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腕時計の保護フィルムが、はがれて、「新しさ」について考えた。

 もう買ってから2年以上たった腕時計があって、それは、電気で動いているのだけど、いつも光を当てる必要があって、そのために、太陽が時々入ってくる場所にぶらさげている。

 それは、原理的にいえば、故障しなければ、光をあてることで半永久的に使える、という意味では、ちょっとすごいのかもしれない、とも思うし、電池を買わなくてもいいから、経済的にも一度買えば、ずっと使えるはずだ。

使わない後ろめたさ

 それでも、ぶらさげた場所が悪かったのか、腕時計は止まってしまっていて、動かすには、一定時間は光に当てないといけないから、ちょっと面倒臭くなって、しばらく使っていなかった。だけど、今年(2020年)は、8月に入ってからすごく暑くなって、コロナ禍なので、外出の機会も減ったとはいえ、徒歩で片道30分歩く機会があった。

 その時に、この腕時計をはめていったら、強めの太陽の光を時計もあびたせいか、それからは、多少、光が当たらない場所に置いても時計は動き続けた。そうなると、ここ2年くらいは、ほとんどゼンマイ式の腕時計(これも自動巻との併用だから、原理的には半永久的に使えるはずですが)ばかりを使っていた。携帯もスマホも持っていないから(リンクあり)時計はかなり必要なものなのだけど、そして、欲しくて無印の店で買ったのに、色も迷って仕事でも使える無難な黒を選んだのに、使っていなかった。

 その腕時計は、ぶらさがっているので、使っていなくても毎日のように見ていて、それは、別に粗末に扱っているわけではないのだけど、見ると、微妙な後ろめたさがあった。

 その後ろめたさに気がついたのは、久しぶりに、その腕時計を、出かける時も、普通に使い始めたら、気持ちが微妙に軽くなっていたからだった。道具を購入したあとは、どう使おうと買った人間の勝手なのかもしれないけれど、どこかで使うために作られたもの、という見方をしていたので、ちらっと見かけるたびに、使わないことに対して、微妙な後ろめたさを感じていたのだろう。

はがれた保護フィルム

 その日も、晴れていたので、歩く時などはなるべく光が当たるように腕時計をして、それで少しでも動く時間が増えるようにしていた。そして、時計は何もなければ、時間を確認する時だけ見て、あ、何時か、と思うくらいだから、その時は、時計そのものを見ていない。時間を見ている。そうであれば、見るからに高級そうな時計の意味は、自分が見るのでなく、あれは人に見せるためのものだと改めて思う。

 その日も、同じように、時間を見たら、腕時計の文字盤の上の(たぶん)アクリル板の透明なところが、変だった。何かがはがれてきていたから、最初は、そのアクリル板が、ちょっと壊れてきたのか、とヒヤッとした。マスクのヒモが2度も続けて、つけてまもない時にはずれてしまい、一度は、ダブルクリップで止めたりしていたことも思い出し、(リンクあり)今日は、時計がダメになったのかと思った。

 指ではさんで、腕時計の文字盤のはがれたものを、ひっぱったら、それほど抵抗なくとれた。それは、保護フィルムだった。

 この約2年、文字盤の保護フィルムをつけたまま、ずっと使っていただけだった。

 光で電気を発生される時計だから、文字盤のところが、特に丸い縁のところが、微妙な虹色が見えるような、ちょっとゆがんだ光り方をしていたけれど、太陽電池的な腕時計は初めてだったし、そんなものだと思っていた。

 フィルムが、はがれた文字盤は、今までより、つやつやしていて、生まれ変わったように光っていたし、新品のようになっていた。なんとなく得したような気持ちもあったが、これまでの姿を本当だと思っていて、愛着までいかなくても慣れがあった。今までが、実は、本来の姿でなかったのは、それまでの自分の気持ちを、おおげさにいえば、少し変えなくてはいけなくて、あの姿は、ある意味、まだ包装紙がついたままだった、ということだった。

 それにまったく気がつかないまま、2年以上、使ってきた。

 その自分の気がつかなさが、微妙に恥ずかしいというか、うっかりだったことへの無念さや、あとは、新しさがあらわれたうれしさもあった。

クルマのビニール ぬいぐるみのラップ

 すぐに思い出したのが、今はいるかどうか分からないけれど、以前は確実に存在した、新車を購入した時、シートがビニールで覆われていて、それを、汚れるのを防ぐために、ビニールをはがすことなく使い続けている人のことだった。

