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読書感想 『持続可能な魂の利用』  松田青子   『「おじさん」消滅の正統性』

 残りベージが少なくなった時に、ここまでの、この小説の蓄積を考え、とても面白かったのだけど、ここからどうするのだろう、と思っていたら、ある意味では、全部を書ききったけれど、でも唐突な印象で終わった。

 この感じは、その小説も、きちんと読めたかどうか自信はないものの、どこか「百年の孤独」の読後感を思い出すような、すごく広げた世界が一気に姿を消すような虚無感があった。希望が示されたけれど、絶望が残された。それでも、感想を一言でいうならば、シンプルに「とても面白かった」だった。

『持続可能な魂の利用』   松田青子

 小説の中に出てくる「おじさん」もしくは「おじさん的」なことに対して、読み進めるうちに、嫌悪感は高まってくる。

 たとえば、冒頭に描かれる現象についての「おじさん」たちの取り組み方。ある属性の人たちと、「おじさん」の間だけに起こった不思議なことに関して、その属性の人たちへの研究や調査は盛んにする一方で、「おじさん」たちの共通する態度についてのエピソード。

 自分たちの心体に何が起こっていて、自分たちの何が原因なのか、といった点には決して踏み込もうとはしなかった。
 何であろうと、「おじさん」は自分自身に原因があるとは信じたくなかったのだ。

 悪質なセクハラを繰り返す「おじさん」が、女性を見下しているがゆえに、気がつかないことに関するエピソード。

 どうして「おじさん」は、女性同士が情報を共有していることに思い至らないのだろう。知らないのかもしれないが、女たちは話すのだ。表向きはなんでもないふりをしているが、裏でセクハラやパワハラをするやつの愚痴やただ言い合っているようで、それは立派な情報交換なのだ。情報は女を守り、救うのだ。たぶん、「おじさん」は、そういうつながりが持ったことがないのかもしれない。だから、わからないのだ。だから、恥ずかしくもなく、嘘をつき、自分に都合の良い勝手な物語をつくろうとするのだ。そんなのバレバレなのに。

 完成度の高い韓国のアイドルよりも、「未熟」も価値としている日本のアイドルを、「おじさん」が、より支持していることに関するエピソード。

 つまり、日本の中高年男性にとって、女の子は、自分たちを安心させてくれる、どんな意味でも脅威にならない存在だったのでしょう。いえ、どんな意味でも、脅威にならない存在であるべきだった。  

 この小説の終盤で、そんなことはあり得ないけれど、もしそうなら、現代の日本の「おじさん」が運営している国のありかたのおかしさに、すごく納得できる設定が出てくる。

 だけど、その設定は、絶望感がないと出てこない発想だと気づき、それは、特に女性を追い詰めてきた結果だと思い、小説の最後で、様々なものが終わるのは、そうした絶望のためであり、それを生んでいるのは、今の「おじさん社会」であるのも間違いないと思えてくる。

「おじさん」の描写の正確さ

 たとえば、作品の中で、「おじさん」的な特徴を示す、こうした部分には、その表現の正確さと、そこに微妙な恐さを感じる。

『ねえ、「おじさん」って心のどこかある部分が動いてないように見えるときない?動いてない部分がどうなってるのかすごく気になるんだけど』

 中年男性のいわゆる「おじさん」が、楽しそうに見えない、という指摘は、この小説の中でもされていて、それ自体も、これから書かれるべきことだと思うが、こうした描写で思い出すことは、いくつかある。

 昔から知っている人間は、会うと、その昔からのイメージも重なるから、おそらくは正確に現在を見ていないのは、たぶん、お互い様なので、中年になってから初めて会う男性と話していると、自分のことは棚にあげて、不思議に思う時はある。

 たとえば、そういう男性に、何かを問いかける。
 ビジネス的な文脈での話題だと、その反応は自然で、早くて、会話もスムーズなのだけど、それとは別に、少し個人的になったり、あなたはどう思いますか?といった感情にまつわる話をした時に、急激に反応が遅くなる人がいる。

 それほど踏み込まないような問いかけをしたつもりだったのだけど、急に反応が止まったようになり、表情も固まり、まずいことを聞いたのかと思っていたら、妙なたとえだが、グラウンド2周くらい走って戻ってくるような感じで、答えが返ってきて、ビジネス的な話とのあまりの違いに、とまどったことはあった。

 だけど、その人とは別の中年男性に話を聞いた時に、その原因が分かったように思ったこともあった。

 仕事をしていくのは、自分自身の感情的なところを使わないようにしていくことだと思ってきて、そうであるように、長年、一生懸命やってきた。

 そうであれば、感情に関わる話になった時に、異様に反応が遅れるのも、納得感はある。ずっと、気持ちの底のほうに仕舞っているものを出す遅さだったのかもしれない、とは思った。

 ただ、それは自分にとって、他人事だろうか。
 「面白かった」と読み終えたあと、こうして振り返る時に、そのことも、どこか恐さや、後ろめたさとともに考えさせられる。

自分の中の「おじさん」

 私は昭和の生まれで、たとえば、若い時に同じ小説を読んだら、たぶん違う感じ方をしていたはず、という自覚はある。今から振り返れば、明らかに男尊女卑的な世界で育ったが、それがおかしいというようなことを感じにくい社会だったのは間違いない。

 男性として生まれ、今になってみれば、どこか下駄をはかされていたことにも、まったく気がついていなかった。たとえば、就職活動で、売り手市場といっても、それは「男子学生」に限るものだったことを、どこかで分かって、そこに微妙な違和感はあったものの、積極的に異議を唱えることもしなかったし、自分自身のことで精一杯だった。

 昭和の頃は、おそらくセクハラという言葉もなかった。だから、若い時のほうが、この小説に出てくる「おじさん」的な要素は、自分の中で、今よりもはるかに多く、濃度も高かったし、女性に対しては、無神経なことも言っていたように思う。

 そんなことを思うと、こうした小説をただ「面白かった」と紹介していいのだろうか、という後ろめたさは消えない。そして、今の自分が、どの程度「おじさん」なのかも、自分自身では正確には分からない。


「経団連」の同質性への印象

 日本の「サラリーマン」(やはりビジネスパーソンという言い方は、この場合は合わない気がする)の頂点の集団である「経団連」が、あまりにも同質であることを知った時に、恐さと気持ち悪さと、やっぱり、という思いになった。

 私自身は、会社という組織で働いたのが3年ほど。あとは10年ほどフリーランスで働き、無職で介護に専念していた期間も10年くらいあった。
 だからといって、考えや性格が変わるわけではないけれど、環境の影響は大きいので、虚しい仮定と分かりながらも、もし、自分が会社という組織に何十年もいたとしたら、やっぱり今とは違うと思うし、もしかしたら、「経団連」の同質性についても、違う感想を抱いた可能性も高い。  
 つまりは、今とは逆に、同質性に対して好感や共感を持てたのかもしれない。


この小説をオススメしたい人

 これから先も、社会の中で生きていこうとしている男性、特に中年になって、今まで通りにいかないのではないか、という微妙な不安を抱えている人に読んでもらえたら、と思います。私もそんなに偉そうなことは言えないものの、たぶん、そういう人は、変わらないと、という気持ちが、どこかにあるので、そのきっかけになり得る気がします。

 小説の中には、具体名は書かれていませんが、あるグループとはっきりと分かる存在がかなり重要な意味を持っているので、できるだけ、早く読んだほうが、そうした気配を含めて、より理解できるし、楽しめると思います。



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