見出し画像

『「ジャーナリズム信頼回復」について、元・新聞読者として、考える」。(後編)

 これまで2回にわたって、「ジャーナリズム信頼回復」について、考えてきた。

 そして、3回目は、投稿が遅れ、申し訳なかったのですが、これからのことも含めて、考えていきたいと思います。

「ジャーナリズム信頼回復」のために

 もう一度、「ジャーナリズム信頼回復」について、振り返ってみる。

 具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指す。

 これは、まずはジャーナリストが、前提として、権力との距離をとる話でもあり、それは、それは組織のシステムそのものを変えないと、取材の根本的な矛盾を克服するのは無理ではないか、と、前編と中編を使って、考えてきた。

 取材をするためには、距離を縮める必要がある。だけど、距離を縮め過ぎ、一体化することによって、取材はできるかもしれないが、いつの間にか「一線を画する」は難しくなる。距離を縮めた労力を考えたら、その関係がダメになること前提で、きちんと批判することは、良し悪しではなく、人の感覚として難しい。

 それは、ここまでのジャーナリズムの長い歴史を考えても、権力と近いけれど、批判することは、ほぼ不可能ではないか。というのが前回までのとりあえずの結論だった。


 そこで、まず、現状で、権力との距離を保ちながら、批判的な姿勢を可能にしている数少ない記者について、偉そうですみませんが、検討してみる。(視聴者や読者として見えている人に限られますが)。

東京新聞・望月記者と朝日新聞・三浦記者とTBS・澤田記者

 東京新聞・望月記者については、安倍政権の時代から、新聞読者から見れば、ほぼただ一人で、記者会見を、記者として活用しているように見えた。取材の基本は、失礼がないように、聞きたいことを聞くこと。まして、権力の監視は、ジャーナリズムの基本の一つのはずだった。それに忠実に従おうとしているように思えていた。

 TBS澤田記者は、森喜朗氏(元・五輪組織委員長)への質問で注目を浴びたが、それは、視聴者としては、ごく当然の内容だし、ジャーナリストの仕事をきちんとしているように思えた。

 朝日新聞・三浦記者は、今もまだ続く原発事故問題について、総理番でないにも関わらず、かなり本質的な質問を、当時の安倍首相に向けることが出来ていたように思う。

3人の記者の「距離感」

 東京新聞の望月記者は、社会部の所属で、普段から総理番という記者たちとは、距離もあるし、それだけに権力とは距離を保っていると思えた。

 TBSの澤田記者も、場合によっては、出られないような記者会見があるような状況でありながらも、自分が取材をできる機会を考えて、質問などもかなり考えているものの、政治部、という枠内だけにいないし、それは取材時では不自由もあると思えるが、同時に権力との距離のようなものをとれる場所にいると思う。

 朝日新聞・三浦記者は、その距離について意識的だった。もしかしたら、それゆえに、東京本社にいない、という事情はあるのかもしれないが、それでも、記者としての大事な基本に忠実のように思う。著書も、朝日新聞出版ではないし、ということも読者としては、微妙に気になる。

 通常、為政者(特に自分が担当する地域の首長)とは会食をしない。緊張関係にあるべき首長と地域の担当記者が親密な関係になってしまえば、批判の矛先がどうしても鈍ってしまうし、そのしわ寄せは必ず読者や市民へと及ぶ。

 繰り返しになり、今さらなのだけど、「ジャーナリズムの信頼回復」を目指すのであれば、その問題の一つである黒川検事長麻雀をしていた記者に対して、吊し上げではなく、その気持ちなどもきちんと聞いておくべきだったと思う。それによって、距離のとり方、もしくは近づきすぎたら権力とは一体化するし、そうなった当事者はそれに気がつかない、といったこともさらに明らかになったと思われるからだ。

 でも、それは、ずっと言われてきたことだと思う。

さまざまな「外」からの指摘

 私のような、ただの元・新聞読者だけでなく、例えば長くジャーナリズムの組織にいた上で、フリーとして活躍しているような人も、そんな距離を取ることは当然として、こんな話をしていた。

