「忙しそう」と思われたい

口癖は「大丈夫」とセットで会う人会う人に「最近忙しそうですね」と言われる状況というのがあったりする。特に忙しいわけではないのだが、なぜその方々は「忙しそう」と思ったのか?ひさしぶりに会う人からも言われるので、忙しい状況を見られているわけではない。そう、自分で「忙しい」と言っているのだ。

もちろん直接的に「忙しい」と言っているわけではない。
でもまわりにそのように思われるのはSNSの投稿の内容だったりする。「休みがない」「いろんなプロジェクトの様子を報告」「プライベートの内容がない」「たまに仕事の愚痴がでる」といったことだ。あとは投稿時間が遅いとかもあるかもしれない。投稿を見た人が、忙しそうだな、大変そうだなと感じ取るには十分な情報がそこにはある。そしてその内容は、楽しそうだな、うれしそうだなとは受け取れないということだ。

立場が上がってからはプライベートでの遊びなどの投稿より、仕事に関わる宣伝や報告的な投稿、出張にちなんだ話などが増えていった。単純に遊んでばかりいてると思われたくないとか、がんばっている部下に反感を抱かれないようにしているだけなのだと思う。いろいろ考えている風な投稿も増えていく。それが仕事の悩みに見え大変そうにもなる。結果仕事人間に見えるのだ。

また一方で以前の記事で福祉職だったことを書いているが、このような仕事をしていると他者からの仕事(特に外部からの)を断るのが苦手になっていく。ひとまずなんでも聞いてしまい、聞いてしまったからこそ断れないという状況。終わっていない仕事があるにも関わらず仕事を増やしていく。直近で受けた仕事は熱量高いのですぐ手をつけたくなる。結果さきに終わらせないといけない仕事が中途半端に止まる。これを繰り返すと熱の冷めた仕事がどんどん積み上げられていくことになる。これは物理的に忙しさを増していく行為ではある。(仕事の結果はたいてい散々なものになることはみなさんにも想像できるだろう)

忙しさが存在意義の確認ということもあったかもしれない。
おおげさな話ではあるが、忙しいというのはだれかとの約束があるということでもある。もちろん「会う」という約束もあれば、仕事上の契約でいつまでに〇〇という仕事をするということで納期に追われるみたいなものもあるだろう。それも約束である。限られた時間につめこめられるだけの約束を詰め込む。約束は期待や信用の証でもある。だからこそこの約束が増えることは自分自身が必要とされていることのひとつのあらわれでもあるのではないかと思い込む。結果存在意義みたいな話に飛躍する。だから断らない。そしてそんな状態の自分自身に酔うし、がんばっている自分を褒めてもらいたくて、まわりが感じ取れるように「忙しさ」を溢れさせるのである。

至って面倒臭いものである。



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