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アルコールのない人生になった。

 昔、よく聞いていた言葉があった。

軽く飲まない?」

 それは、いつも本当にならなかった。そういう言葉を使う人が、「軽く飲む」ことはなくて、必ずずっと飲み続けて、とても軽くとは言えない状況になるけれど、私は、それほど酒に強くもなかったので、同じペースで飲めなかったし、どうしていつも「軽く」ならないのに「軽く飲もう」と微妙な嘘を言うのだろうと思ったりはしていたが、そういうことも含めて、楽しいことが多かった。

 そういう時間が、もうなくなってから、10年以上になる。


心臓発作

 いろいろあって、心房細動の発作を起こしたことがあった。

 胸の中に知らない生き物がいて暴れているようで、映画の「エイリアン」のように、ろっ骨を突き破って出てくるのではないか、と思えるくらいで、そのときは、もう死ぬのだろうと感じた。

 幸い、視野が少し欠けた時間が数時間あったくらいで後遺症もなく、その原因を過労とストレスと告げられ、さらには「次に大きい発作を起こしたら死にますよ」と医師にも言われた。

 もう無理はできなくなった。というよりも、おそらくは人並みの生活はできなくなった。

 諦めや無力感はあったけれど、それでも、こういう状況に追い込まれた相手や状況に対しての強い怒りもあって、生き延びたい気持ちもあった。

 だから、ひそかに決めたのは、心房細動の発作の可能性を、自分ができる範囲で減らしたいということだった。

体重とアルコール

 まず、体重を減らそうとした。

 明らかに肥満体で、それだけが原因ではもちろんなかったけれど、それも発作の原因の一つだったからだ。急に減らすのも難しいし、それはリバウンドしやすいのも知っていたので、とにかく少しずつ体重を減らした。

 毎月1キロ弱ずつ減量し、同時に筋トレも始めた。2年弱で20キロくらい減らすことができた。

 もう一つは、アルコールを一切やめた。

 若いときは、飲み会などに誘われて、そこに参加していたら、飲まされるような時代だった。それほど強くないから、ただ心地よい時間では済まなかったけれど、「飲みに行きましょう」という言葉はちょっとうれしかった。

 私自身は、アルコールがなくても、比較的、素直に話せる方だったけれど、お酒が入らないと正直にコミュニケーションをとりにくい人も少なくなくて、それが、今の社会で生きるためには必要な要素なのも分かっていたから、そういう飲みの席になるべく行きたいと思っていた。

 眠ろうとして眠れなくてアルコールを飲むこともあった。そういうときはビールにして、500ミリを3本くらい飲むのが習慣になっていた。

 だから、生活の中にアルコールがあった。心臓の発作にどこまで関係あるのかわからなかったのだけど、普段の生活でもめまいを起こすようなことがあったから、脈が乱れると、それが発作につながるような気がして、怖くて、飲めなくなった。

 それで、適量を飲む、よりも、一切アルコールを飲まないことにした。

 それから、しばらく同じような夢を見ることがあった。

 目の前にアルコールがある。それは、ビールではなくて、もう少し強い酒。イメージで言えば、テキーラのようなものを、一気に飲む。

 怖い。

 心臓の発作につながるのではないか、という怖さを持ちながら、しばらくじっとしていると、特に何も起きず、めまいもなく、手首に指を3本当てて、脈をはかっても、異常がない。

 大丈夫なんだ。

 そんな明るい気持ちになったときに、目が覚める。

 そうしたほぼ同じ夢を見ることがあって、起きるたびに、ちょっと悲しい思いがした。

「軽く飲もう」と言いながら、絶対に軽くでは済まないような人たちと比べたら、私自身は、それほど酒が好きでもなく、アルコールが必要でもないから、やめられたと思っていたのに、選択の自由が減ったことは、やっぱりショックだったのかもしれない。

