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止まっていた時を取り戻す ー重い決断ー

休職なんてしたら、もう元の生活に戻れないよ…

続きを更新します。
前回の更新分はこちら ↓



休職までの道のり

休職してやる


仕事を休んで2日目、心療内科に向かいました。

予約なんてしていないけど、縋るところなんて思いつかなかった。

『もう仕事はできない』

そう思った。

普段、メイクをしないで外に出ることなんてほとんどありませんでしたが、
この時は身なりに気を使う余裕も何もありませんでした。

ノーメイク、ノーセット、髪はぼさぼさ、おまけに泣きながら歩いている。

すれ違う人の顔なんていちいち見ていませんでしたが、
今思うと自分は怖かっただろうなと思います。

結論から言うと、この時は休職できませんでした。

通っていた心療内科は臨時休業

近くに合ったメンタルクリニックにふらふらと入るが、
「予約の方のみの診療です」と。(そりゃ当たり前だが)

この時、どうやって家に帰ったか覚えていません。

上司からは、「病院に行ったら連絡しろ」と言われていたため、
「病院に行った結果、急性の胃腸炎だと言われて、胃腸薬を処方されました」
と連絡しました。

とっさについた嘘ですが、
心療内科ではストレスが原因の胃腸炎と診断され、
整腸剤や胃薬を貰っていたため、許してほしい。

上司も鬼ではなかったようで、「この1週間は休んでください」と言われました。(現時点で火曜日)

翌日から、休みの連絡を上司にしなくていい安心感で
どっと身体から力が抜けました。

結局、1週間お休みをもらい、次の月曜日から出社しました。

月曜日から出社して仕事する中で、

『なんだ、まだ働けるじゃん。
 あの時病院が休みで、休職しなくてよかった~』

この期に及んでまだそんなことを思っていました。


限界には自分で気づけないものだ


初めて心療内科を受診した日から約4か月後

上記の鬱期(身体が動かなくて仕事を休んだ時)から3週間後

診療内科を受診する日。

前日に、自分がマネジメントをしていたプロジェクトが終わり、
ほっと一息ついていたときでした。

そこまで大きなプロジェクトではないものの、
初めて任されたプロジェクトマネジメント。

任せてくれた上司にも感謝していたし、
協力してくれる自社の先輩方や、
パートナー会社の方の存在にも助けられていました。

ちなみに、私が定期的に体調を崩すことに対しては、
パートナー会社の方が1番心配してくれていました。

私は、
「定期的に胃が痛くて動けなくなるんですよ~ストレスですかね~アハハ」
とこの期に及んで誤魔化していましたが。

このパートナー会社の方には感謝してもしきれないです。

自社の先輩方が忙しさのあまり、私を放置することが頻繁にあったのですが、
無知で憐れな私に呆れることなく、たくさんのことを教えてくれました。

話が逸れましたが、

心療内科受診の日、いつも通り先生に話を聞いてもらって、
お薬を貰って帰るものだと思っていました。

「休職しましょう」

先生が唐突に言った言葉を、この時は妙にすんなり受け入れられたのです。

いつもなら、「いや!まだ働けます!」と断っていたのに、
この時は、「診断書を書いてもらったら休職できますか?」なんて質問までしちゃって。

プロジェクトに区切りがついたからなのか、
私の身体や心が悲鳴を上げていたのか、

あんなに拒否していた「休むこと」を受け入れることにしたのです。


休職のあれこれ

先生の「休職しましょう」の言葉に、
素直に「はい」と答えたことから、休職に向けて動き出すことになります。

この時は土曜日

「来週の月曜から休職してください」と言われました。

しかし、「次の仕事から行かなくていいですよ」なんて言われても
現実味がありませんでした。

だって、金曜日の退社時は月曜日も出社するつもりだったし、

プロジェクトが終わったと言っても、振り返りや収支計算や完了報告等の事後手続きは残っていたし、

私のデスクの上は散らかっているし、


そもそも、いきなり休職だなんてみんなどう思うだろう…
逃げ出した弱い奴って思われるだろうか。
私が残した仕事は誰に押し付けられるのだろう。

素直に休職に応じたものの、頭の中は混乱していました。

先生から診断書を受け取り、

会社(上司)へは親(本人以外)から休職の連絡をすること
私と会社(上司)で連絡を取り合わないことを言われました。

休職の手続き関連での連絡は、私と会社間で行っても良いと言われました。


上司に休職の連絡をしてもらうために、私は親に連絡をしました。

言いにくいというか、とにかく申し訳なかったです。

「少し前からメンタルに不調をきたしていて、医者から休職を勧められた。
上司と連絡を取ることは止められたので、親から上司に連絡してほしい。」
ということを伝えました。

親は快諾してくれ、実家に帰ってきたらどうかと提案してくれました。

親との電話を切ると、涙が溢れて止まりませんでした。

大人になってまで迷惑かけてごめん
健康体で働き続けられなくてごめん
みんなより弱くてごめん
私だけ耐えられなくてごめん

この時点で自己肯定感は地に落ちていたので、
完全に「私が悪い」という思考になっていました。

一旦実家に帰ることを了承し、
祈るような気持ちで月曜日の朝を迎えました。

その夜は全然眠れなくて、心臓がずっとバクバクと音を立てていました。

ほとんど眠れずに迎えた朝、親からの
「上司に連絡完了した。休職はOKだから、あとの手続きは会社の保健師と連絡して。」
という連絡に心底ほっとしました。

それから、私は保健師に連絡をして、休職に関して話を聞きました。

以下に詳細を記載します。

  • 診断書は会社宛てに送ること(送り方の指定はありませんでしたが、私は簡易書留で送っています。)

  • 休職期間の始めは有給消化になること(私は40日近く残っていた。)

  • 有給消化が終わってから、休職期間になること

  • 休職期間も『給与』は支払われるが、7割程度の支給になること(←これが会社によって異なる制度。いわゆる私傷病休職制度。私は2年程度しか働いていなかったので6か月間与えられた。給与なので社会保険料諸々はがっつり引かれます。)

  • 上記期間が終わったら、傷病手当金の支給になること(別途申請が必要。期間は1年半。)

  • 同じ病名での休職期間は最大で2年までだということ

休職について悩む人がいたらと思い、詳細を記載しましたが、
上記は私の場合なので、会社や属する健康保険組合によって変わると思います。


医者から診断書貰う

私から親に連絡する

親から上司に休職の連絡する
↓(上司から保健師や総務へ連絡が行って、社内の手続き)
私から保健師に連絡する

診断書送る

意外に簡単に休職できるんだな、と拍子抜けしました。

会社内での手続きのことは知りませんが、
私は保健師に連絡して診断書を会社に送っただけなので、
手続きに関しては簡単だなと思いました。

休職が決定したところで、荷物を纏めて実家に帰りました。

実家があるところは田舎なのですが、
道中、キラキラ反射する海や新緑の山を見るだけで涙が出てきました。
(この時の私はめっちゃ泣きます)

実家に帰ると、特に変わった様子もなく迎え入れてくれ、
当たり前のようにご飯が用意され、一番風呂を勧められ、
温かい布団で眠ることができました。

休職が決まったその日のうちに、
仲の良かった先輩2人からの連絡はありました。

私のことを気遣ってくれて嬉しい気持ちと、
仕事を放棄して申し訳ない気持ちとが渦巻いて

素直に喜ぶことはできませんでした。

ちなみに、この時点での休職期間は3か月
診断名はうつ病でした。

しかし、「しばらく休め」と言われても、
どう休んだらよいのかわからないのが正直な感想でした。


続きは後日更新します。







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