とても久しぶりに、「目標」だった「その人の名前」を聞いて、失望した理由を、考える。
「その人の名前」を、久しぶりに聞いたのは、自分にとっては意外な場所だった。
記者会見での発言
このラジオ番組では、TBSの澤田大樹記者が、政治のことを語るコーナーがあり、今は、コロナとオリンピックの話題が多く、この2021年6月25日の放送でも、オリンピック関連の話が多かった。
その中で、突然、昔から一方的に知っている人の名前を久しぶりに聞いた。
「その人」は、スポーツライターとしての先駆者であって、「その人」の存在があったから、自分もスポーツの現場で働こうと思った人のうちの一人だった。
澤田大樹記者は、そんな何十年も昔のことを知っているはずもない。
「その人」は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会の橋本聖子会長への記者会見の中で、話題になった。
専門家会議から、オリンピック中止の文言がなかったことが本当によかった、といったことを橋本会長が発言していたことについて、“そんなことを言ってしまっている”と、ラジオのパーソナリティ武田砂鉄氏と、澤田大樹記者が話をしていて、確かにリスナーとしても、同じように感じた。
ただ、その発言は、「その人」の質問がきっかけだったようだ。
インタビューでの言葉
このラジオ番組は、YouTubeでの続編のようなコーナーがあって、そこでも、「その人」の名前が出ていた。
そこで、別のweb記事での橋本聖子会長のインタビューのことに触れ、「五輪反対は非科学的」といった見出しについても話されていた。
あれだけ専門家会議の提言を尊重しているとは思えないのに、あなたが言いますか?といった疑問を、この番組のパーソナリティにも差し挟まれていたけれど、そのインタビューを読むと、確かにそんな思いになるし、申し訳ないのだけど、橋本会長の言葉や発言は、主に「内輪向け」に過ぎないように思った。
このインタビューの聞き手が、「その人」だった。
橋本会長の話は、いわゆる「ツッコミどころ」が多いのだけど、それに対して、疑問を呈したり、そこをもう少し詳しく、といった話の流れはなく、申し訳ないのだけど、話し手は、一緒に盛り上げているように思える部分も多かった。
「その人」の言葉
「その人」が執筆したこの記事↑の中で、こんな言葉がある。
なぜ政府はそれほどまで東京オリンピック開催に強い意志を持ち続けるのか?納得のいくメッセージが政府から国民には届いていない。だから国民そしてメディアは、「きっとお金のためだ」「やめられない事情があって、やめれば自分たちの首を絞めるような事態になるのではないか」などと邪推する。それはあながち的外れではないかもしれないが、私はスポーツライターとして、「スポーツの不在」を強く憂い、それを問いかけたい。
橋本会長のインタビューが、この志に沿っているかというと、個人的には、かなり違うように思う。
ある種、自分自身の過去の目標でもあった「スポーツライター」が、その時に思った将来の姿とは、あまりにも違っていて、かなりがっかりした。その失望は、勝手なものなのだけど、どうして、こんな気持ちになるのかを、考えようと思った。
若い頃、もしくは仕事を始めて年数が浅い頃は素晴らしい実績をあげていた人が、ベテランになってから、別人のように感じてしまうのはなぜなのか?を考えたいので、「その人」が誰かはすぐに分かると思うのだけど、個人を責めたいわけではなく、ある種の一般性を持たせたいので、すみませんが、「その人」という呼称を使っていきたいと思っています。
「世界一」の人だけを
もう30年くらい前のことだけど、「その人」は、日本で「スポーツライター」と名乗った初めてに近い人だと思う。その名称で、スポーツのことを書き続け、その仕事の進め方は、とても参考にもなったし、目標でもあった。
自分もスポーツの現場で取材して書く、という仕事をするようになった。最初は、スポーツ新聞社で、次は出版社の編集部で働くようになり、その後、フリーのライターになるのだけど、編集者もしている頃、「その人」に仕事を依頼したこともあった。
それは、取材対象について、「その人」だったら、いい原稿を書いてくれる、と期待してのことだった。
もっとベテランだったら、最初に手紙を書いて、それから電話で頼まないと受けてくれない、といったタイプの書き手の方が、まだいらっしゃったのだけど、最初から電話で依頼の話ができるだけでも、ありがたい書き手だったから、電話をかけた。当然ながら、まだメールも一般的ではなかった。
結局、依頼は断られたのだけど、電話での、その話し方は、私が知っているスポーツの現場の人と比べると、かなり繊細な印象だったし、その内容で、記憶に強めに残っている。
