![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/125005384/rectangle_large_type_2_5224a7b08ad41bc00e1974b4c613197e.jpeg?width=1200)
読書感想 『もしもし、アッコちゃん?漫画と電話とチキン南蛮』 「幸福な話」
ある著者が自著のことを語っていた。それと関連する書籍として、他の著者の本の内容に触れていた。
そのことを珍しく感じたので、読もうと思って、だけど、申し訳ないのだけど、収入が少ないので購入できず、図書館で予約して、少し忘れそうになっている頃に、準備ができたというメールが来た。
2ヶ月が経っていた。
その著書は、思った以上にエンターテイメントだった。
『もしもし、アッコちゃん?漫画と電話とチキン南蛮』 東村アキコ
もちろん著名な漫画家として、著者の存在は知っていたが、文章についての印象は少なかった。
このエッセイは、漫画が大好きで漫画家を目指してしまった子供の頃の私と、私の人生の転換期に常につきまとった「電話」というコミュニケーションツールの物語です。
確かに、1975生まれの著者の視点から見た、そうした歴史的な意味もある作品なのは間違いないし、著者自身が、こうして表現している通りの「物語」ではあるのだけど、時々、そのことを忘れそうになるほど、一つ一つのエピソードが強い。
父親が電電公社(現・NTT)勤務で、転勤が多いため、2年に1度のペースで一家は引っ越しを繰り返していたという。そのため宮崎県や、熊本、福岡など九州のあちこちに住むことになった。そして、著者にとっての印象は、どの地域も人が温かく、優しく、それでいて、こんなにいろいろなことが起きるのか、と思うくらい出来事が多く起こる。
私が漫画を描いた最初の記憶からお話ししますと私が4歳か5歳の頃、都城の祖母の家で、こたつに座っている祖母の後ろ姿をチラシの裏に鉛筆で描いたんです。おばあちゃんはいつも着物で髪をお団子にまとめていて、その様子をなんとなく、後ろからそのままスケッチするようにしたのです。頭を丸く描いて、その中にもう一つ丸を描きました。
すると、それを見た両親と伯母たちが、爆笑したのです。バカウケでした。「見て!このおばあちゃんの頭!丸二つで表現してる!」
みんなが大笑いしている横で、幼心に「なんかすごくウケてるな」と、嬉しく思ったのを覚えています。
コマを割って漫画を描いたわけではないけれど、みんながウケる面白い瞬間を描いた、という感覚が、今、私がやっている「漫画を描いてみんなを笑わせる」という仕事につながっている気がします。今でもはっきり憶えている、私の最初の漫画体験(?)です。
この記憶に関しても、とても明確で、目の前にその光景が浮かぶように描かれているのだけど、他のエピソードを読んでも、おそらくは、今もその出来事が著者の頭、というよりは心の中のイメージとして、そのまま残されているのではないか、と思えてくる。
そのくらい鮮やかだった。
いろいろな事件
熊本の幼稚園に通っている頃でも、著者自身が「事件」と称する二つの出来事があったようだ。
一つ目は、「ノーパン喫茶事件」。
当時、幼稚園で、習字みたいな感じで半紙に四文字くらいの字を書く時間がありました。みんな「すごろく」とか「ひまわり」とかそういう言葉を書いていたのですが、私はなぜか、本当になんでか分からないのですが、その半紙に「ノーパンきっさ」と書いたのです。そのあとの記憶は、家で母に怒られているシーンです。それは今思い出しても身震いするくらいの私の恐怖の記憶です……。
母は大変取り乱していて、泣きながら、その「ノーパンきっさ」と書かれた半紙を左手に握って私を問い詰めてきます。
「あんた、これ、意味分かって書いたとね?ノーパンって、どんな意味か分かっとると!?」
おそらくは、当時は盛んに取り上げられていた「新しい風俗」として、ニュースになったか、バラエティ的な番組でも、一種の歴史のように取り上げられていたから、子どもだった東村アキコは、そこに敏感に反応したのではないか、とも思える。
もうひとつの「事件」は、「サンタクロース事件」だった。
私はサンタさんに、お姫様みたいなドレスをお願いしました。
「しかし……」、年長になって少し知恵がついてきた私は考えました。
外国の子供のように、寝る前に両手を握りしめて「サンタさん、お姫様のドレスをください」とお願いしたところで、おじいさんのサンタさんのセンスで選ばれては困る、と。願っただけで自分の欲しいタイプのドレスが来るわけがない、私が欲しいのは漠然とした〝概念としてのドレス〟ではないのだから、シルエットやディテールを具体的にサンタのおじいさんに提示しないと、ダメだ、と……。そう考えたのをはっきり覚えています。
