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読書感想 『しかし…―ある福祉高級官僚 死への軌跡』 是枝裕和 「妥協しない選択で、初めて開く道」

 仕事をしている人であれば、締め切りや納期に追われるようなことがまったくない、ということは考えにくい。そして、同時に、こんなことを言われたことがないでしょうか。

「今回は、まずは仕上げることを優先させてください。次にもう少し時間の余裕がある時になったら、もっと質にこだわってください」。


 もしくは、かなりベタなことですが、作品もしくは商品に関して、こんな言われ方をされたことはありませんか?

 「まずは、今、売れ筋のモノを作ってください。成功してから、その時に自分がやりたいものを制作してください」。

 かなり以前から、そんなことは言われ続けていて、だけど、その後に、本当に、「質にこだわったり」、「やりたいものを制作」できた、というのは、ほとんど見たことも聞いたこともない。仕上げることを優先させること。売れ筋のモノを作ること。それをいくら続けても、ただ終わりがない毎日が続くだけ、ということになっていると思う。

 仕方がないのだけど、それが生活であり、生きていくことであり、世の中なのではないか、と思っていた。

「しかし…―ある福祉高級官僚 死への軌跡」 是枝裕和

 今は映画監督の是枝氏が、テレビのドキュメンタリー監督の頃。それも、若き日の是枝氏が初めて最初から製作したドキュメンタリーのテーマを、さらに本にした作品。水俣病裁判の国側の責任者として患者と行政の板挟みになって、53歳で自殺してしまった山内豊徳氏が「主人公」のノンフィクション 作品で、1992年の出版でありながら、今でも十分に通用するエピソードばかりといってもいい。

 低成長時代に入って公害対策に予算をさきたくない企業と、その企業と協力関係を維持し続けたい政府、その機嫌取りに終始する一部のマスコミが水俣病を始めとする公害患者切り捨てのため、組織的な取り組みを行なった。彼らは経済団体や通産省を通して厚生省や環境庁に有形無形の圧力をかけた。 

 こうした患者を切り捨てようとする行為を、正当化する理由が、公害病の患者を救うよりも先に、国全体の経済の力を十分につけることが先という「論理」だった。そのために貢献している企業に対しては、そうした公害病の責任のことは「大目」に見て、再び経済が発展し、それから十分な補償を、というような「論理」でもあったが、それは理不尽なことだった。


 さらには、正当な生活保護受給者の補足率をあげる前に、不正受給者ばかりを叩いて、その利用の障害となるような報道が続く21世紀の現代と似たようなこともあった。

(1976年頃) 
 この頃から『週刊新潮』などを中心に「ニセ水俣病患者告発」報道が目立つようになる。

 そして、この本の内容は、誰かが悪い、というような単純な図式を描くことはせず、読む側に、答えではなく、問いを投げかけているのは、おそらくは間違いないように思う。決して解決されない矛盾まで、提示されているようにも感じる。今でも古くならない普遍的な作品だと思う。

 山内が自らその資質として提示した「人間に対する関心」など福祉行政にはかえって邪魔だったわけであり、その資質を運悪く人一倍持ち合わせていた山内が、最も「福祉」に向かない人材だったのかもしれない。 

最初から妥協しない制作姿勢

 この作品は、最初はテレビのドキュメンタリーとして制作されている。それも、28歳の是枝氏にとっては、絶対に失敗できない状況だった。

 テレビマンユニオンに入社するが、うまくいかなくて、一時期、出社拒否のような状況になり、その後、復帰するも、レギュラー番組で、自分のやり方にこだわって、ボツとなり、そのメンバーからはずされたあと、自分が初めて企画から立ち上げる、という状況だった。

 福祉をめぐってのトラブルが相次いでいた荒川区で取材を進めるうち、四十七歳で自殺したホステスの方の告白テープに行き着きました。テープには「女なんだから稼ぐ方法はいくらでもあるだろう」と福祉事務所に言われたこと、家賃四万円のアパートは高いと引越しを迫られたこと、病院で入院中に保護の辞退届けを書かされたことなど、自ら受けてきた「福祉」について赤裸々に語られていました。そこでこのテープを一本の柱とし、自殺した女性と生活保護を打ち切った区役所の福祉課の男性という対立で番組の構成を立てました。
 ところが撮影準備に入った段階でひとつの事件が起きました。十二月五日、環境庁企画調整局長の山内豊徳氏が、水俣病裁判の国側の責任者として患者と行政の板挟みになった末、自殺したのです。 

 その「事件」によって、制作の根本的な見直しを迫られることになった。ただ、この「テープを一本の柱」としたドキュメンタリーを制作し、その後の「事件」に関しては、また別のドキュメンタリーにするという選択もありえたし、そのほうが「絶対に失敗しない」確率が高いと思えてしまうが、是枝氏は、全体を変えるという困難なことを選んだ。

 僕は番組の構成を考え直すことにしました。「被害者である市民」と「加害者である福祉行政」という簡単な図式で描けるほど、社会は単純にはできていなかったのです。
 しかし一月下旬の放送日は迫っている。困って金光さんに連絡すると、ゴールデンタイムの番組制作に日夜追われていて、深夜の番組はあまり気にされていなかったようで、「ごめん。一月の放送はもう埋まっているから三月に延期していい?」と幸いなことに二ヵ月の猶予ができました。僕は山内さんを柱に構成をゼロからやり直し、関係者に取材することにしました。                  (※引用中の「金光さん」とは、番組プロデューサーです)

 この時、一月下旬放送のままだったら、どうしたのだろうか、などとも想像できるけれど、でも、この「根本からやり直す」という選択をした時に、おそらく本人も知らないうちに「カンヌへの道」が開かれたのではないか、と完全に後付けなのだけど、そう思うような選択だった。

