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とても個人的な平成史⑧「進まなかった男女平等」

 今回のことは、書くのは難しいことだと思っています。
 私自身は、昭和に男性として生まれて、ジェンダーも男性として生きてきて、若い頃には、それこそ、ジェンダーという言葉も知らないくらいでした。
 そんな人間が、「男女平等」といったことを、個人的とはいえ、書くことができるのか、書く資格があるのだろうか、といった気持ちはあります。

 ただ、こうしたことを書こうとする時に、若い時には、こういうためらいも持たなかっただろう、と思うと、それが個人的な変化なのかもしれません。自分の見たり聞いたりした範囲だけですが、少し振り返ってみたいと思います。

男女雇用機会均等法

 この法律ができたのは、昭和の終わりの頃だった。
 その当時は、まだ昭和が終わるとは思われていない頃で、そして、バブル景気を迎える頃だったから、経済的にも恵まれていた時代だとも思う。
 昭和の終わりの頃、1980年代の後半でも、就職試験の面接で、女性には、彼氏はいるの?といった質問が普通にされていて、就職活動をしている頃にも、一人暮らしは不利で、親戚と同居している女子学生のほうが評価されやすい、といった話が真剣にされていた。

 そのことに対して、プライベートと仕事と関係あるのだろうか、とも思っていたが、今では、絶対に許されない面接が、1980年代では平気でされていた。そして、そうしたことへの違和感や反発は、21世紀の今より、はるかに少ないのも事実だった。

 女性は結婚するのが当然、というような見方もされていて、「クリスマスケーキ」というようなことも言われていた。これすら、クリスマスのありかたが違ってきているので、今は伝わりにくい部分がさらに出てきていると思うのだけど、12月24日までは価値があるクリスマスケーキが、25日になると、値段を下げてでも売られるようになる、という事実にもとづいて、女性は24歳までに結婚しないと、みたいなことが冗談として言われていた。

 それが、どこか気の利いたジョークのように扱われていたとも思う。
 ただ、大学を卒業したとすると、就職して、24歳なんて、すぐだし、その頃も男性に対しては、それほど、年齢的なことは言われていなかった。

 そんな時代に、男女雇用機会均等法が施行された。
 1986年に施行されたのは、憶えていて、だけど、それで何かが大きく変わる、みたいな期待とか予感もなかったように思う。女性の後輩が就職活動をしていたが、そのことによっての変化の話題は出なかった。

 私は、社会人になったばかりだったが、すでに転職をしようとしていて余裕もなかった。そんな風に無関心でいられるのは、男性だったから、ということもあるのだろうけど、女性でも、そのことを話題にしている人は学生ではまだ少なかった印象もある。

 今は、そのことについての変化を、あまり知らないこと自体が、自分の無関心のせいだった、と思う。

昭和の終わりから、平成の職場

 私は、最初に就職したのが某スポーツ新聞社だった。
 フロアに女性は、経理担当の1人だけだった。
 男ばかりで仕事をしていて、取材対象はもちろん男女は関係なかったのだけど、その職場は2年足らずでやめていた。

 そのあと、出版社で働き始めた。早く、自分が書きたいことを書けるフリーのライターになりたかった。もちろん、そんなに自由に書きたいことだけを書けるわけもなかったけれど、編集に関わるようになって、自分が書きたい気持ちは強くなっていった。

 出版社は、スポーツ新聞社に比べたら、女性は多かった。
 それでも、編集長や、役職がついているのは男性ばかりだったと思う。
 ただ、そのことに疑問を持てなかった。自分のことで精一杯だった。仕事をしている時は、仕事ができるかどうかが一番大事なことだった。

 昭和の終わりの頃にフリーのライターになったら、平成になった。
 マスコミも組織的には「男社会」で、だけど、組織の一番下で働いた経験しかなかったし、何しろ3年しかいなかったから、「組織」というものが分かっていなかった。それに、「男社会」を特に意識しなかったのは、やはり、自分が男性だったからだと思う。だけど、何年かたって、スポーツ新聞社で、初めて女性の記者が働き始めただけで、ニュースになったくらいだから、やっぱり「男社会」だったと思う。

 フリーのライターとして、働き始めていて、担当の編集者は男性が多めだったが、女性編集者も当然いた。女性誌では、女性編集者が多かった。同業者には男性も女性もいて、現場では一緒だった。男ばかりという印象ではなかった。

