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「ファッション」が遠くなってしまった、2つの「遠い思い出」

 おそらく、世の中には、少なくとも、3通りの方がいらっしゃるかと思います。
 ファッションが好きでセンスにもある程度以上自信がある人と、ファッションが好きでセンスにはそんなに自信がないけど何とか頑張っている人と、ファッションにあまり関心がない上に、自信に関しては諦めている人。
 
 自分自身が、センスがなくて、基本的には三番目の人間だったので、この分け方自体に「問題」があるかもしれませんが、いわゆる思春期の頃に、自分がファッションに縁遠くなってしまった出来事に関しては、時々、ふっと思い出します。

ベルボトムの思い出

 ジーンズでベルボトムというデザインが広く流行ったことがあったのですが、それはもう何十年も前のことです。それでも、ジーンズを履いている人のほとんどが、そのデザインだった時代が確かにありました。
 
 脚の筒の部分が、腰から膝までは、ぴったりとしているのに、膝から裾に向けて、広がる形になっている。1990年代に少しだけ再ブームがあった記憶がありますが、いつの間にか、ジーンズはスリムやスキニーが主流に戻っていたので、あまり知らない人も多いかもしれません。

 そのベルボトムのデザインの利点は、「足が長く見えること」と言われていて、今、見ると、微妙な部分はあるものの、そのために、とても多くの人が持っていた、というのも間違いないと思いますし、みんなが履いていて、ショップに行っても、そればかりが売っていた、という印象でした。

 私にも、親戚がいて、年が近い人もいます。
 そして、いろいろなタイプの人がいて、中には、背が高くて、スタイルがよくて、どこかで血がつながっているはずなのに、どうして、こんなに違うのだろうと思わせるような存在もいました。
 少し年上で、よく遊んでくれて、仲良くしてくれていたので、今でも感謝していますし、その上で、自分が着なくなった洋服なども気前よく、譲ってくれていました。うちでは、買わないような、青と黒のストライプのしっかりしたシャツなど、いわゆるオシャレな服も、普通に、その中には、まじっていました。さらにジーンズは、その当時の流行りのベルボトムでした。

 かなり細めではありましたが、自分でも何とか着ることができ、ジーンズも履くことができましたが、足の長さが違うので、かなり裾を切らなくてはいけません。

 もう先が分かる話になりましたが、親戚からいただいた、ベルボトムのジーンズを、自分が履いて、足の部分が長いので、母親に切って、縫ってもらいました。おおげさでなく、そのジーンズは、ストレートのジーンズになっていました。

 おそらく身長差は、20センチ近くありましたし、親戚の人は足が長いタイプでした。私は背が低く、足も「短足」(今、聞かなくなりました)などと言われていて、短めでした。だから、自分に合わせるとなると、そのベルボトムのジーンズが、腰から膝にかけて、ぴったりとしていて、膝から裾に向かって広がっていくデザインの、その広がる前に切られた状態になっていたようです。

 何か圧倒的な違いを体感し、誰が悪いわけでもないのに、オシャレなことは、自分には関係ないものと、思い込まされた出来事かもしれません。中学生くらいの時でした。

マルフルの思い出

 高校生の頃、制服か、ジャージで過ごすことが多くなっていました。
 私服、みたいなものは、あまり着る機会もなく、あるものを適当に着ている、というような、ある種の堕落した生活でした。
 それでも、休みの日に、練習や試合ではなく、友達と遊びに行くような機会もたまにありました。その時は、もしかしたら、同級生の女子高生も一緒だったかもしれません。

 ただ、その頃、今では当たり前になっている、宙返りするように1周回るジェットコースターが、日本で初めて出来た頃に、同級生の女子たちに誘われたこともありましたが、そういう乗り物は恐いので、でも、恐いから、という理由は言わずに断ったこともあったので、元々少なかった女子と一緒に出かける機会に参加することも、さらに減っていたと思います。