そしていつものごとくチラシの裏に、(自分としては)完璧なデザイン画を描きました。「袖はこうで、スカートはこのくらいふくらんでて、フリルがこうなってリボンはこれ!色はこれ!」と、かなりの時間をかけて詳細なドレスの絵を描いて、サンタさんに見えるように、数日前からベランダに置いておきました。
そして迎えたクリスマスの朝――。
枕元にやや小さめな包みが置いてありました。
私はそれを見た瞬間「あれ……小っちゃいな……」と、嫌な気配を感じつつ、包みを開けると……。私の描いたデザイン画とは全くジャンルの違う、ごく普通のワンピースが入っていました。しかも色はグレーと紫の間のような、たとえて言うなら着物の色喪服の紫みたいな色です。フリルも何もない、形はシンプルなAラインの、「アルプスの少女ハイジ」が着ているようなシルエットでした。
私はその時、「発注と違う!!」と思って激怒し(6歳の私は当然「発注」という言葉は知らないんですが、気持ちの上で今翻訳すると、間違いなく「発注」という言葉になります)、母に猛抗議しました。あんなに細かくデザイン画を描いたのに、サンタさんは全然違うものを届けてきた!と。
母は困り顔3割、怒り顔7割で、「このワンピースも素敵でしょ!」と私を説得にかかります。
しかし、その母の様子から私は、わずか6歳にして「あれ、これもしかして、サンタさんっていないな?存在しないな?」と疑いを持ってしまったのです。母が一緒になってサンタさんに怒ってくれると思ったのに、なぜか場をおさめようとしてくるその行動に、違和感を覚えた……。
著者も書いているように、母親は大変だと思うのだけど、このエピソードは、のちに、漫画家になる人としては、幼い頃から才能があった、というような印象にもつながる。
東村アキコの著書の引用が長くなってしまうのは、省略することで、伝わり方が弱くなってしまうのではないか、という恐れが出ているせいかもしれないし、そのくらい、ある場面を描写する表現のまとまり感が高いように思う。
漫画の歴史
著者の父親がNTTに勤めていることもあり、テレホンカード、キャッチホン、留守番電話など、1980年代当時では、最新のものに接するのも早く、だから、結果として電話の歴史を記録してくれていて、さらには、不思議なくらい、電話そのものへの愛着も強いままだったようだ。
そして、同時に、小学校時代以降のエピソードも、漫画の歴史と密接に関わっている。
こうして私が楽しく少女漫画を読んでいた頃、クラスの男子はみんな、言わずもがな、「週刊少年ジャンプ」に精神的にも時間的にも経済的にも〝支配〟されていました。
学校で、男子はジャンプの連載漫画の話しかしていませんでした。『北斗の拳』『キン肉マン』『キャプテン翼』……男子の休み時間は、プロレスか、サッカーか、秘孔を突くかの三択でした。
一見どうでもいいようなある日の出来事が、私の生き方に深く深く影響を与えたと思っているのです。
その時の気持ちを今の私の言葉で表すならば、「男子はあてにならない、私がしっかりしなきゃ!」……そういった感じでしょうか。
当時の「男子的な行動」で、一番印象深かったのが、同じクラスの赤星くんという男子の行動です。
赤星くんはキン肉マン大流行の時に、私を休み時間に運動場の体育小屋の裏に連れていき、「アキちゃんはジャンプ読んどるから俺らの仲間に入れてやる」という前置きをした上で、ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』のラストシーンのソン・ガンボくらいの真剣な顔で、「絶対内緒だけど、今週の『キン肉マン』ですごいことが起きたばい」と言うのです。
赤星くんは「絶対に誰にも言ったらいかんばい」と何回も念押ししながら、折り畳んだ薄い緑色の紙――明らかにジャンプの1ページを切り取って四つに畳んだものーーをポケットから取り出して、ゆっくり広げて見せてくれました。
それは、キン肉マングレートのマスクの破れたところからテリーマンの金髪が見えたシーンでした。
その時私は、「これ、別に、秘密にせんでもジャンプに載って全国の書店で売られているやつやん」と」思ったんですが、赤星くんのあまりの真剣さに、黙って頷いて、一応ノってあげました。「えーっ、じゃあ、キン肉マングレートがテリーマンだったってこと!? これは秘密にせんといかんね!」
あの日の帰り道、歩きながら、田んぼを見つめて、男子ってバカだな……」とつぶやいたのを忘れません。
私自身も「男子」だった時代があり、「男子はバカだった」ということは大人になってから思い当たることも多いのだけれど、いろいろと読んだ記憶のある、こうした「男子はバカだった」エピソードの中でも、トップクラスに面白いと思えた話だった。
天才の感覚
著者は、幼い頃から漫画家になりたい気持ちは強く持ち、大学も美大に進みながら、それでも漫画に関して具体的な努力をしなかった、という表現をしていて、デビューも、とてもあっさりして見える。