 政治部の記者クラブの人数を減らして、文春のように独自取材をすべきではないか。その人数から考えたら、新聞社の方が多いのだから、できないことではないのでは。

 「オウム真理教事件」で、突出した取材成果を出している森達也氏も、こう指摘している。

 記者クラブの弊害は、すでにかなりの昔から指摘され続けているが、社会学者・宮台真司氏も、こんな表現をしている。

マスコミの場合には、第1に記者クラブ制度があります。記者クラブは私的な懇話会に過ぎないはずなのに、記者クラブに入っていなければ政治家や官僚の記者会見に出られないし、ぶら下がりや夜討ち朝駆けも許してもらえず、情報が一切得られないんですね。しかもその記者クラブは、メンバー全会一致でなければ新規参入が許されません。

これからのジャーナリズムへの個人的な提案

 そうであれば、「権力への監視」という意味では、最初から距離をおいた中で、どれだけ取材ができるか、といったことを徹底できる「組織」にするしかないのだろうと思う。

 まずは、記者を少なくとも3種類の層に分ける。
 現在、フリーで有能なライターやジャーナリストを専属で雇う。もちろん、全員がその立場に承諾するわけではないが、1年でも2年でも、かなり条件を整えて、所属する価値があるようにする。

 次は、従来のような採用による記者。おそらくは、急激な変化は難しいので、新卒での採用もありながら、さらには、他の業界の中途採用も積極的に行う。
 それは、転職経験者の方が、おそらくは、何かの圧力などがあった場合に、人事を元に脅された場合には、それならやめる、というようなことがしやすく、権力への牽制も可能になる確率が高くなるのではないか、と思えるからだ。
 この中途採用の中には、内部告発をした人をきちんと採用する、ということも含まれれば、その会社に対して、情報提供をしてくれる率も高まると思う。

 さらには、“記者は勉強不足”という指摘もあるので、確かにその面で、権力などに対して弱くなりがちだと思う。報道の中立や、客観性に関しても、ジャーナリズムの歴史について詳しければ、権力からの、下手な介入は、はね返せたように感じる。だから、最初から、勉強している層も雇うべきではないだろうか。今は、博士の学位を取得しても大学に仕事がない、という人たちも少なくない、と聞く。そうした人たちも、きちんとした条件で積極的に採用する。

 これで、「3層」になる。

 そして、それぞれの層の採用において、年齢、人種、国籍、性別など、多様な人を採用することを意識する。(性別は、大雑把な表現になるが、まずは男女半々を目指す)。

システムの再構築

 ただ、優秀な記者を集めたとしても、今のシステムのままだと、おそらくは、今までと同じようになってしまう可能性が高い。

 そうであれば、青木理氏が提案していたように、記者クラブの人数を大幅に減らして、あとは自由に調査報道する、という距離感をキープすべきだと思う。その上で、記者クラブを残すのは、その距離の近さで、「権力の監視」という敵対的な姿勢を表に出すことで訪れる、様々な危機に対応する目的もある。

 自らの身を守る、というセキュリティのために、権力の知られたくないようなことを握り、何かの折に対抗するためにも、距離の近い取材も必要になるだろう。現権力ではない、他の権力との距離のバランスを取ることによって、身を守ることも必要になるかもしれない。

 ただ、そうした「近いから書ける」記事を書いた場合、取材対象者との関係は絶たれがちだが、その過程も含めて、その記者の仕事、という保証を会社組織としてきちんと評価する、ということが大事になると思う。

「権力との距離」(その権力は、主には政治、司法など)を保つことを前提として、これからのジャーナリズムを再構築しないと、「信頼回復」が、とても困難なのは間違いない。


 その上で、付け加えるとすれば、新聞社の責任者が会食するのであれば、その相手は、同業他社の責任者であるべきだと思う。
 そのことによって、権力からの理不尽な個別な圧力に対して、ジャーナリズム全体で対抗する具体策を常に意識した方がいい。それぞれの会社で競争意識が強いのは仕方がないのかもしれないけれど、そのことで個別に切り崩されてきたのが、今までだから、それも変えていかないと、新聞は過去の遺物になっていくのは間違いないように思う。

自浄能力への疑問

 私のような、何者でもない、昔、新聞の読者だけだった人間が言うことに、ジャーナリズムの「中の人」が耳を傾けてくれるわけもないのは分かる。

 ただ、そういえば、どんな組織に対しても、例えば、司法システムにも、もっと筋の通った、もっと社会的にも説得力のある人が長い時間をかけて、批判してきたはずなのに、それを「中の人」が聞き入れて、改善した話を聞いたことがないのに、改めて気がつく。

