、お金があるので幼少期から塾に通い、たくさんの習い事をして教養を身につけ、高校や大学で留学を経験し、大卒や大学院卒の高学歴の肩書をもって大企業に就職する。
逆に経済的に豊かでない家庭に生まれた場合、お金がないので習い事ができず、もちろん塾にも行けないので受験勉強のテクニックを学ぶことができない。本や玩具も十分に与えてもらえないので、環境的にも教養がつきにくい、ということである。
生まれ育った家庭環境や、生まれもった自分の容姿。たしかに私も決して満足ではないし、「お医者さんの子どもに生まれたかった。美人に生まれたかった。」とか思わないわけではない。隣の芝生の青さを、ついうらやんでしまうばかりである。
だけど、そんな願っても変えることのできない事実を言い訳にして、未来に希望を持てず、自分の可能性を信じられず、挑戦を諦めてしまう。それは絶対にもったいないと思う。
現代は格差社会であるとされる一方で、近年は「share」の概念が広がり、シェアリングサービスの需要が高まりを見せている。それをお店で「買う」までには至らない人でも、中古品やレンタルで「触れる」ことはできる世の中になってきており、このサービスの広がりは、「物質的な豊かさ」の格差を補填しているといえる。
シェアよりもっと前から始まっているのは、「情報の豊かさ」の拡大である。今はデバイスとネット環境さえあれば、誰でも無料で幅広い情報が得られる。自分と違う考えや意見を持つ人の価値観に触れ、自分が普段過ごす環境にはいない人たちとのつながりを持てるチャンスが、ネット上に広がっている。
しかし、情報の豊かさには懸念点もあって、“Z世代”と呼ばれる私たちデジタルネイティブ世代なら、情報は誰でも手に入れることができる分、どの情報を選択し、どんなアイデアをいかに効果的に活用するか、さらにスピード感をもってモノやサービスにしていけるか…といった、個人の能力が重要となる。そのため、この先ビジネスでの競争はさらに激化することが見込まれる。
自由が前面に出てきた時代だからこそ、どんなに状況であっても安心できず、心が揺れ動き続ける時代。そんな時代には、自由である反面、たくさんの不安がつきまとう。
最後に、なにかの本からメモに書き留めていた言葉で締めくくると、
自分に与えられた「宿命」、周りで支えてくれている人、今ある幸せに感謝すること。そのうえで、自分の意思で道を切り拓き、夢に向かって努力することで「運命」を変えていきたい。
参考・引用
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