「美術の歴史の再検討」----- 『山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン』。アーティゾン美術館。2023.9.9~11.19。
山口晃の作品を、最初に見たのは、会田誠の「弟子?」というか、そのもとにいたアーティストの一人として、「こたつ派」というグループの中の一人として出展していたときだった。
それが、1990年代後半のことだから、随分と昔になるのだけど、そのグループ展自体を、その直後からあまり覚えていなかった。男子大学生がやや古いアパートの友人の部屋に集まっているような、そんな印象だったせいだ。
だけど、会田誠は、その後も作品をつくり続け、日本の現代アート界に興味を持つ人であれば、誰もが知る存在になって、その一方で山口晃は、ポスターなど広告業界でも活躍し始めたから、名前を知らなくても、実は目にする機会が多いアーティストになっていった。
少し不思議な展開だと思っている。
(この2004年の三越百貨店のビジュアル↓を描いたのが山口晃だった)
理論
会田誠と、山口晃は、ひげをたくわえ、昔からのイメージの画家や芸術家の気配がある、という意味では、似ているように見えるし、アートに関して、かなり根本的に考えていることも共通している。
ただ、会田誠の言っていることと、山口晃の話している内容が、ほぼ同じ方向を向いているように感じることもあるのだけど、会田の場合は、なんとなく毒があるように思えて炎上しやすいのに、山口の言葉は、鋭いのにまろやかな感触がある。
それは、どちらがいいとか悪いとかではないのだけど、その対象的な受け止められ方の違いは、失礼だけど面白いと思ってしまうし、その傾向が今も続いているのも、なんだかすごいことのような気がする。
山口晃
2020年にブリヂストン美術館が、アーティゾン美術館になってから、コロナ禍だったこともあり、行ったことがなかった。以前のブリヂストン美術館の頃は何度か訪ねて、昔ながらのオーソドックスな印象があったのだけど、さまざまな情報だと、魅力的になったということは、なんとなく知っていたのだけど、まだ行く機会がなかった。
山口晃が、展覧会を開くことは知っていた。
そういえば、関東での本格的な個展は少なかったのではないか、と思っていたら、自分が知らないだけで、数年前には能楽堂で開いていた。
そして、その柔らかい雰囲気の画風が生かされているのが、「すゞしろ日記」という漫画連載だった。描いている内容が、実は、鋭角的なことであっても、その絵の気配で中和されていて、こういう人が、広く人に受け入れられやすいから、だから、広告の仕事も来たり、オリンピックのポスターにも関わっている。
だから、自分が知らないだけで、かなり幅広い活躍をしている現代美術家でもあるのだろうけれど、今回の展覧会のタイトルが「ここへきてやむに止まれぬサンサシオン」とあり、少し昔の文豪のような言葉を使っているから、それほど広く人に来てもらいたくないのかな、などとも思うが、「サンサシオン」の意味を調べると、フランス語で「感覚」という意味だった。
アーティゾン美術館
もしかしたら、アーティゾン美術館は、日本の美術館の中でも、屈指のアクセスに恵まれた施設かもしれない。
東京駅。八重洲中央口から徒歩5分。
都心の真ん中。
美術館によっては駅から距離がある場合も少なくないのに、こうして改めて条件をあげると、なんだかすごい。
そして、都心部で、繁華街ではないだけに、オフィスや企業はたくさんあるのに、特定の時刻以外は、それほど人が歩いていない印象があるし、初めて行ったときも午後3時過ぎ、という時刻のせいか、人が少ないといっていい歩道の状況だった。
ただ、歩いていって、そこにガラスが大きく、そびえ立つようにあったアーティゾン美術館は、やっぱり新しく見えた。そして、3階に上がるまでに、警備員が多い印象で、そこから6階の展示室に行くためにエレベーターに乗ろうとした時は、全体が黒い格好のせいか、持っているリュックを外側から輪っかのついた探知機(?)のようなものでチェックをされた。
施設が立派で新しく、吹き抜けなどは、基本的に貧乏性なのでもったいなくも思えてしまうのだけど、こういう場所が空間をぜいたくに使ってくれるのは、やっぱり気持ちがいい。
『ここへきてやむに止まれぬサンサシオン』
この展覧会のホームページの最初に、こうしたステートメントがあるから、考えたら、難しくも感じそうだけど、でも、こうしたテーマは、今のように停滞している時代こそ、歴史を振り返って、さまざまなジャンルで検討し直すのは必要だから、ある意味でタイムリーだとも感じるけれど、それでも、広く人を呼ぶようなテーマとは思えない。
だから、こうした展覧会の開催を決めたアーティゾン美術館も、表面的な集客ではなく、大事なことを伝えたい、といった覚悟のようなものがあるのかと思った。
最初の展示から、意外だった。
そこに部屋があったのだけど、傾いていた。
その展示室の前にはスタッフがいて注意を促すのだけど、それも当然で、入って、大丈夫かと思っていても、少し気を抜くと転びそうになる。だから、本来は、もっと壁や手すりのようなものにつかまった方がいいのだろうけれど、すでに二人ほど先客がいて、そうした場所が微妙にいっぱいになっているのと、何もつかまらない方が、この傾いて、転びそうで、ちょっと怖くて、という感覚を存分に味わえると思ったせいもある。
新鮮だった。
その部屋から、次の展示へ向かうとき、水平な床に降りるはずなのに、錯覚のせいで、その床が傾いて見えて、だから、そこへ着地するときに、あいまいな感じで、ちょっと怖れる気持ちも出てきてしまうが、当たり前だけど、しっかりした床だった。
その外には、以前、遊園地にこうした施設があったから、という理由も、ふんわりした絵柄の漫画で説明がされていた。