 テレビドラマ「イチケイのカラス」のモデルにもなっている、元・判事で、今は弁護士として、日本の裁判制度を身に染みて知っているような人が、こんな発言をしている。(青木は、聞き手の青木理氏。話し手が、司法のプロ・木谷明氏である)。

青木 刑事法の大家で東大総長も務めた故・平野龍一氏が「わが国の刑事裁判はかなり絶望的」と言ったのは1980年代でしたか。木谷さんはいま、率直にどうお考えですか。
木谷  ええ、絶望的ですね(苦笑)。いや、自分が裁判官をやっている時はもうちょっとましかなと思っていたんです。しかし、野に下ってみると、ごく当たり前のことが通じない。そんなことばかりです。
根本的に変えなければダメなんです。

 こうした司法の真ん中にい続けて、どうすればいいのか?を身を持って示し続けた人もいるのに「司法界」という大きい組織は、変わらなかったようだ。それは、自浄能力がない、ということなのだろうか。

 ただ、少しでも考えれば、自浄能力があるような「組織」が、存在するのだろうか。

 どんな「組織」であっても、そこに属する人間は、目の前の仕事を必死にやるだけの余地しか残されていないのであれば、何が正しいのか、そんなことを考える時間も余裕もないのが通常ではないだろうか。

 もしも、そんな状態で、「真っ当」なことを言う人がいれば、変わり者扱いされるか。もしくは、「組織の論理」に、黙って従わないという「罪」によって、「左遷」されてもおかしくないのは、少しでも組織で働いたことがある人であれば、共感してくれると思う。

 その上で、そんな「組織」しか存在しないのではないか、と思えるのは、独りよがりの「理解」に過ぎないのだろうか。

ジャーナリズムの変わらなさ

 例えば、今回の「信頼されるジャーナリズム」の提言は、その「中の人」から発案されたものだから、とても価値があると思う。

 それは「組織」に属しながら、何かを言うことは、決して「組織の人」としてプラスになるわけがないように思えるからで、だから、もしかしたら、これまでとは違う尊い行為なのではないか、と思うから、今後にも期待してしまう部分がある。

 ただ、どれだけ問題点を指摘されて、それを頭でわかっていても、「変化」することが、今まで不可能だったのは、本質的に、「組織」というのは変化に対して拒絶を繰り返してきたからだし自力では、変わること自体が不可能ではないか、と思う。

 それは、自浄能力のなさにも、つながってくる。

 外部からの提案が、どれだけ筋が通って正しくて、場合によっては利益を生むことになったしても、ジャーナリズムの組織であっても、「組織」が変化を拒むように思えたのは、noteのこの記事↓を読んだからでもあった。

 この記事を書いた人は、元・新聞記者。過酷な環境によって病気になったり、退職をせざるを得なくなるに至るまでの貴重な記録でもあって、ご本人はヘタレ、ポンコツ、と自己評価しているのだけど、辛かったに違いない時期のことも(思い出して書くことも負荷がかかったと思われるのに)、細やかに観察し、それでいて、外側まで伝わるように書けるのだから、力がないわけがない、と思える。

 このポテンシャルがある人を、新聞社が、もう少し、これまでとは違った方法で育成する期間を設けてくれれば、今まで書いてきたような、これから「信頼されるジャーナリズム」を再構築する可能性を見せてくれたのではないか、と思うくらいだった。(こうした記事↓も書けるところに、そうした可能性が見えるように思った)。

   私自身は30年以上前に、スポーツ新聞の記者をしていて、やはり2年足らずでやめている。

 それは、人より早く知る、ということに、そんなに快感も持てないし、あとは、大きな見出しになることよりも、もっと小さな変化などを書きたいと思うようになったからだった。

 私は、幸いにも、本当に上司や先輩に恵まれて、最初は暗いと言われていたのに、いつの間にか、〇〇社に向いている、と言われるようになり、このままだと、適応し過ぎて、自分には向いていない大きな見出しの派手なことを書く人になっていくのではないか、と思って、ちょっと怖くなって、やめた部分もある。(もちろん、それが誰にとっても正しいことではありませんし、現在、こんな感じなので、自分の能力を過大評価していたみたいで、なんだかお恥ずかしいですが)。