 平成では、10年くらい、そうやって組織の外で働いた。
 もし、企業という組織で働いていたら、また違う光景を見てきたのだと思う。 
 仕事に関しては、男女について、考えることも、ほとんどなかった。プロとしての技量ばかりを考えていた。それは、やはり男性だったから意識しないですんだのではないか、と今になると思う。

 セクハラという言葉が少しずつ聞かれるようになっていたが、その頃は、まだどこか冗談の中で使われるような印象があった。つまり、それで仕事を失うような行為と思われていなかったはずだった。

 パワハラという言葉は、個人的には、まだ聞いたことがなかったが、編集者とフリーのライターの関係性は、圧倒的に力に差があるので、基本的に、パワハラの構造を含んでいたと今ならわかる。正当なことを主張しても、編集者に合わないと思われたら、ライターは即座に、仕事が減ったりすることもあった。

 私は結婚もして、妻の実家のそばに住むようになった。
 自分の親が結婚に反対していた、ということもあったし、妻の母親のほうが年齢が高く、いろいろと介助が必要になると、思ったせいもあった。

介護の世界の男女平等

 1999年に、急に私の母親に介護が欠かせなくなり、そのうちに自分も心臓発作を起こしたことや、妻の母親にも介護が必要になったので、仕事をやめ、介護に専念することになった。売れないフリーのライターだから、何度か仕事を断っただけで、きれいに無職になった。

 介護に専念する時間は、10年以上になった。

 介護をしていて、「男なのに偉いわねえ」という言い方をされたこともあった。
 母親と歩いている時に、「娘さんだったらよかったのにね」と大きめの悪気のない声で伝えられた。
 周囲は、女性が圧倒的に多かった。専門家も女性が多く、介護に専念していると、男性は珍しがられた。しかも、30代で介護生活に入ったので、自分では「もう歳だから」と思っていたのに、急に「若手」に見られるようになった。
 年上の人に、介護に関して、その人の知り合いの経験の話で、微妙に説教もされたりした。

 男性で「若手」。今までも組織で働いていない部分では「マイノリティー」だったと思うのだけど、気がついたら、おおげさかもしれないが、介護の世界でも「マイノリティー」になっていた。ただ、それは、介護は女性がおこなうもの、という考えが当たり前にあったことの、反映でもあったと思う。

 介護を続けながら、今はなくなってしまった「ヘルパー2級」の資格を取った時も、教室は9割が女性だった。他の男性は、私よりもかなり年上だった。どうしてそんなに若い人がここに、などと男性講師に面と向かって言われた。ただ、考えたら、私より圧倒的に若い女性もいたのに、その人は、そういう風に言われていなかった。

 周囲の人に恵まれて、その講義を受けている時間は楽しかった。毎日、周囲の、自分より年上の女性の方々とお菓子の交換をするようになった。それでも、あまり話をしない女性には、男に何ができるのよ、などと言われることもあったが、幸いなことに、よく話をする女性が、かばってくれたりもした。

 介護に関わるのは、家族も、専門家も、圧倒的に女性が多かった。それだけ女性が多いのに、介護施設などの責任者は、男性、それもかなりの年齢の方ばかりだったと思う。

 男性介護者が、介護殺人の加害者になることが多いという報道がされたあとは、「男性介護者は危険なんですってね」と、言われたこともあり、どう答えたらいいか分からなかった。
 介護者支援の専門家の講演で、「男性介護者は〇〇です」という話がされていた。その「定型」の中に自分はいなかった。時々、偏見としか思えない言い方に、支援に対する期待が小さくなった。
 フェミニズム で著名な人の本の中で、男女問わず、今の介護者を、どこか下に見ているような表現に出会って、なんだかがっかりした。
 「介護は誰にでもできる」という発言が注目をあびたこともあった。それは個人の勝手だと思うし、その見方は粗いとも思ったのだけど、それよりも、その発言に、思ったより賛同する人が多いような感じが、こわかった。

実は、変わっていなかった社会

 2014年(平成26年)に資格をとり、15年ぶりに細々と仕事を始めた。女性が多い資格でもあり、働き始めた場所で接するのも圧倒的に女性が多かった。
 その時は知らなかったが、もうすぐ平成が終わる頃だった。
 
 元々、社会のことをわかっているわけでもなく、あまりにも狭い視野なのも自覚していた。私は会社組織の中にいたのは3年足らずだったし、ここ15年は、ほぼ介護をしていただけだったから、本当に何も知らないままだった。自分が若い頃は、男尊女卑的な言動もとっていたと思うし、今だって、本当のところは、分からない。だから、男女平等に関しては、何もしてこなかったし、何かを言う資格があるとも思っていなかった。