 そのまま使うことによって、ビニールは場合によっては、あちこちに穴があく。それでも、はずさないのは、面倒臭いというのもあるだろうし、そのほうがシートが汚れないと思っているせいだとも思う。

 だけど、素朴に考えると、穴があきはじめたら、もう汚れを防ぐ能力は激減しているはずだし、そのまま使っていたら、きれいなシートの状態を知らないまま、もしかしたら、そのクルマを乗り換えることになる可能性もあるから、新品の新しさを知らないままになるかと思う。

 それは、考え過ぎかもしれないし、分かりにくいが、「二つの別の時間」が流れる微妙な可能性を思って、日常とは少しだけ離れるような気持ちになる。


 ぬいぐるみなどに、ラップを巻いている人もいる。
 汚れないように、特にほこりなどで黒くならないように、という願いのようなものも確実にこめられていると思う。だけど、そのラップが黒くなっていたり、そのぬいぐるみの姿がよく見えないまま、時間がたっていくことを考えると、それが、本来は見られたはずの新しさを見ないまま、ただ失われていく時間、といったことを、やはり、おおげさだと思うが、考えてしまったりもする。


 カサの柄の部分にビニールが巻かれていることもあって、それは、ピッタリとはりついているので、気がつかないまま、そのカサをなくしたり、こわしたり、といったこともあったはずだった。そのビニールが破れて、その下から新しく見える柄が出てくると、うれしいの前に、まったく気がついていない場合は、ちょっとした驚きが先にくるけれど、それは考えたら、自分が鈍いだけで、だから、今回の腕時計も単純にうっかりしていただけだとは思う。

「新しさ」について

 その腕時計の保護フィルムが、はがれたのが、自分にとっては珍しくて、そのフィルムを手帳に、ふせんで落ちないように貼って、家に持って帰ってきて、腕時計と並べて、写真に撮った。

 貧乏なせいもあって、何か新しいモノを買う機会が、Tシャツをのぞけば、(リンクあり)ほとんどなく、だから、新しいモノにつきものの、こうした保護フィルムみたいなものが珍しかったのかしれない。

 さらに、フィルムがついていたことに全く気がついていなかったことに、そしてそれで支障がなかったことに、これまでの2年の時間を思って、最初に気がついてフィルムを、はがして使い続けた現在もあり得ると考えると、「選択しなかった時間」みたいなものを、考え過ぎと分かっていても、ちょっと想像してしまう。


 それでも、フィルムが、はがれたときは、その下から「新しさ」が出てきたので、やっぱり、うれしかったし、その「新しさ」みたいなものは、単純に気持ちよかった。

 どうして「新しさ」が気持ちいいのかといえば、まだ汚れていないゆがんでいない、そして、未知である、ということなのだろう。たとえば、ずっと同じモノを、買い換え続けたとすれば、汚れていない、ゆがんでいないはあるとしても、未知という要素はないから、それは「新しさ」としては、物足りないのかもしれない。だけど、同時にそれは、安心感があるから、そうなると、本当の新しさには、未知という不安定さが含まれているのかしれないとも思ったりする。

 見慣れなさ、という未知が「新しさ」につながるから、いつも見ている腕時計でも、フィルムという薄い膜が、はがれただけで、新しく見えて、それが気持ちよかったのも事実だった。

 ただ、「新しさ」がなくなるのも早い。

 写真にとって、こうしてあれこれ考えなくていいことまで、ごちゃごちゃと考えて、書いて、まだフィルムが、はがれてから1週間もたっていないのに、もう一度、腕時計を見たら、すでに「新しさ」を感じなくなっていた。

 人類は、「新しさ」や「未知」のものが大好きで、それで文明が発達してきた、といった話は、どこかで複数回、読んだり目にしたりした記憶があるから、それは本当のことだろうし、こんな、「腕時計のフィルムがはがれる」という、ささやかすぎる出来事を通しても、確認できたように、思えたりもした。

 本当に小さい出来事で、あれこれ考えているのは、同時に、どこか貧乏性なのかもしれない、とも思った。



(参考資料)



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「コロナ禍」での「支援グッズ」を購入してみて、思ったこと。

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いろいろなことを、考えてみました。

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