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「思い出に関する、いろいろなこと」

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個人的な思い出ですが、もしかしたら、他の方々にも、共通するような思いがあるかもしれない、と考えて、書くことにしました。
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「ファッション」が遠くなってしまった、2つの「遠い思い出」

 おそらく、世の中には、少なくとも、3通りの方がいらっしゃるかと思います。  ファッションが好きでセンスにもある程度以上自信がある人と、ファッションが好きでセンスにはそんなに自信がないけど何とか頑張っている人と、ファッションにあまり関心がない上に、自信に関しては諦めている人。    自分自身が、センスがなくて、基本的には三番目の人間だったので、この分け方自体に「問題」があるかもしれませんが、いわゆる思春期の頃に、自分がファッションに縁遠くなってしまった出来事に関しては、時々、

優しくなりたい、と思ってからの30年

21世紀の事情はよく知らないけれど、20世紀の頃の学校から渡される通信簿には、勉強の評価だけではなく、人間性のことも書かれていた。  よく考えれば、担任の教師という個人が、どれだけフェアで正確な見方ができるかどうかの保証はないのだけど、その評価を両親は信じていたようだ。 説教 小学校の3年を超えたあたりから、自分でも理由はわからないのだけど、成績は上がっていた。学習塾などもないような土地だったのだけど、家に帰ってきて、自由勉強、といったタイトルを自分でつけたノートに

牛丼屋で聞いた噂話を、今も覚えているけれど、それは事実とは違うかもしれない。

 記憶についてはまだわからないことも多いようだけど、それだけに最新の研究などの成果を知り、そのイメージが変わったりもする。  例えば、こうした書籍には、記憶は思い出すたびに加工されてしまい、何度も思い出すと、最初の「事実」とは違ってくるようだ、といった指摘がされていて、だから、大事なことはあまり思い出さない方がいいかもしれない、といった話までされている。  だから、よく覚えていて、思い出すことも多く、人にも時々話しているようなことは、もしかしたら最初の出来事とは、随分と違

バスを待って、不安になるほどの時間が過ぎてから、バスが来た夕暮れどきのこと。

 久しぶりに誰も住んでいない実家に行って、リュックも重く、カバンも重く、微妙に腰にダメージが蓄積しそうだった。  帰りは坂道を下って5分くらいで、広い道路に出る。  その道路を信号が変わるまで待って、渡って、そこから15分以上歩いて、最寄りの駅に行くのだけど、今日は、道を渡る前にあるバス停を見て、バスに乗ろうかと珍しく思った。それだけ荷物が思ったからだ。  道に出て、バス停まで30メートルくらい。  そこに着く前にバスが来てしまったら、次に来るまでに、またかなりの時間

「ナカメ」以前

 東京の中目黒のイメージが、今、どのくらいなのか、正確なことはわからない。  住みたい街ランキングで、中目黒は2024年・13位になっているから、かなりイメージがいいことはわかる。実際に少しでも訪れてみると、やっぱりおしゃれな雰囲気は強くて、だから、ちょっと敷居が高い。  それは、かなり多くの人にも共通する気持ちだと思うし、「ナカメ」などと言っている人も、もしかしたら実在するかもしれない、というような街にはなっているのは事実だけど、こんなに洗練された街になったのは、おそら

20代後半で出来るようになった、いくつかの事。

 逆上がりが出来るようになったのは、幼稚園か、小学校に入るくらいのことだった。  どうして、鉄棒に興味を持ったのか、それとも、何かの課題だったのかは覚えていないのだけど、その頃、住んでいた社宅------といっても、鉄筋コンクリート4階建の建物が小高い山にいくつも並んでいるような場所だったから、その間に小さい公園のような場所があり、そこにも鉄棒があった。  昼間というか、日が暮れるまでは、その鉄棒で練習していた、と思う。  だけど、まだ幼い上に、小柄な子どもだったから、

昔住んでいた街

 ギャラリーを見に行って、久しぶりに昔住んでいた街に行った。 アパート 出版社の契約社員をしていて、将来のことや、自分のやりたいことを考え、フリーでライターをやろうと決めた。誰に相談するわけでもなく、自分が書きたいものを書いていきたいと思った。  同時に、一人暮らしを始めようとして、都内に住もうとした。  最初は、友人が住んでいたアパートがあって、共同のシャワーがあって、家賃も安かったので、そこを訪ねてみた。その建物はまだあって、だけど、どの部屋にも人が住んでいたので、

