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読書感想 「食べたくなる本」 三浦哲哉 『「食」への健全な距離感』。


 これまで、「食べること」に関する文章への、個人的な記憶は、著者自身の豊富な食の経験。もしくは、食に対する常人ではない感覚を、秘かに、もしくは大っぴらに表現されるので、自然に身構えてしまい、興味深いにしても、どこか遠いところの話になってしまい、食べてみたい、という気持ちが薄くなることが少なくなかった。

 もしくは、この店が安くてうまい。さらには、一度は行っておくべきこのレストラン、といった文章が並んでいるガイドブック的なものは、紹介されている飲食店が主役であり、その場所や名前をメモするという実用的な使い方になってしまう。

 だから、「食に関する本」は、自分にとって、縁が薄いか、実用に徹するか、の両極端になりがちだった。


「食べたくなる本」

 この本は、著者自身の「食べること」に関する記憶のことと、いわゆる「料理本」や「食に関する本」の紹介の2層構造で出来ている本でもあるが、「縁が薄い」わけでもなく、「実用に徹する」ものでもなかった。
 
 著者の、食に関する記憶は、決してグルメとか食通というようなものではない感触がある。かといって、本人の食べる感覚を「貧乏舌」として、食への評価そのものを放棄しているようにも感じない。

 自分も含めて多数の人は、決して恵まれた食環境に育つわけではない。それは、もちろん誰が悪いわけでもないのだが、それでいて、食べることは誰にとっても必要なことであって、必ず毎日関係していることだから、それに関して、特別な感覚はなくても、その一種平凡な経験そのものを伝えることも意味があるのではないか、と読んでいると思えてくる。

 そんなことを、読んだあとに感じる、「食に関する本」は初めてだった。当たり前だけど、食べることに対して、縁が薄い人間は存在するわけもないことに、改めて気づかさせてくれる。


 たとえば、『なぜサンドイッチは「発明」だったのか』の項では、当たり前のように食べてきたサンドイッチが、実は、とても不思議で、豊かで、まるで、それまでの人類の盲点をつくような調理法だったと、読んでいると、だんだん射程距離が長くなるような感覚にさせられた上で、納得してしまう。

 この本の記述が魅力的なので、「食べること」に関して伝える事を、つい、自分もやってみたくはなるのだけど、それが簡単ではないのは、サンドイッチのところでも分かるように、経験に対して、どれだけ細やかに接して、そして、ただ没入するだけではなく、微妙な距離をとり続けて、考える。という難しい作業が必要であることも、さらに読み進めると気づかされる。そして、そのことが、この本の大きな柱である「料理本」や「食に関する本」について記述する部分に、とても力を発揮することも分かってくる。


「食の超人たちへの健全な興味」

 この本で紹介されている「食の本」の著者たちは、今まで名前だけは聞いたことがある人たちが多いのだけど、実は、「食の歴史」の偉人でもあり、そして、「食の超人」でもあり、どこか「食の奇人」といってもいい部分があることも、読み進めると、分かってくる。

 ただ、その「食の超人」たちに対して、やたらと持ち上げるのでもなく、ただ批判するだけでもなく、敬遠するのでもなく、著者は「理解」しようとする姿勢を崩さないように見える。だから、読者としても、微妙な距離を取りながら、情報が増えていくたびに、その「食の超人」たちの著書だけでなく、その「人」に対しての健全な興味も持つことができる。


 たとえば、丸本淑生「家庭の魚料理」。

丸本の教えは、「かつお節削りを削れ」にまで行き着く。 

 たとえば、「有元葉子」の揚げ物に関する本について。

 なにに当惑したかというと、巻頭で、「上質のエキストラバージンオイル」で揚げよと書かれており、それが伝授できるほぼ唯一のコツだと断言されていることだ。

(しかも、有元が推奨しているのは、マルフーガ社のもので3リットル1万8000円) 


 たとえば、「細川亜衣」の引き算の料理について。

 あくまでも個人的な、あるいは世代的な感じ方かもしれないが、「引き算」の料理がなにか「引い」ているかと言えば、万人向けの「まろやかさ」ゆえに無個性で退屈な、かつての「専業主婦の料理」からであるようにも感じられるのだ。だから「引き算の料理」は、ほんの少し残酷な味がする。


 さらには、「食の超人」や「偉人」たちを独自の視点で描いている著書も紹介されているから、食に関して、かなり複合的な考えをつかむきっかけともなるかもしれない。たとえば、「小林カツ代と栗原はるみ」(阿古真理)については、こんな捉えかたをしている。

 小林カツ代や栗原はるみ、平野レミといった新時代の料理研究家たちであり、彼女たちは、より合理的で、手早く簡単に作れるレシピを考案し、社会に進出する新しい世代の女たちを「解放」した。それが阿古の主張の大筋である。

 

 他にも、著者として「高山なおみ」「魚柄仁之助」「ケンタロウ」「冷水希三子」「勝見洋一」や、レストラン「エル・ブリ」の本も紹介されている。

 これで、この本に紹介されている、すべての著者や著書をあげているわけではないのだけど、何しろ、私のような、「食」に関しての関心が特に強くない人間(決して少なくないと思う)でも、グルメ的な興味だけでなく、これだけ「食」に関する、あれこれの本を読みたくなったのは、ほとんどない経験だった。

 その後、この本で紹介されていた何冊かの本を読んだ。
 食材の写真が、意外なほど、美しいと、改めて思える本もあった。
 新鮮な経験になった。




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