 ただ、それが1年くらい続いてから、そうした夢を一切見なくなった。

夜の時間

 酒をやめた頃は、介護に専念し、社会的にも孤立していたので、もともと酒の席に誘われることも無くなっていた。

 そして、酒がないことで、気晴らし的なこともできなくなっていたが、同時に、介護のすき間や、夜の時間は有効に使えるような気もしていた。

 筋トレも、読書も、勉強も、どの時間でも普通にできるようになる。アルコールを飲んだあとでは、できないことが多かったのを、改めて知った。もちろん、酒が入っても、いろいろとできる人はいるだろうし、場合によってははかどることもあるのだろうけれど、自分が、そういうタイプでないことを改めて知った。

 そのせいもあって、中年になってから読書の習慣もついたし、すき間の時間で行えたから筋トレも続いたし、減量するときにはアルコール抜きは追い風のような作用があったはずだ。それにずっと貧乏だったから、経済的には、アルコールをやめるのはプラスだったと思う。

 5年が経つと、その生活が普通になった。

 その後、幸運なことに、学校で学ぶ機会を持つことができて、そこで若い人たちの知り合いもできて、誘われて何度も行ったのが「さくら水産」だった。居酒屋のチェーン店も、いろいろと移り変わりがあることを知った。

 私はウーロン茶ばかりを飲んで、酒の席にいた。

 昭和の終わり頃に生まれた人に、平成生まれはわからないんですけど、どう思いますか?と聞かれ、私からはどちらも若く見えて、細かい違いがわからない、という話をした。気持ち的には、何百メートルも遠くから、数メートルの違いを聞かれているように感じた。そばにいると、その違いは大きいのはなんとなく分かるけれど、遠いと分かりにくくなると思う、といった話を続けたけれど、言わなければよかった、と少し後悔した。

 それでも、アルコールが全くなくても楽しい時間だった。時には、後日になって、あのとき、一緒に飲んでいた、という記憶をしてくれる人もいることもあった。相手のテンションにうまく合わせられるようになったせいかもしれない。

何が楽しいか、わからない

 タバコは吸わない。 

 ギャンブルはしない。時々、ビッグや宝くじを買うけれど、一枚単位で買うから、あれはギャンブルと言えるのだろうか。

 結婚はしていて、子どもはいない。家にいることが多い。コロナ禍以降はさらに在宅時間が増えた。

 遊び、と一般的に言われるようなことと、ほとんど関係がない。

 図書館に行って、本を借りて、読んでいるのは、勉強でもあり、娯楽でもある。時々、現代アートを見に行く。それ以外は、あまり外出もしない。

 そんな生活は、外から見たら、何が楽しいのか、わからない、と不思議に思われるらしい。そんなことを、時々、言われる。大げさに言えば修行僧に近いように思われることもあるようだ。

 一番の不安や不満は、組織に属さないで、細々と仕事をしているのだけど仕事が一向に増えず、収入も増える気配がなく、ずっと貧乏なだけでなく、仕事の成果が上がらなかったりすることだ。

 それは、10年間、砂漠に水を撒いているような無力感に近い。油断すると、やっていることが全て無駄な気がして、虚無感に気持ちがやられそうになる。

 それでも、そんなことも含めて、妻と話をしたり、お茶をしたり、録画したテレビ番組を見たりしている時間があるから、生きていけている気がする。

 穏やかに明るく、気持ちも基本的に温かい人と一緒に暮らしているから、タバコも吸わず、アルコールも飲まなくなって、他の人から見て、分かりやすく「楽しい」と思えることをしていなくても、なんとか生きているのだろう。

 アルコールがない生活になって、もう随分と経って、また飲みたいとも思わなくなったのも、こんなにあれこれ不安に思っていたりしていても、基本的には暮らしの気持ちそのものが、安定しているからだろう。

 もう、アルコールのない人生になった。

 
 今日も、洋菓子を買ってきて、それを人に贈るために、妻にもヒモをつけ直してもらったり、袋を整えてもらったりと、手伝ってもらった。

 宅配便にお願いして、ちょっとホッとした。

 何かをすると、少し気持ちがいい。




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