 郊外の高校生でしたから、全体的にも、それほどオシャレとはいえなかったのですが、リーガルのスニーカーが少し流行っていた頃でした。私は、普通の革靴を履き続けていて、それでも、出かける時に、思春期でもあるので、少しかっこよくは思われたい気持ちもあり、洋服を買う時に行っていたのが、ダイエーのなかにある「マルフル」というショップでした。

 Tシャツや、長袖のハイネックのシャツが、たぶん980円くらいで、トレーナーなどは1980円ほどの値段設定で、お金がない高校生にはありがたかったのですが、少しオシャレな同世代は、もう違うショップに行くようになっていました。

 私服でも、もし、あまり着なくなったら、サッカー部の練習の時などに着られるように、と考え、その頃は、着ている人も多かったトレーナーを買おうと思い、マルフルに行きました。

 いろいろな色が揃っています。
 最初は、ブルーが目に入り、これだと男子高校生としては、大丈夫かも、と思いましたが、その時に思い出したのは、いわゆる「かっこいい」といわれていた同級生が、この色を着ていたことで、そういえば、こういう爽やかな色は、着る人間を選ぶのではないか、と思ってしまい、手にとったはずですが、ブルーは候補からはずしました。

 白は、汚れるし、赤はとんでもないし、オレンジも無理だし、黒は意味合いが違ってきそうだし、などと選んでいると、気持ちは、どれだけ目立たず、だけど、おかしくないもの、といった、前向きでない発想になっていきました。

 それで、いろいろと迷った末に選んだのが、茶色でした。
 その時は、自分なりに「正解」ではないか、と思って、家に帰りました。


 家に戻って、袋をあけて、広げてみると、その茶色は、中年の男性が着るような下着の色、いわゆる「らくだ色」とそっくりでした。こんなはずではなかったのですが、なんだかガッカリして、着ないまま、引き出しに入れっぱなしになりました。

Tシャツへの気持ち

 10代にファッションへの自信を失うと、ほぼ取り戻せないまま、時間と歳月がやたらと流れ、気がついたら、中年になり、肥満体にもなり、よけいにファッションは遠いままでした。

 ある時期、体重を減らそうと決意し、20キロ減量しました。
 その頃は、30歳をすぎてからアートが好きになっていて、美術館やギャラリーに行く機会が増えていて、直接関係ないとは思いますが、「オシャレ」が以前ほど、恐いものではなくなっていました。

 体重が減ったことで、急に着ることができる洋服が多くなり、着ても、そんなにおかしくないのでは、と思えるようになりました。
 美術館やギャラリーで見かけた、個人的には「かっこいい」と思っていて、だからこそ、自分とは縁遠いと思っていたTシャツを、ある時、展覧会がすごくよかったので、その高揚した気持ちのまま、買ったことがありました。
 妻には、評判がよかったので、少しうれしい気持ちもあったようで、それからは、Tシャツは、買う機会が多くなり、だんだんバリエーションも増えてきました。ちょっと調子に乗っているのかもしれません。

 今も、他のファッションには、お金を使うのもかなり考えてしまうままですし、オシャレになったわけでもないのですが、Tシャツは個人的に「かっこいい」と思うと、欲しくなって、買うことが多くなりました。その好みは人によって、かなり違うことも、分かるようにはなりました。

 ただ、太っていた時代の名残りのせいか、やたらと汗をかくので、色は、白か黒ばかりを選ぶのは、ある種の実用性の重視だと思います。

 
 それでも、ベルボトムとマルフルの思い出から、何十年もたって、つながっているのは間違いないのですが、少し違う未来になってきているのかもしれません。



(参考資料)



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20キロ減量して見つけた「Dライン」

今までを振り返った上で、これからでも通いたい「サッカースクール」を考える。

「かっぱえびせんの全盛期」のことを考えたら、「歴史の不可逆性」に、改めて気がつきました。

10年たっても、「買ってよかったもの」。

「男性の胸ポケット」には、何を入れるのが正解なのか?

40年、セルフカットを続けてきて、学んだこと。


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