何か、本気なのだと思った。感覚について、嫌でも「感じる」始まりだったからだ。
文章と作品
展覧会は、「壁新聞」のように貼られた絵や文章による説明と、作品が展示されている形式になっていた。
だから、嫌でも、ホームページに振りかぶるように掲げられていた「美術の歴史」のようなものを考えさせられてしまう。
そして、その考える基本のようにしてセザンヌの絵画が作品としてあって、それがどうして優れているか、というよりも、なぜいいと思うのか?といった山口晃の感覚を優先した文章があって、そして、それは過去の名作を語る気配ではなくて、好きなものの理由を自分もスケッチをしながら考えていく、という姿勢に思えた。
セザンヌは、確かに昔は、なんだか地味な印象しかなく、りんごを転がして描いている人、といったとても粗い感想しかなかったのは、おそらくは、そのセザンヌの絵を模倣しているような絵画を目にする機会が少なくなかったせいだと、ここに来て、改めて思う。
セザンヌは、人間の意志のようなものを、どうやって絵画にしていくのか、といったことを考えてきた人、という印象に変わっていったのは、やはり、ただの観客とはいえ、美術の作品をある程度見てきてからだった。
ここでは、さらに山口晃が、セザンヌの作品を掘り下げるように、自身のスケッチも公開しつつ、絵と文章で語っているので、セザンヌの試みのようなものが少し近く感じてくる。
旧来の美術館では、小さなプレートに作品の制作年などが書かれているだけで、文字や、ましてや文章などが展示室にあることは少なかったけれど、こうして展示室の壁にガイドのようにさまざまな情報があり、その情報自体が絵画でもあるので、作品として成立しつつも、そこにある作品の意味までを説明している。
だから、文章と絵画に触れながら、なんともいえない充実した空間にいるように思えてくる。
感覚
「感覚」に直接訴えかけてくる作品は、最初の傾いた部屋と、もう一つ「モスキートルーム」というものがあった。
それは、展示会場の中で、白く輝く部屋だった。
壁が白く、かなり明るくなっているところで、ただ、それだけの部屋だった。
ただ、説明によると、その壁と適度な距離を保っていると、「飛蚊症」のようになる。もっといれば、自分の眼球という球体の中にいるような「感覚」になるらしい(説明が多少違っていたら、すみませんが)。
壁を見ていると、「蚊」というよりは、なんだかわからないゴミのような浮遊物が目の前に見え始め、それが漂う。さらには、それが、大きい透明な球体の中でのことと感じ始め、それが、自分の眼球なのだろうけれど、不思議な感覚だった。そこからは、時間の短さもあるのかもしれないけれど、さらに没入することができず、「球体の中にいるような」感覚に変わるまでは体験できなかった。
それでも、これだけシンプルな仕掛けで、こうした感覚の変化を起こさせることができることが新鮮だったし、傾いた部屋との時もそうだけれど、自分の感覚は元々はしっかりしたものではなく、揺らぎやすく、だから、感覚の柔軟性と共に、自分の感覚だけを信じすぎてはいけないのではないか、とも思った。
感覚とは何か?について、観客に考えさせることができるのは、山口晃という作者自身が考え続けてきたから、こうした作品があるのは間違いなかった。
そして、この展覧会の期間だけのようだったけれど、この美術館では、スケッチもできるようにしてあった。実際に、模写すれば、気がつくことの深度は嫌でも深くなるが、私自身は、情けないことに次の予定があって、そういう体験ができなかった。
移動の時代
展示の終盤(順路が示されているわけではないので、個人的な感覚として)、壁にあった文章の中で、山口が教科書で読んだ「移動の時代」(中村光夫)について触れられていた。
それは、明治大正時代という「近代」に、日本が西洋に追いつくために、とにかく新しいものを抜け目なく輸入(移動)することに注力するあまり、そして、それが文学や美術にも及んだことで、その「内発的」なことは無視されているのではないか、という指摘だった。
そのことに同意できたのは、私自身も特に明治から大正、さらには昭和に至っても、日本の美術作品を見たとき、例えばセザンヌそっくりすぎたり、モネっぽかったり、それは影響というレベルではなくて、下品な言葉で言えば、「パクリ」ではないかと思うことが少なくなかったからだ。
そして、その「移動」だけをしてきた時代は、美術だけではなく、さらに長く続き、いち早く「本場」のことを輸入することで、経済的にも成功するので、なかなか終わらず、そして、完全に行き詰まった結果が、現在、ということだろう。
そのことを考えたら、今にも通じる課題を、サラっと扱ってもいるが、この「移動」に関する指摘は、この6階の展示室から、5階から4階にわたって展示されている日本の近代の作品にも、当然、及んでくる分析だから、そのことを考えながら、5階、4階を鑑賞したら、見え方が変わってくる可能性もある。
そういう意味では、山口晃の展示室だけではなく、その後の作品の感じ方まで変えるような仕掛けでもあって、なんだか感心もしたが、当然、それは日本の過去の作品に対して批判的な見方を促すことにもつながるのだから、こうした作品も含めて、この美術館での展示をしたことは、逆に、アーティゾン美術館の懐の深さのようなものを感じさせる。
そして、その後4階まで、その「移動の時代」についての指摘については、ずっと心と頭に残りながら、常設展を鑑賞することになったから、その見え方の変化も含めて、山口晃の作品だと思った。
なんだかすごいと感じた。
(この記事↓は、現地で鑑賞できなくても、写真も含めて、展覧会の紹介として優れていると思いました)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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