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民家を2軒使った展覧会を、細い路地を通って見に行った話。

 キュンチョメという2人組のアーティストのユニットが、神奈川県横浜市内で展覧会を行うことを、ツイッターで知った。

「ここにいるあなたへ」

 東日本大震災以降、そのことをテーマにした作品を制作し続けている作家だった。20年前だったらジャーナリストがするような仕事だと思いながら、時々、作品を見てきて、自分達という人間を使って、その関心が自然でありながら切実で、映像作品が多いし、被災地と言われる地域がその舞台になることも多いのだけど、個人的な感想に過ぎないけれど、とても上品な印象が強い。

 そのキュンチョメが、横浜の、それも反町という、東横線の各駅停車しか停まらない、どちらかというと渋めの駅が最寄り駅になっている展覧会を開催することを知って、それも、この10年の作品を集めて、振り返れる、ということを知ったので、すごく見に行きたくなった。

 

 個人的には、この20年以上、辛い時などもアートに気持ちを支えられてきたのに、この1年は、とにかくコロナ感染を恐れる日々が続いていた。喘息を持つ家族がいて、医療体制や、ワクチン接種のニュースを見ていても、感染したら、自宅療養という名前の放置をされるのではないか、と怖くて、見に行きたい作品があっても、見に行くのを諦めるような日々が続いていた。

3月11日からの展覧会

 2021年3月11日から、この展覧会を始めたのは、大震災の10年後ということなのだろうけど、民家を2軒使っての展覧会でもあったし、余計に見たくなる要素が揃っていたのに、最終日の4月12日も、体調もあまりよろしくなくて、行くのを諦めた。

 それが、急きょ、延長が決まって、4月17日と18日の2日間にも開催されることが決まって、今度こそ、と思っていたのは、東横線は、人が多く乗る沿線とはいえ、土曜日と日曜日ならば時間を選べば、人が少ないと思っていたからだ。

 それに何しろ、キュンチョメの作品を見て、これまで、がっかりしたことがなかったので、これだけまとめて見られる機会は、おそらくは、そんなにないと思っていたし、民家を使った展覧会だから、そういうことも二度はないと思っていたのに、土曜日は、雨が降っていた。その雨に気持ちが萎えて、諦めながら、その帰り道に電車の窓から外を見て、やっぱり行こうと決めていた。

民家での展覧会

 4月18日は、自分自身の、ちょっと寝不足が気になったし、キュンチョメのツイッターを見ていたら、前日は、2時間待った人もいる、といったことを知り、ちょっとビビって、行くのをやめる気持ちにもなったものの、早く行けばなんとかなるのでは、というのと、何日か前の天気予報では雨だったのが、きれいに晴れていたので、展示が始まる午後12時過ぎくらいに着けばなんとかなるのではないか、と思って、やっぱり出かけた。よく迷う毎日だった。

 午前11時過ぎに家を出て、久しぶりに東横線に乗ったが、それほど混んでいなくて、安心もして、反町で降りて、キュンチョメのサイトに載っていた、写真付きの展覧会への行き方をプリントアウトしてきたので、それを見ながら、10分くらい歩く。

 最後の方は、こんなに細い路地があるんだ、というくらいの場所だったけれど、突然、受付があった。

 現地には12時10分に着いた。受付も作家本人がしていたのだけど、「すみませんが、満員です」と言われ、開店前から行列ができる人気ラーメン屋を思い出すが、今のコロナ禍の状況で、民家の内部が「密」にならない工夫をしてくれているのはありがたかった。この人数調整で、昨日も、長時間の待ち時間があったのだと、改めて分かる。

「30分くらい待つかもしれません」。「あ、大丈夫です」。「入場料は500円です」。

 そんな会話をして、受付には名前と携帯番号を書く欄があったので、携帯を持っていないことを告げたら、隣の会場の前のイスで待つことを勧められた。それで少しだけ歩いて、次の会場の前のイスに座る。そのそばには、もう一人の作家がいる。会釈をして、座って、本を読んで待っていたら、15分ほどで、声をかけられる。

最初の会場

 1軒目。

 映像作品が10作ある。
 1階で、4作品。
 2階には、6作品。

 とてもシリアスな東日本大震災の、いわゆる被災地へ向かい、アートによって介入をして、その作品を通して、より震災のことや、震災による影響などが、見る側にも伝わってきて、それで、いつの間にか、色々と考えていた。

 例えば、その中の作品の一つである「遠い世界を呼んでいるようだ」(2013)は、被災地の、まだ混乱している状況で、復興の気配もないような場所で、積み上げられた壊れた自動車の上で、廃墟のような駅で、作家が狼のように遠吠えをしているという映像だった。それは、ちょっとふざけたようにも、思われそうだけど、その切実さと誠実さもあって、介入として適切なように思えた。

 自分の時間と、外側の時間。こちらの事情と、世界の出来事。
 どの作品を見ても、その距離感が、よく考えられているように思った。

 一つの作品が15分くらいだけど、今日は、2時間以上は鑑賞時間として考えていたので、気持ちの余裕はあり、ゆったりと見られた。そして、映像作品には、時間が刻まれているから、それをある程度の時間をかけて見ることで、この10年について、自然といろいろと感じていた。

 1軒目の作品は、2012年から、2015年までに制作されたものだった。
 見終わったら、1時間以上が経っていた。

 映像作品だから、外の光を遮断をしながらも、空気の換気は考えられていて、だから、風が吹き込んできて、ブラインドのかん、かん、という音が響いていた。それが、こうした作品を見るには、合っているような気持ちにさえなった。

 入り口にもアルコールの除菌のボトルがあり、一部屋ごとの座布団などの数もかなり少なくしてあった。

次の会場

 2軒目。
 民家であることで、以前は、誰かが住んでいた気配まで、物がそのままあるので、かなり濃くて、そのことが、やはり鑑賞する人間の気持ちに影響してくるように思える。

 被災地に関わりかたも、そこに生活している人たちにも話を聞くような作品も目立ち、それは、その話をしている相手の方と、一緒に映像作品を制作しているからなのか、すごく率直に話をしてくれているように思う。それに加えて、キュンチョメの聞く力の凄さも感じられる。

 作品が1階には、4作品。
 さらに、2階には作品が2つあって、そのうちの最後に当たるようなものが、2011年に製作されたものだった。「ここにいるあなたへ」というメッセージが、鏡に書いてある。そして、この作品だけ動画ではなく、写真と、そして、便せんに、こちらへ手紙のように、書かれた文章があった。

 それは「避難指示区域にタイムカプセルを埋めに行く」という作品だったが、とても品がいい印象が残った。

 2軒目を出た時は、午後2時50分だったから、だいたい2時間半くらいかけて、作品を見たことになる。こんなにじっくりと映像作品を見たのは、初めてだったけど、そんなに時間の長さを感じなかったし、いろいろな感情になれたと思う。

 来てよかった。


(これは2017年の時のキュンチョメへのインタビュー↓ですが、この言葉だけでも、かなり伝わるものがあると思いました)。

キュンチョメの次の展覧会

 これで、最終日だったので、これを読んで興味を持ってもらっても、この展覧会には行けなくて申し訳ないのですが、でも、次に新作を展示する展覧会もあるようです。

 今年の8月くらいには開催する予定を作家から聞いたので、私も楽しみですが、もし、よかったら、おそらく、今のコロナ禍のことも含めて作品にしてくれていると思うので、もう少し季節が進んだ頃、このサイト↓をチェックしていただければ、その予定も明確になると思います。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでくださると、うれしいです)。



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