「その人」は、こんな内容を丁寧にしてくれた。
「申し訳ないのですが、今回は、お断りします。
今、私は、世界一の人しか取材したくないと思っています。
それは、いろいろな人が、次は世界一になる、と言っているとか、次のチャンピオン確実、という人を取材したいということではありません。
今は、誰も知らないかもしれない。
ほとんど注目されていないこともあるでしょう。
それでも、自分自身が見て、この人は「世界一になる」と思えた人だけを、取材したいと思っています。
今回は、申し訳ないのですが、そう思えないので、お断りします」。
詳細は違うとは思うのだけど、大意は合っていると思う。だけど、その時の電話の内容を知っているのは、私とその時の編集部の人と、「その人」だけな上に、おそらく私以外の人は、覚えていないと思うので、これが完全に事実だと証明はできない。
ただ、その時に感じたのは、「スポーツライター」として、こうした志があるのならば、もっと凄くなっていくのだろうと、同業者としての嫉妬もあるけれど、それでも期待の方が大きかった。
業界の人
それから随分と時間がたって、久しぶりに「その人」の名前を聞いた時、その「世界一の人だけ」の言葉の先にある未来とは、大きく違ってしまったと思えた。
だから、勝手に失望したりしていたのだけど、それは、本当に一方的なことで、こちらの思いが的外れで、「スポーツ(業界)ライター」であるのならば、二度目の自国開催のオリンピックに対して、何があっても擁護するような、今回のような振る舞いは、プロとして完全に正しいのかもしれない。
私自身も、スポーツのことを取材して書く、という仕事はしていたが、途中で辞めてしまってから、20年は経っている。
だから、それ以前から現役の「スポーツライター」として仕事をして、私が違うところにいた時も、変わらずにずっと「スポーツライター」を続けているのだから、「その人」に対して、何かを語ったり、ましてや失望する資格すらないのかもしれない。
理想の「スポーツライター」
それでも、あの電話の先の「世界一だけを書きたい」といった言葉で見えた未来とは、あまりにも違うと思う。
本当の「スポーツライター」であれば、こうした難しい局面でも、「スポーツそのもの」をあくまでも大事にし、アスリートにも敬意を持ち続けた上で、今回のように下手をすれば、コロナ禍による被害が広がって、アスリートへの憎しみが高まる可能性すらある時に、「スポーツライター」として、オリンピック反対の人にまで、届くような文章を書けると勝手に思い込んでいた。
こういう状況であっても「スポーツそのものの魅力」を伝え、そして「オリンピックのあり方」を根本的に問い、さらには「社会の中のスポーツのあり方」まで書き、その上でオリンピック中止まで視野に入れることが出来るのが、本当の「スポーツライター」だと、思い描いていた。
ただ、プロの「スポーツライター」の現実としては、今も続けていること自体が正解で、同時に本当の「スポーツライター」であって、私のような門外漢が、何か一言でも言える資格はないのだと思う。
ただ、誰かと比較して、語るという卑怯さがあるとは自覚しながらも、理想の「スポーツライター」の姿として、かなり近い人が存在するので、私は「その人」の現在について、勝手に失望しているのだと思う。
その理想の「スポーツライター」像に近い人は、オリンピックの組織の中にいた人だった。
本当に身勝手だと分かりながらも、私は「その人」にも、この発言に遜色のない文章を期待していたのだと思った。
失望の未来
ここ何年か、若い時の輝かしさがあって、年齢を重ねて、人としても成熟するはずなのに、その言動や行動によって、ベテランになった時に失望してしまうような人が、特にスポーツ界には多かったと思う。
それは、勝手な見方かもしれないのだけど、どうしてそうなってしまうのだろうか。
人として生きている以上、老いが見えた時には避けがたく、仕方がない変化なのだろうか。
誰であっても、同じような境遇にいたら、そうなる方が自然なのだろうか。
それとも、若い時から、注意深く見ていたら、その未来は、分かるはずのことなのだろうか。
このことは、また改めて考えてみたいと思った。
(「スポーツライター」とは名乗っていないが、ボブ・グリーンの描くマイケル・ジョーダン像は、とても新鮮だった。ただ、著者のボブ・グリーン氏は、スキャンダルで、晩年は厳しい状況らしい。一生に渡って、活躍し続けること自体が、ほぼ不可能に近いことなのかもしれない)。
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