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読書感想 『どうして就職活動はつらいのか』 双木あかり  「切実で貴重な21世紀日本の記録」。

  とても個人的なことだけど、就職活動を2回したことがある。
 1度目は、最初に大学を卒業する前。
 2度目は、中年になって、資格を取る前後。

2回の就職活動

 最初は、バブル前だったので売り手市場だった。内定を5つもらった、という話も珍しくなかった。ただ、個人的には苦戦をした。大学4年生の春くらいから始まっていて、10月には決まっている人が多かったのだけど、私は面接でよく落ちて、決まったのは12月になっていた。最初に春夏用のスーツを買ったのだけど、就活用に、冬用のスーツまで用意した。同じ時期まで就活しているのは、同じ学部では、もう一人くらいしか知らなかった。いってみれば、好景気の中の「就活の落ちこぼれ」だったと思う。


 2度目は、2010年代だった。家族の介護をして、仕事をやめ、無職のまま10年が過ぎ、資格をとろうとして学校へ行き、卒業した年に、仕事を探した。まだ介護中だったから、午後数時間のアルバイト的な仕事しかできなかったけど、それでも履歴書はやたらと戻ってきたし、封筒のふたがあいたまま、送り返されてきたこともあった。「お祈りメール」という言葉も知ったし、落としておいて、文末に「ご活躍をお祈りします」とあるのは、微妙な不快感があった。インターネットの応募もできるようになって、バブル前の就活と比べて、やたらと数多くの応募ができるようになっていた。そして、何の返信もない場合も増えた。

 電話がかかってきて、年齢を伝えたら、しばらく沈黙があり、もう少し若ければ、と言われたが、年齢は履歴書に書いていたのに、そう言われても、何も言えなかった。

 応募して落とされるのが40カ所を超えた頃、中年になり、図々しくなっていたはずなのに、自分の存在そのものが否定されるような気持ちになった。面接すら、してもらえない。就活の期間が1年をこえて、70カ所を上回った頃、やっと月に1度の仕事が決まった。

 本当に就職活動をしている学生から比べたら、たいした経験でもないし、それに歳をとっている分だけタフになっているはずだった。だけど、何か、人として、とても軽く扱われているような感じがして、それが辛かった。

 そんなささやかな経験に過ぎないけれど、企業の採用の方法の質が変わってきている感じは、なんとなく分かった。それは、ずっと経済が下降線だった、ということが大きいとは思うのだけど、社会の変化が、ここにも象徴的にあらわれているとも思えた。

『どうして就職活動はつらいのか』 双木あかり

 この本を読んで、今の就職活動の大変さが、ほぼ初めて、具体的に想像がしやすくなった。

 就職活動をして、そのことを、現役の大学生のまま、卒論として書く。それは、おそらく本人でさえ、その時にしか書けないような、「切実で貴重な21世紀日本の記録」だと思った。

 そして、これは、いくつかの条件、(少なくとも4つ)が揃わなければ、誕生しなかった本だと感じた。

 まず、就職活動の経験をした当事者が、そのことを形にしようと思い、それを達成したこと。
 それは、辛い経験であれば、忘れたいことだし、書いていく中で、またその辛さが蘇ることも分かっていたはずなのに、そのことを覚悟した上で、始めたのだと思う。その上で、きちんと完成させたこと。さらには、書籍にするには、また違う作業があったと思われるにもかかわらず、それもクリアしたこと。

 

 それから、卒論として書くことを後押しした指導教官がいたこと。
 大学の卒論は、かなり許容量が広いと言われているが、就職活動そのものをテーマにしようとした学生の意志を尊重し、完成までを見守ったこと。

 検索しただけで、何かを語るのは失礼だけど、指導教授は、宮地尚子氏。精神科医で社会学者という幅の広い研究者。こうした傷つき体験でもありえることの、再現につながる作業をしたとしても、その危険性を見極め、支えることもできるだろう。その上で、個人的な体験を社会的な課題として捉える視点を、提示することも可能だと思えるので、こうしたテーマの指導には、生意気な言い方で申し訳ないのだけど、本当に適していたと思える。


 そして、本にしようとした編集者が存在したこと。
 「おわりに」を読むと、指導教官が、紹介したというのだけど、それは、この卒論を元にした作品に、広く読まれる価値があると見極めたということでもあると思う。ただ、そこからは、プロの編集者の決断があったはずだった。大月書店の書店編集部 西浩孝氏。大学院生の修士論文が本になることは、それほど珍しくないのだけど、無名の大学生の卒論を、「若い女性」という価値を前に出さないで、商品にしていく、というのは、出版不況が続く時代では、かなり難しかった可能性はないだろうか。

 さらに、遡れば、こうした卒論のための調査に、協力した学生がいたこと。
 誰も協力しなかったら、個人的なエッセイになってしまうだろうし、一人も協力しなかったら、おそらく著者も、そこで挫折していたはずだから、協力者の存在は大きいと思う。ただ、この本を読んで思うのは、学生の協力者も、「どうして就職活動がつらいのか」を、知りたかったはずだとは思う。


エモーショナルな動機

 著者のあとがきである「おわりに」は、まるで「歌」のようだった。
 アカデミックな書籍なのだけど、それを支えているものが、明らかにエモーショナルな動機でもあることが分かる。そのことが、人に伝えるには、実は必要であることを、証明しているような文章にも思える。

 その時にしか書けないことを、気持ちの底に、理不尽さに対する怒りみたいなものも抱えながら、それでも分かりたいし、伝えたい、という思いの強さにのせて、この文章は書かれていると思う。(そして、もちろん、この著書全体も)。