NTTで番号案内のお姉さんをやりながら、やっと漫画を描き始めた私は、ゴールデンウィーク休みにほんの数日で一気に描いた雑な漫画を、図々しくも「ぶ〜け」編集部に送りました。
それで賞をとったが、その絵が雑すぎて印刷に耐えられないと言われ、もう一本描いてくれ、と「発注」された、という。
その翌月、すぐにもう一本描いて、それがデビュー作となった『フルーツこうもり』です。
これは「天才」のエピソードそのものだけど、著者の出来事に対する再現度の尋常ではないレベルを考えると、納得はいく。
この著書の中でも、さまざまな出来事を鮮やかに記したあとに、何度も、その後の記憶ははっきりしない、という表現もあるから、ある光景が本人の意志とはあまり関係なく、それも視覚的に刻まれるように、過去のこととして、というよりも、今もそのまま息づいているのではないだろうか。
何十年も前のことも、数年前のことも、同じようなフレッシュさで、今も東村アキコのなかには存在している、と思える。
本人には、おそらくは自然なので、それがどれだけすごいことなのか、という意識はなく、だからこそ柔らかく、明るく、人に伝えられるのだと思う。
幸運と幸福
父親の転勤が多く、転校も数多いと、コミュニケーション能力が磨かれる半面、いつかは別れるから深く交流しないようにしていた。そんな話を、同じような境遇の人が、どこかで語っていたような気もするのだけど、このエッセイからは、そうした印象が薄い。
今回、かなり本文を長く引用させてもらったけれど、それでも、これらは本当にごく一部で、全体が、少なくとも同じ程度の強さを持ったエピソードばかりでできているといってもいい作品でもある。
時々、ふいに著名人と同じ場所にいたことを知ったり、弟まで漫画家になったり、犬にかまれたり、飛行機に乗り遅れそうになりながら劇的に間に合ったり、オリンピックのメダリストとの交流があったり------ と、一人の人間が、これだけの出来事に出会えるのだろうか、と思うくらいの豊富さでもあった。
でも、同時に、本当は、ここまで鮮やかでないにしても、どんな人でも、似たような出来事に遭遇しているのかもしれない、とも思えてくるくらい自然な描き方だった。
ただ、私も含めて他の人たちとの違いがあるとすれば、著者の姿勢のようなものかもしれない。
楽しく漫画を描いていたら子供も産まれてママになり、あっという間に30歳になり、そうこうしているうちに、例のアレが発売されました。iPhoneです。
私は震撼しました。
画面が大きく、見やすく、タッチパネルで操作性も良いという、とんでもない機械が私たちの生活に入り込んできました。
私はiPhoneを手にして
「ああ、これは完全にやばい」
と感じました。
それは、漫画の読まれ方が変わる、という強い確信だったようだ。
そして私は、あっという間にスマホ漫画に適応してしまいました。
さらに、もう一つの変化である「縦スクロール」への対応もしている。
私は、日本で最初の韓国で縦スクロール漫画を連載する日本人漫画家になりました。
ここ20年ほど、通信機器の進歩が異常なほど早く急激な変化にも関わらず、そこにフィットしていけるのは、基本的に幸運で幸福な人で、世の中に対して肯定的で、だから、いつも前をまっすぐ見ることができて、視野が広く、いろいろな出来事が起こったのを見逃しにくい能力がある、ということなのだろうと思える。
同時に、そういう存在に対して感じる、嫉妬のようなものが不思議なほど起きにくいのだけど、それは、人に「面白く」伝えたい気持ちも強く、そのサービスするような思いを、読者として、存分に受け取らせてもらったせいだと思う。
つまり、漫画の形式が電話の未来に左右される状況になってきているということなんです。(中略)
漫画が電話によって形を変えていくことはもう止められないのかもしれません。
でも漫画は人の心を動かすことができます。
読む形は変わっても、読者の感動は変わらないと信じています。
「あとがき」に記されたこうした文章も、だから、素直に心に届いてくる。
私が電話が大好きでした。
そして漫画も大好きでした。
このエッセイは、そんな私の、電話と漫画の幸せな思い出を時代と共に記録しておきたいなと思って書き留めたものです。
読み終わった時、ひそかに小さく拍手をしたくなるような気持ちになった。
こんなに嫌味が少ない幸福に関する話は珍しいと思う。
(こちらは↓、電子書籍版です)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
#推薦図書 #読書感想文 #もしもし 、アッコちゃん?
#東村アキコ #漫画家 #漫画 #電話 #歴史
#1975年生まれ #毎日投稿 #視覚的
#エッセイ #テレホンカード #キャッチホン
#留守番電話
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。