一周回った夢。

 時々、昔の夢を見る。  仕事関連のときは、人と会う約束をしていると、そこに向かう交通機関が遅れたり、乗る路線を間違えたり、急に別の場所に行ってしまったりして、いつも、スムーズに実現できずに、焦りとともに目が覚める。  少しの間、どうしてうまくいかなかったのだろう、などと考えても意味のないことを思ったりするのは、まだ寝ぼけているだけなのかもしれない。 就職した頃の夢 最近、大学を卒業し、スポーツ新聞社に入社し、2年目になって、最初はゴルフ担当で海外出張まで行ったのだけど

アルコールのない人生になった。

 昔、よく聞いていた言葉があった。 「軽く飲まない?」  それは、いつも本当にならなかった。そういう言葉を使う人が、「軽く飲む」ことはなくて、必ずずっと飲み続けて、とても軽くとは言えない状況になるけれど、私は、それほど酒に強くもなかったので、同じペースで飲めなかったし、どうしていつも「軽く」ならないのに「軽く飲もう」と微妙な嘘を言うのだろうと思ったりはしていたが、そういうことも含めて、楽しいことが多かった。  そういう時間が、もうなくなってから、10年以上になる。 心

自分が、「外反母趾状態」だったのに、やっと気がついた。

 外反母趾、という言葉は知っていたし、どんな状態かも知っているつもりだった。  例えば、決めつけるのは失礼だけど、女性がハイヒールなどを履き続けることによって、その靴の、特につま先部分が狭いため、足の親指が通常よりも、内側に曲がってしまうようなことだと思っていた。  痛みを感じることはなかったので、自分自身とは無縁だと思っていた。 足の形 自分の足の指を、きちんと見る機会は少ない。  寒がりだから、ずっと靴下を履いている時が多く、寒くなると(あまり良くないらしいけれど

珍しく叶った「望み」の「現在」。

 すでに20世紀の出来事だから、かなり昔のことになるのだけど、仕事で九州の博多駅近辺に泊まったことがある。  その時、食事をするために地下街に行って、目に入った飲食店に入った。その頃は、全国各地へ出張する習慣があったから、そうやって入ったことのない店で食事することに、今よりも抵抗感が少なかった。 ラーメン その店に入って、食べたラーメンは、新鮮だった。  それは、九州だから豚骨なのだけど、そのある種の強さのようなものをあまり感じられず、どこかマイルドで、さらに、いろいろ

「タマちゃん遺産」。

 覚えている人は、ある程度の年齢になっているはずだけど、「タマちゃんブーム」というのがあった。  東京の多摩川に、ゴマヒゲアザラシが突然現れ、連日、見物するために人が集まり、報道もされるという「ブーム」だった。 タマちゃんブーム 2002年8月7日。   多摩川に、アザラシの子どもと思われる動物が登場したのを、私も知っていたのは、それがすぐにニュース映像として流れ、それから連日、ワイドショーでも扱われていたからだった。  しかも、その場所は、自分にもなじみがあるところだ

「川中島」で、つい思ってしまったこと。

 かなり昔、長野オリンピックの前だから、もう30年近く前のことになると思うと、そんなに時間が経ったことに、ちょっとゾッとするけれど、比較的、近くの出来事に感じる。  最近、買ってきたスイーツのシュークリームがあって、その白桃の産地が「川中島」と知って、あっという間にその時のことを思い出した。 川中島 まだ、ライターをしていたころ、長野オリンピック関連の仕事を発注してもらって、フォトグラファーと二人で、長野県を少し回ったことがあった。  その途中で、今になったら、どうして

プラモデルの時代。

 歩いていたら、クルマの車体にシールが貼ってあった。  それが、どうして、ここにあるかを考える前に、「あ、タミヤだ」と思い、同時に、プラモデルのことを思い出した。  子どものとき、確かに「プラモデルの時代」といってもいい頃があった。 おもちゃ屋のルール 昭和の頃は、小さな街にも、だいたいおもちゃ屋さんがあって、まだゲームが主体ではなかったし、店に入って、入り口付近の棚には、プラモデルの薄めの箱が積み上がっていた記憶がある。  その箱のサイドには、イラストで、そのプラモ