とりあえず完成させること

 ポッドキャストで、ある映画の話をしている中で、本筋とはあまり関係がないエピソードが印象に残ったことがある。最初は、夢も希望もあって制作を始める。だけど、途中からそうした志や目標よりも、まずは期日までに完成させることが、最優先のことになってしまう。それが日常になる。といった話がされていて、それは、制作の世界のベテランの人の言葉だけに、とても説得力があった。


 そして、その後、是枝氏の最初のドキュメンタリー「しかし…」にまつわる話を知った時に、そのエピソードも思い出し、根拠なく、思ったことはあった。

 最初に、進む道は決まってしまうのではないか。
 一番最初の仕事で、妥協をしたら、もう2度と、妥協しない先にある大きな可能性に向けての道が、開かれることはないのではないか。
 ただ、たとえばカンヌに続くような道を歩き始められたとしても、その道は順調ではなく、もしかしたら、「とりあえず完成させる」道を歩くことよりも、困難が多いため、制作を続ける可能性は、より低くなるかもしれない。

 少し言い方を変えれば、本当にすごいものを作ろうとするならば、最初から妥協することなく、完成させるしかない。
 だけど、妥協しないことで、大げさにいえば「巨匠への道」を歩み始められたとしても、そこを歩き切ることは、ものすごく難しい。

 どちらの道を選んでも、大変ではあるのだけど、成功してから好きなものを作ればいい、というのが嘘であるのは、間違いないと確認できた気がした。

評価された最初の「ドキュメンタリー」

 最初のドキュメンタリー「しかし…」は、成功をおさめた。

反響は大きいものでした。異例ですが、二回ほど再放送されました。
 もうひとつ嬉しいことは、再放送の翌日に、あけび書房という出版社から電話があり、「番組を本にしませんか」という依頼を受けたことです。
 もう少し山内さんのことで何か書いたりつくったりできたらという想いがありました。だからすぐに知子さんに連絡をし、本のための取材を再度させていただくことにしました。その後九ヵ月間、月に二回ほど知子さんのご自宅に通って書き上げたのが、初の著作となる『しかし…―ある福祉高級官僚 死への軌跡』です。      (「映画を撮りながら考えたこと」より)

「根本的に考え直す」という選択がなければ、書籍も存在しなかったのかもしれない。

取材者としての力

 さらには、その制作方法についても、是枝氏の著作には「こんなに大変だった。こんなに取材をした」といった表現がほぼないため、とても淡々と進んだようにさえ思えてしまうが、同業者からの視点では、違った側面も浮かび上がってくる。

 ドキュメンタリーの取材では、相手に嫌われては何も撮れない。それでいて、聞くべきことを聞かなくてはいけない。聞くときには、相手の立場や状況、さらに言えば生い立ちにまで、想像力を働かさなくてはいけない。この人はどういう人で、いまどういう状況で、どう接すれば胸の内を引き出せるだろうと、頭の中を何回も何回もぐるぐるぐるぐる回さなくてはいけない。是枝監督は、若くしてこれをやっている。それもものすごく高いレベルで。「計算」というのとは違う。被写体がどんな人であれ、適切な距離をとって関係を結ぶことができる「人間通」なのだ。冒頭で記した、恐るべき取材者ぶりと私が思うのは、この部分である。

 こうしたことを知ると、「せんだんは双葉より芳し」という言葉を思い出し、才能というものの圧倒的な差といった表現も頭に浮かぶが、それでも、最初に、妥協しない選択をしたことが始まりだった、と思う。ただ、それが、さらに大きな成果に結びつくには、というどうしようもないものがないと、不可能だし、それは、本当に一握りの人間にしか降り注がない。

実際にデビュー作だけで終わってしまう監督も少なくないのが実情です。新人監督だった僕が二作目を撮れたのは、実力以上に運が良かったことと、東京国際映画祭から二作目に与えられた四〇〇〇万円の助成金が非常に大きかったのです。
僕はあまり過去を振り返らない人間なのですが、この本を書くにあたってこれまでの二十年を振り返ってみると、本当に恵まれていたなとしみじみ感じます。   (「映画を撮りながら考えたこと」より)

選択する覚悟と力

 だから、何かを作っていこうとするのは、どう進んでも、とても大変な道ではあるのだろう。それは、映画監督といった職業だけでなく、どの仕事でも程度の差はあれ、同じような選択を迫られることがあるはずだと思う。

 客観的に見たら、是枝氏のような巨匠のことと比べるのは、滑稽だと思いつつも、何かを始める時に、自分自身で、秘かに心がけるようになったのは、本当にちゃんとしたものを作りたかったら、絶対に妥協してはいけない、ということだった。これが最後と思って取り組むしかない。ただ、それで、可能性の扉は開くかもしれないが、その先には、挫折の海も広がっている。それでも、その覚悟を持って、でも、妥協ない道を選びたい、と思うようになった。(だからといって、成功が約束されているわけではなく、99・9%は途中でやめることになるはずですが)。

 もし、選択に関することを、他人から(特に若い人)聞かれたら、まずは仕上げて次に時間をかければ、とか。とりあえず数字や結果を出してから、そのあとでやりたいことをやればいい、といった嘘は言わないようにしようと、「しかし…」を読み、その制作過程を知ることで、比較的、強く思うようにはなった。


 冒頭で紹介した「しかし…―ある福祉高級官僚 死への軌跡」は、ドキュメンタリーに興味がある人はもちろん、人間という存在について、人間社会について、広く考えたい人にもおすすめです。さらに、勝手な話で申し訳ないのですが、「映画を撮りながら考えたこと」については、また別の機会に、もう少し違う視点で、もう少し詳しく紹介したいと思っています。


(他にも、いろいろと書いています↓。読んでいただけたら、うれしいです)。

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