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読書感想 『政治と報道 報道不信の根源』 上西充子 「選挙前に読みたい本」

 この本を読んだ後、政治部の記者全員に読んでほしい、と思った。

マスコミの印象の変化

 この15年で、「マスコミ」という言葉の印象は随分と変わった。
 ひどい場合は「マスゴミ」などという侮蔑語を浴びせられる場合もあるけれど、かなり以前は、憧れの業界でもあったと思う。

 たぶん、時代は逆行しないから、マスコミ業界は、生まれ変わらないと、これからも不信が募るばかりだと思っていたが、その生まれ変わり方も、分からないくらい「マスコミ」は、混迷していると思うようになった。

 というよりも、もう「マスコミ」という言葉自体が、使われなくなっていないだろうか。

「政治と報道  報道不信の根源」  上西充子 

 この本を読んだ時、最も読んでほしいと思ったのは、マスコミの「政治部の記者」だったけれど、今の「政治部の記者」の中には、読んでくれる人がいないのではないか。と同時に思い、自分自身にも「報道不信」が内面化されていることに気がついた。

 例えば、NHKの昼間に時々放送されている「国会中継」という番組があって、それは、私も時々、見かける程度のもので、たまたま見てしまった時に感じるのは、大相撲中継の、横綱が登場するまで、まだ3時間くらいかかるような時間帯の国技館、みたいな印象に近い。

 だから、すかさず違うチャンネルに合わせてしまうが、そんな感覚は、かなり一般的だと思う。

 ただ、この本を読むと、「視点」を変えることができれば、その国会中継が、全く違うように見えるのではないか、と思えるほど、新鮮な感覚になれた。

 変な言い方だけど、今はすっかり少なくなってしまった地上波のプロ野球中継のように、国会中継も、この著者の「解説」があれば、その解像度が圧倒的に変わるように思ったが、そうやって人に頼る前に、自力で「解説」が出来るようにしなければいけないのだろうとも感じた。

「政治」と「言葉」

 政治の現場で使われている言葉に関して、ここ10年くらいは、乱れているというよりは、言葉そのものが壊されているように感じて、政治そのもへの気持ちの距離感は、遠くなっている。

 ただ、その無関心によって、その政治の現場で使われる言葉は、さらに「変形」し、政治自体も「劣化」してしまっていることに、気がつくべきなのだろうと、この著書を読んで、改めて思う。

 普段は、政治の現場において、視聴者として、それほど気に留めないようなことも、ひとたび、焦点を合わせてみれば、確かにかなりのおかしさを秘めていることも分かってくる。

 例えば、首相の記者会見で、時折、聞かれるような言葉。「国民にわかりづらい」という言い方で、記者が、さらに説明を求めるような場面をテレビ画面などで見ることがある。それは、どこか、見流してしまっているが、著者は、このような指摘をしている。

 「なかなか国民の方々にはわかりづらい部分」だというような言い方を記者側がしてしまうと、まるで問題があるのは菅首相の側ではなく国民の側であるかのようになってしまう。それは事実を曲げたおもねった聞き方であり、適切ではない。
 国民が理解できないのではなく、菅首相が整合的な説明を行っていないのだ。
 「国民にわかりづらい」といった問いかけ方でさらなる発言を引き出そうとすることは、国民の側を不当に貶めるものであるということだ。 

 こうした指摘を知ってしまうと、これから先、この「国民にわかりづらい」という表現に対して、どうしても注意が向くのではないか。この表現が出てきたとき、どの会社の人だろう、といった興味がわくのかもしれない。つまり、政治の現場に対して、注目すべきポイントを一つ覚えたような気もした。

「反発」という言葉

 視聴者としても読者にとっても、普段は見過ごしてしまっているようなことに対して、注意力をあげるだけで、政治の印象が変わるようなことが、他にも数多く書かれている。少しでも興味を持っていただいたら、本書を手に取ってもらいたいのだけど、その中の一つを取り上げるのであれば「反発」という言葉の使われ方だろう。

 ここまで「照準」「初陣」「防護」「決定打にかけた」など、まるで対戦ゲームを実況中継しているかのような国会報道の言葉遣いに注目した。

 今、国会で何が論点になっているかではなく、政局報道に偏ることに対しての問題点をあげているが、さらに個別な言葉に対しても、かなり詳細な分析がされている。その一つが、「反発」である。

 前から違和感を抱いてきた言葉として、それらに加えて、「反発」を取り上げたい。(中略)
 「反発」という言葉が随分と空疎な言葉だということだ。

 こうした指摘によって振り返れば、国会という場所で、「反発」をするのは、野党に限られることに気づく。というよりも、与党の言動には使われないが、野党が与党に対しての正当な意義を申し立てている場合でも、全てが「反発」と「マスコミ」では表現される。テレビでも、新聞でも。

「批判」「反論」「異議申し立て」「指摘」「主張」「抵抗」などだ。(中略)理由があって異議申し立てをおこない、説明責任を果たせないまま性急にことを進めようとする政府与党の動きに対抗しているのだ。
 なのにそれを「反発」という言葉で表現してしまうと、まるで理もなく感情的に騒いでいるだけのように見える。それは野党に対して失礼だし、「野党は反対ばかり」「パフォーマンス」「野党はだらしない」といった表層的な見方を強化することに加担してしまう。

 この指摘は、野党に利する、といった読み方をしがちなのだけど、そうではなく、政治報道が、フェアかどうかの話だと思う。

 政治の現場で何が行われているか?それを正確にフェアに伝える、という原則を報道が果たしていなければ、少しでも長い目で見れば、そのマイナス部分は、結局は、国民が被ることになるのは間違いない。与党支持者であっても、今の与党がいつまでも与党ではないのだから、政治報道はフェアにしておくべきだと思うのだけど、どうだろうか。

「野党は感情的で、政府与党は冷静」といったバイアスが潜んでいないだろうか。記者個人がそのようなバイアスを抱いていなくても、政治部記事の「スタンダード」として、そのようなバイアスを織り込んだ書きぶりが引き継がれていないだろうか。

選挙の前に読みたい本

 報道について書かれているから、「メディア・リテラシー」の良質な教科書としても、読めると思う。具体的な例に沿って書かれているから、分かりやすいが、自分の支持政党がある場合は、できれば、そのことはいったん気持ちの横に置いてもらえた方が、どうやって報道に接すればいいかが、より明確に分かってくるような気がする。

 マスコミが今後も劇的に変わるのが難しいとすれば、そのマスコミを、どうやって受け取ればいいのか。視聴者や読者としての力をあげて、自衛していくしかない。

 そんなことを考える時に、必要な一冊だと思った。

 これから選挙の季節を迎えるとき、もし投票する意志があり、報道を通して候補者や政党のことを知るしかない場合に、役に立つ本でもあると思う。

 テレビやラジオ、新聞など、マスコミに少しでも興味がある方には、それが批判的な関心である方にも、オススメ出来ると思います。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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