見出し画像

「カナブンとコガネムシ」 思い出の混乱

 家に帰ったら、おかえりと迎えてくれた妻が、次に話してくれたのが、カナブンのことだった。

カナブンの話

 妻から見て、私は、noteを書き始めてから、身の回りのことに、前より敏感になったらしい。それで、「そういえば、カナブンって、最近、見なくなってきたよね、あんなにいたのに」、と私が言ったことも覚えていてくれて、だから、見かけたら教えよう、と思っていたという。

 そして、この日は私が出かけていたので、妻は、遅めの洗濯を始めようとしたら、その洗濯槽に、カナブンがいた。あ、カナブンだ、と思って、金属の壁に止まっているのは、宇宙船の中にいるみたいで、かっこいいと思って、妻が写真に撮った。

(その写真が、この記事の見出しの画像です)。

 妻の話は続く。

 そのあと、洗濯をしないといけないから、でも、カナブンを素手でさわれないので、古い手ぬぐいを使って、庭に投げたつもりだった。
 それで、いった、と思って、洗濯物を入れて、ボタンを押そうと思ったら、洗濯機の上にいた。
 さっき、あっちに行ったはずだから、戻ってきたと思って、また、手ぬぐいを使って、今度は葉っぱに行ってもらおうと思った。

 そうしたら、布だから、その端に、しがみついているのか、ひっかかっているのか、なかなか離れてくれなくて、けっきょく、手でツンツンしたら、やっと葉っぱにいってくれた。

 それで、水分が必要かと思って、水をぱっぱとかけた。

 妻が、そこまでしてくれて、それから私が帰ってきた。

 そして、私が、そのアジサイの葉っぱを見たとき、まだカナブンはいた。
 今度は私が撮影できた。
 動かないから、もう生きてないのかと思って、押したら動かなくて、でもさらに強く押すと、やっと足を動かしてジタバタするから、あ、生きてた、と思った。

 私が言った話を、妻が覚えていてくれて、うれしかったし、いろいろと撮影してもらったりもしたし、ありがたかった。

カナブンの思い出

 夏の昆虫といえば、カブトムシとか、クワガタだけど、最近、見る機会はなかった。
 小さくても、庭があると、セミが羽化して、ぬけがらが残っているし、知らないチョウが飛んできたりもする。妻が植えた花や、自然に生えてきた雑草もある。

 セミの鳴き声は大きくて唐突だけど、他の自然に関することは、都内の端っこだと、穏やかで静かなことが多いのに、そのやや大きめで重めの羽音とともに、急にあらわれる印象があったのが、カナブンだった。


 わたしにとっては、春を過ぎたあたりから、洗濯をしようとすると、この日、妻が見つけたように、洗濯槽にいるのが、カナブンだった。緑でピカピカしているのに、たまった洗濯物を一気に入れるときに、そのカナブンに気がつかずに、一緒に洗ってしまったことがあって、それ以来、かなり気をつけるようになった。

 それで、いるときは、そっと手でつまむ。布や紙を使うと、そこからとれなくなるので、素手でつまんで、庭へ投げることを繰り返してきた。

 何度、その行為をしただろう。


 干してあった洗濯物に、知らないうちにくっついていて、部屋の中で、急にブーンという重い音で飛んでびっくりしたりする。そして、蛍光灯にばちばち当たって、その音の本気さに、ちょっと怖くなるから、なんとか追いかけて、ティッシュなどでつかまえると、それを外へ放り投げるときは、いくら強く振っても、離れてくれないから、結局ティッシュごと外へ投げることになる。

 どこから入ったのかわからないのに、夜中の、まったく予期していないタイミングで急に飛んで、やっぱり驚き、追いかけて、でも、部屋のすみのどこかに行ってしまい、わからなくなって、私より早く起きる妻に、「カナブンがいるかもしれないから、急に飛ぶので気をつけて」といった伝言のメモを残したこともあった。


 玄関の外の街灯に、夜になって、何度も何度も加減を知らない力でぶつかってきて、その命知らずというか、思い切りのよさというか、ちょっとバカなのかと思うくらい、同じことを繰り返すのが、カナブンだと思っていた。