 ただ、男女雇用機会均等法が施行されてから30年くらいたつし、時代は進んだのだし、ずっと経済が下降線で、人口が減っていく中で、女性を排除するような余裕など、あるわけがないのも明らかだから、いい加減、男女平等は進んでいるとなんとなく思っていた。

 それでも、そうではないと思えるような出来事も、だんだん見聞きする機会が増えてきたようにも思っていた。そのすべての例をあげることもできないし、語る力もないが、その中で、「女性の活躍応援団」と主張しているポスターに男性ばかり、といわれた出来事があったのは、平成の終わりの頃だった、と思う。そのビジュアルは、「変わらなさの象徴」のようにさえ見えた。

 さすがに、その後、そのビジュアルは変更されていたようだった。だけど、活動の趣旨の中で、「県内企業のトップの約9割が男性という現状から、男性トップの意識改革が重要であり、男性トップから男性トップへの働きかけが効果的であると考え、メンバーはあえて男性としています」という発想自体が、女性を排除しているように思えるのは、考え過ぎだろうか。本当に応援するのであれば、県内企業トップの約1割の女性も参加した方が、有意義な活動になりそうなのに、と思うのは、企業という組織を知らない人間だからだろうか。そして、その活動が「善意」によるものだというのも分かった気がしたが、だからこそ、より困難さも感じてしまった。


 平成から令和に時代が移る頃、ジェンダー不平等指数が、2019年には、149カ国中で110位で、かなり低く、あの男女雇用機会均等法はなんだったのだろう、というような気持ちにもなっていたが、2020年の発表では、153カ国中で121位とさらに下がっていた。なんとなく、イメージでは進んでいたと思っていた日本の「男女平等」の現実が見えてしまったような気もした。

 そういえば、その頃、認知症の講演会のような場所で、最初に演壇に立った講演者に、声が小さくて聞こえない、といった男性の怒鳴り声が飛んだのを聞いた。その時、思ったのが、その講演者が、女性ではなく、男性だったら、そんな声をとばしたのだろうか、とは反射的に思った。

これからの人たちの意識

 その一方で、20代から30代の人たちと知り合うようにもなり、結婚した相手のことを、配偶者と呼んでいる男性を複数知るようになって、それは、やはり男女は平等である、ということが自然に肌に染みているという印象を受けた。

 そのことは、正しいことをする、というよりは、そのほうが幸せに生きられるから、という自然な姿に見え、もともとは男尊女卑的な時代に育った私のような人間から見ると、少しうらやましいし、そういう人たちが増えてくれば、社会は、確実に変わっていくのだろう、という希望に見える。

 意識が変わっていく、というよりは、そういう人たちは、最初からそんな風に育ってきて、その姿勢を、こちらが気がつかされる、ということなのだろう。

 もちろん、世代だけで区切るように語るのは愚かだとは思うが、割合でいったら、若いほど、自然に男女平等を体現している人たちが多くなっている感覚はするから、楽観的に過ぎるかもしれないが、平成では無理だったけど、令和から変わっていくと思う。


 これからも、「変わらない人」は、おそらくは「非難されないように」と言う姿勢でジェンダーのことは扱うだろうし、変わっていく人は、誰もが、より生きやすい社会の前提条件として、平等な社会を目指すように思う。だから、「変わらない人」と、「すでに意識が違う人」は、下手をすれば分断するしかないのかもしれないが、ただ、「すでに意識が違う人」のほうが、圧倒的に若いことが多いから、それが生物としての代替わりになっていくのかもしれない。

 平成は、「変わらない人たち」が社会の中で力を持ち続けたから、ずっと「男女平等」さえも実現に近づけなかったと思う。他人事のように語れないけれど、おそらくは、その「変わらない人」たちは、本人たちも気がつかないほど、気持ちの深いところで、「男女平等」を拒んでいたとしか思えない。そこを詳細に考えるのは、私には力が足りないが、その拒む動機は、本人にもわからないと思うが、おそらく幸福な原因ではないとは思う。


この「とても個人的な平成史」シリーズについて


 「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。
 新しい令和という元号が始まって、すぐに今のコロナ禍になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろな記憶が消えていってしまうようにも思いました。
 だから、個人的にでも「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。


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とても個人的な平成史⑦『雑誌の隆盛と衰退』  「広告でペイできるから」。

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