   

 それより、この「獅子まいこ」氏のnoteを読んで、やや驚いたのが、会社の場所や、新聞の種類や、何より30年くらい時代が違うのに、受ける印象が、私がいた頃に見聞きしたマスコミ業界と、すごく似ているような気がしたことだった。(しつこいようですが、私は環境に恵まれていました)。

 なんというか、すごくエネルギッシュを強制され、しかも、油断ができない組織、というのは、もしかしたら日本社会の会社全体にまつわる、今も問題になる事のような気がするけれど、何しろ、本当に変わっていないことに、少し驚いた。

 このnoteに出てくる上司の方々(多分、私と同年代だと思われるので、少し想像しやすいのですが)も、あまり何も教えられず現場に出されて、とにかくネタをとってこい、といった中を、必死に戦うようにやってこられたのだと思う。

 その頑張り自体は、尊いのだとも思う。組織から早々に脱落したような私のような人間には、本当に想像しにくいとは思うけれど、それで頑張ってきたら、そのやり方に疑問を持つことは、人間として難しいのは当然で、だから、30年経っても、ほとんど同じ方法論で、今も記者は育てられているのかもしれない。

 そして、例えば、ここまで書いてきたような、「権力との距離感」への、改めての本質的な検討、などを真剣に考えているような人間は、組織から離れてしまう確率が高い気がする。

 だから、組織は変わりにくい。

 これから、何十年経っても、本当に破局を迎えなければ、根本的に変わることはないと思う。

 

 組織が自分で変わっていくことは不可能だということを、このnoteを読んで、改めて分からされたので、本当に心身を削るようにして貴重な記事を書いてくれた「獅子まいこ」さんには、お礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

シン・ジャーナリズム

 では、どうすればいいのだろう。

 多分、ジャーナリズムの「中の人」には、届かないはずの「これからのジャーナリズムへの提案」をしたのだけど、最初は、それでも、現在存在する新聞社やジャーナリズムの組織に対しての希望というか、要望のつもりで書いた。

 だけど、法曹界のこと、そして、ここ10年以内のジャーナリズムのことなどを、部分的にでも知り、改めて「組織」というものを考えれば、現存する組織、それもある程度以上の規模の「組織」に変化を求めるのは、無謀というよりも、可能性が少しでもあるとは、やっぱり思えなくなった。

 だから、もし、「ジャーナリズム信頼回復」が可能になるとすれば、そして、その提言を本気で、現実化に近づけるとすれば、そのうちの一つの方法は、この「ジャーナリズム信頼回復のための提言」チームに参加している、各社のジャーナリストの方々が、今の会社をやめ、その全員で一つの組織を作り「シン・ジャーナリズム」として、再出発するしかないのではないだろうか。

 

 例えば、昔の話になるけれど、今も存続している「週刊金曜日」は、20年以上前に、広告に頼らずに、これまでになかった信頼できるジャーナリズムを作りたい、といったことからスタートしたと記憶している。

 その宣言を知ったことで、私も最初の1年か2年は定期購読をしていたから、そういう志をオープンに宣言し、資金を集めて、「シン・ジャーナリズム」を始めて継続する、といったことは、今はインターネットも存在するし、不可能ではないように思う。

(もちろん、この「シン・ジャーナリズム」というのは、イメージを表した仮名に過ぎません)。


 とても無責任に聞こえるとは思うのだけど、そうした新しい試みを始めてもらえたら、元・読者から、現・読者に復帰したい気持ちは、かなりある。

 そして、コロナ禍で混乱している今こそ、「シン・ジャーナリズム」は、本当に切実に待たれているのは、間違いないとも、思う。


 長い記事を最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。いろいろと未熟な考えを進めてしまったようにも思いますので、もし、よろしかったら、疑問や、ご意見などもお聞かせ願えれば、とてもありがたく思います。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


#推薦図書    #新聞   #ジャーナリズム

#新聞記者   #マスコミ   #最近の学び

#ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言

#自浄能力    #権力との距離感   #政治部

#法曹界    #政治   #社会部 #ジャーナリスト





この記事が参加している募集

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。