失われた記憶があることに気づく

忙しすぎて、そのころのことを覚えていないという経験をしたことがある人もいるだろう。私も管理職的役割を担うようになり、さまざまな仕事とお付き合いのなかでとても忙しくさせてもらった。仕事が途絶えないというのはある意味ありがたい話なのである。その期間約15年。

今の生活になり、立ち止まりながらこれまでの人生や仕事を振り返る機会に恵まれた。時間もできたこともあり、友人や先輩、後輩などが食事に誘ってくれる。懐かしい再会に昔話にも花が咲くのだが、話をしているととても大きな思い出なのにその話を振られるまですっかり忘れていたことに気づく。これまでを振り返る生活をしているなかではまったく思い出さなかった思い出。出来事を覚えていないのだからもちろんそのときの顔触れなどより覚えていない。それだけ忙しかったんだなと終わればよかったのだが、どうも忘れている思い出が偏っていたのだ。

プライベートの記憶がない。
仕事のことは流れを追うと思い出せることも多く、そもそも忘れていることも少ないのだが、旅行にいったことや、ご飯を食べに行ったことなどは覚えていない。言われてなんとなくその場を取り繕うが、話の内容的には到底忘れそうにない話だったりする。さすがに焦る。

みなさんにはそんな仕事とプライベートのバランスが偏っていることはないでしょうか?私は無意識に仕事を選び、その他を減らしてきたようである。思い出という大事な部分でさえも。これでは社会に適応なんてできわけがない。大事にしたい人がいたとしても、これまでの意識は仕事だったのだから。きっと忙しくしている自分の姿に酔っていたのか、縋っていたのか、依存していのか何かなのだろう。

自分自身でするひとりでの振り返りはとてもよいことですが、都合の悪いことはこうして省かれていく。もしかすると本当に大事にしたかったことがうまくいかなかった事実から目を背けたいだけだったのかもしれない。それが、他者との思い出話、昔話をすることでふと気づけたわけだ。このタイミングでよかったかもしれない。

そんな忘れている思い出が多いものの、現在のスマホ文化では記録が残っていることも少なくない。完全に抜け落ちた記憶の思い出のいくつかもしっかり、楽しそうな写真としてスマホやSNSに残っている。なんのために写真を撮ったのだろうか。そのときの感情や思考はどういうものだったのだろうか。気軽に記録を残せるようになって余計にあとで確認できると思い出を消し去っていたのではないだろうか。

自分自身で忘れたくない思い出をこれからは増やしたいものです。

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