 少し長いけれど、引用したい。

    

 私自身の就職活動は、四月に複数社から内定をもらい、志望していた企業に入社を決め、比較的早い段階で終わった。今のところ会社に大きな不満はないし、楽しく働いている。
 それでも、私は就職活動がつらかった。つらくてつらくて仕方がなかった。全然似合わない黒いスーツを着て、好きでもない鞄と靴を身につけて、スマートフォンを握りしめ、移動中の地下鉄でいつ泣き出してもおかしくないくらい、毎日毎日はち切れそうな気持ちに必死で耐えていた。あんなにつらい気持ちをどうしのいでいたのか、自分でもよく覚えていない。家族や友人の支えがなかったらどうなっていたのかわからない。
 就活を終えてしばらくしても、なぜ自分があそこまでつらい思いをしたのか、よくわからなかった。人に聞かれても「とにかくつらかった」としか言えなかった。
 それでも、それが私の個人的な体験なら、とにかくそういうものだったとそのままにしておいたかもしれない。私が信じがたかったのは、これだけの苦しみを、私と同時に就職活動をおこなっていた人がみんな多かれ少なかれ抱えていて、それがこれまでもこれからも変わらずずっと生み出されていくだろうことだった。もちろん就職活動の苦しさの中には、社会に出るにあたって学んでおくべきことも少なからずある。それでも、これから社会に羽ばたこうとしている若者を、社会がここまで構造的に痛めつけている理由が私にはどうしてもわからなかった。この本や元になった論文を書きながらいつも、就活にはよくここまでたくさんの傷つきの要素があるなとある意味では感心したし、そのたびになぜだか泣きそうになった。

どうして就職活動を、つらいものにさせてしまっているのか

 世代間の意識のギャップという考えは、あまり安直に使ってはいけないと思うのだけど、現在の就職活動に関しては、ちょうど親子の間。もしくは、企業の採用の決定権がある人物と、就活中の学生の間で、決定的に意識が違っているのが、より就職活動を辛くさせていると思う。

 就職活動という共通の体験のはずなのに、その実態は、この30年くらいで決定的に違ってしまっていると思う。それは、好景気と、景気後退というまったく違う局面での就職活動になるから、前者は売り手市場で、後者は買い手市場と、立場も逆になる。つまり、今、採用する側にある世代が、好景気の時の就職活動しか知らない場合が多いと言える。

 たとえば、大企業志向は、おそらく30年前から変わっていないと思うが、昔の「就職活動の落ちこぼれ」として、うっすら覚えているのは、その志望動機は、まずは待遇がいいこと。それを上回る動機として、「誰もが知っているところに入ったほうがいい」という、いってみれば見栄の部分も大きかったのは、売り手市場だったから、という要因は大きいはずだった。大学生であれば、正社員になれるのは、前提条件のような時代だったからだ。(「ただし男子学生に限る」という暗黙のルールは存在していたが)。

 著者は、「21世紀の就職活動に臨む世代の意識」として、こんな記述をしている。

 私は1990年生まれだが、小学生の頃、「ごっこ遊び」の定番は父親がリストラされるか、がんの宣告を受けるストーリーだった。
 どんなに大きな企業の正社員になっても一生の保証はないということはもうわかっている。でもだからこそ、少しでも安全な場所に行きたい。そうした思いが若者を大企業・正社員志向にさせ、就職活動に対するプレッシャーを強めている。 
 そこにあるのは、たとえるなら「一度きりの渡し舟に乗り遅れたらやばい」という計り知れない焦燥感・切迫感のみである。

 もちろん、学生は、いつの時代でも切実だと思う。だが、今、引用したような言葉から受ける印象は、好景気の頃の、就職活動の時の学生の切実さとは、やはり、質が違っているように感じる。昔は、個人的な記憶に過ぎないが、私だけでなく、周囲にも、これほどの切迫感はなかったと思う。

これから、具体的にできること

 そんな「つらい」就職活動のあとに、この著者は、「おわりに」で、さらに、こうした文章を続けていて、怒りがありながらも、その利他的とも思える思考に、頭が下がる思いにもなる。

 学生は無防備だ。まだ社会で自分として生きていく術を知らない。開きなおっても耳を閉じてもいないから、無限の可能性をもっているし、脆くもある。現在の就職活動が若者のそうした特徴を理解せず、不必要に痛めつけている中で、この本に書いてあることの何かひとつでも、苦しみを抱えている人の手助けや装備のようなものになればいいと思う。

 21世紀に入って、特に日本は、社会のあちこちが壊れてきている感触はある。それが、コロナ禍で、より露わになっている印象もある。

 ただ、これから、少しでも何かをまともにしていくのではあれば、他人事のように偉そうには言えないが、具体的な小さなことを積み重ねていくしかないはずだ。

 この本に引きつけて言えば、たとえば入社システムだけでも、志望者に過剰な負担をかけないように変えていくことは可能でもあると思うし、それは、その企業そのものの価値をあげることに間違いなくつながるし、そういう小さな積み重ねで、少しでも社会が真っ当になっていくのだと思う。

 だから、特にこれから就職活動に向かっていく学生にも有用な本になるのは当然として、大人、それも社会的に力がある人ほど、読んで欲しい。それは、おおげさにいえば、今の日本が、どのような課題を抱えているのかが、就職活動という視点から、これまでよりも、より高い解像度で書かれているからだ。



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「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」①2020年3月

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