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今1番欲しいもの

今どうしようもなくなって携帯片手にパソコンと向き合っている。
5分前から無心で溢れ出るままにメモ帳に打ち込んだ文字は既に1000字を超えている。
こんなこと書いても何にもならないし全く生産的じゃないなと思いながら、でも吐き出さずにはいられない気持ちに駆られてしまったので書かせてほしい。

「なんで自分はこんなに自己肯定感が低いのだろう」と毎週のように考える。
こびりついて剥がれない癖みたいに。
そしてこの出口の見えない問いの答えをずっと探し求めている。
探し求めていると言いながら、答えなんか見つかるわけないと半ば諦め気味だけども。

素晴らしいと言えるほどの輝かしい功績はなくても、今まで努力してきて認められたことがあることにはあるのに自分に自信がない。
やらなければいけないという義務感ゆえに頑張ったことはあるし、ただやりたいという意思や興味の赴くままに挑戦したこともある。
その中で自分なりに考えて行動したから得られた結果もちゃんとある。
それなのに、「真面目にやるのなんて当たり前」とか「こんなこと他の人だってできる」と自分で自分に難癖を付けてしまう始末。
こんなんだから、良いところや誰かの役に立ちそうなことを見つけたかなと思っても、いつまでたっても確信を持てないどうしようもない私がいつのまにか出来上がってしまっていた。
我ながら呆れ果てている。

なんでこんなに自信がないのか分からない。
子どもの頃に褒められずに育てられたわけでも、誰かに強く否定されたわけでもないのに。
多分両親は私がこんなことでずっと悩んでいることなんか知らない。
去年就活がうまくいかない中、病気と診断され帰ってきた私に「コロナ禍やしね」と声をかけてくれた母に対して「そうじゃない」と言えなかった。
原因のひとつに、ずっしりと張っている大木の根っこみたいな、このどうしようもない自己肯定感の低さもあるのだと言えなかった。
内緒で文章を書いているこんなところで言っても仕方ないのだけれど、ごめんなさい。

ふとした時にこんな自分が嫌になる。
頭の中で一人反省会みたいなものも開いてしまう。
最寄りの駅から家までの道のりを自転車を漕ぎながら泣いたことも、真っ暗なお風呂場で泣いたことも、頭の中がぐちゃぐちゃになって丸まって寝ながら泣いたこともある。
弱いと思われても仕方ない。
強くたくましく見える友達や、テレビの中で人気者のあの人はこんな経験をしたことはあるのだろうか。

何事に対してもネガティブな私というわけではない。
ポジティブな自分も顔を出すけれど、両足をしっかりと構えてあらゆる方向から吹いてくる風や障害物に負けないように立っていられるほど強くはないからすぐに隠れてしまう。
この世界が何事もポジティブが正義だとするなら、私は少し生きにくい。

この先もこの自分と付き合っていかないといけないことは十分承知しているのに、誰かに、何者かになりたいと願いながら、今の自分から脱皮したいと何度思ったことか。
向き合うことから逃げたらだめだと、諦めるなと幾度となく言い聞かせたけど、見たくないものを受け入れることってこんなにも難しい。
「弱さを見せられる人は愛される」とか「弱さを受け入れられる人は強い」とかいうのが本当なら、こんなことをつらつらと書いている私に誰か一人でも共感してくれたりするのだろうか。
一人でもしてくれたなら少しは救われそうだ。

好きなYouTuberの子が「自己肯定感はなくてもいいし無理に高めなくてもいい」と言っていて気が楽になったりした時もあるが、やっぱりある程度の自己肯定感は生きていく上であるに越したことはないのではないかと思う。
だから私は今の自分を認められる揺るがない強さが欲しい。
目を背けたいことも正面から受け止められるような。
高めるまでとはいかなくてもいいから、自分を苦しめて生きづらくさせない程度の必要最低限の自信は持ち合わせておきたい。
自信の持ち方なんてものも、いつになったらそうなれるのかも分からないけれど、今こうして行き場のない想いを吐き出したことで小さな一歩を踏み出した気がすることもなくはないかな、と思いたい。

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