 なんだか動きが遅くて、外の気配に鈍くて、そして、かなり毎日のように見かけて、どうして、こんなにいるのだろう。と、あまりにも日常的だと、どこかうんざりもしていた。

 昆虫は、こんなに動きが遅かったのか、といつも思った。ただ、外側が硬い系の昆虫は、体が重いせいか、だいたいこんな動きで、人間から見て、かっこよく見えたりするカブトムシやクワガタが大事にされる。それに、動きが早くて、外側が硬い系の昆虫は、すごく嫌がられる例も一つ知っているから、人間の都合で見ているだけだし、動きの遅さが、すぐにマイナスになるわけでもなかった。


 今年は、いつもと違うカナブンの姿も見た。

 玄関においてあるサンダルの上で、2匹のカナブンが重なっていて、どうやら交尾をしているようだった。全然、動かない。外へサンダルを出して、そのままにしておいて、生きているのか、と疑うくらい動かなかった。次の日は、2匹とも、いなくなっていた。

 今年、庭でスズメバチ を見かけた、と妻が怖がっていたので、本を借りてきて、スズメバチ 捕獲の装置をペットボトルを使って、初めて作った。

 1ヶ月くらい柿の木にぶら下げた。結果として、スズメバチ が6〜7匹くらいは捕獲できたから、上出来だと思ったが、下手をすると、それよりも多く採れてしまったのが、緑色の昆虫のカナブンだった。どうして、こんなに、つかまっちゃうんだろう、と思った。

思い出の混乱

 妻が、カナブンの写真を撮ってくれた夜に、一応、検索をした。

 そうしたら、自分が、長年、カナブンと思い込んでいた昆虫は、実はコガネムシかもしれない、ということが分かった。

 そして、コガネムシは人間にとっては、農作物などを食べてしまうから害虫で、カナブンはそういうことがないから、害虫でない、といった区別もあるらしかった。形態としては、丸みがある緑色がコガネムシで、やや茶色がかったのがカナブンだということも知ったが、個体差もあって、素人には、特に飛んだりされたら、違いが分かりにくいようだった。


 思い出が混乱した。

 洗濯機にいたのは、カナブンではなくて、コガネムシだったのかもしれない。
 でも、よく見たら、色味は微妙にいつも同じではなかったから、カナブンだったり、コガネムシだったりしたのかもしれない。
 部屋の中で突然飛んだのも、コガネムシだったのだろうか。
 
 いつも同じ昆虫だと思っていたのに、そうではない可能性が出てきた。

 それだけのことで、起こったことは変わらないのに、思い出が揺れていた。
 可能な限り、そのときの情景を思い出し、無理やり、再現し、ぼやぼやの画像をたどるようにしていたら、コガネムシ8割、カナブン2割、くらいの感じではないか、と思った。強めの緑色が多かったから、今までカナブンと思っていたのは、コガネムシだった確率が高そうだけど、かといって、全部、コガネムシとも思い切れなかった。

 よく見かける昆虫の名前が違っていた可能性が出てきたくらいで、どうして、こういう気持ちの揺れが出てくるのだろう。それは、長い間、信じていたものが違った、といった、大げさにいえば、見てきた世界の意味が変わってしまうことに、ほんの少しつながっているから、少し動揺したのかもしれない。

葉っぱの穴

 妻にも、そのことを伝えたが、そんなには動揺していないようだった。
 そういえば、茶っぽいのがいたような。玄関の明かりにぶつかってくるのは、カナブン?といったことを尋ねられたが、今まではそう思っていたけど、あの飛んでいるときは、一番姿がよく見えないから、わからない、といったあいまいなことしか言えなかった。

 前日に、アジサイの葉っぱにいたカナブン(?)はいなくなっていた。

 葉っぱには、見事な穴が残っていたので、あれは、おそらくコガネムシだったと思う。

 だんだん見かける機会が減ってきて、夏が過ぎたら、いなくなるらしいから、また、来年の夏が近づいたら、そのときは、これまでよりも、よく見て、コガネムシカナブンかで、迷うようになると思う。



(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただけたら、うれしいです)。

「セミの羽化」

読書感想 『新写真論 スマホと顔』 大山顕 「〝生命体〟になったかもしれない写真」

「買い物メモ」が分かりやすくて、うれしかった話。2020.8.4.

「思い出に関する、いろいろなこと」

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月

noteについて。書くことについて。



#noteでよかったこと   #カメラのたのしみ方   #カナブン #コガネムシ

#庭   #昆虫   #セミの抜け殻   #名前間違い  

#自然   #日記   #日常

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

カメラのたのしみ方

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。