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「2007年のワールドカップ」③

   初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 基本的には、アメリカンフットボールの試合の観戦記です。

 もし、よろしかったら「2007年のワールドカップ」①(リンクあり)から、読んでいただければ、ありがたいです。

 それでも、ここだけ読んでいただく場合は、このまま読み進めて下さい。


 すでに、「2007年のワールドカップ」②(リンクあり)まで読んでいただいる方は、「先制点」から読んでいただければ、よりスムーズに話がつながると思います。

2007年のワールドカップ

 それほど広く知られていないことなのだけど、アメリカンフットボールでも、ワールドカップが行われている。第1回は、1999年にイタリアで行われ、日本代表が優勝している。そのあと2003年のドイツ大会でも、日本代表が連覇をしたが、アメリカ代表が参加していないため、大きく報じられることもなかった。

 そして、第3回のワールドカップは、2007年、日本の神奈川県川崎市で行われることになった。

 個人的なことだけれど、取材して書く仕事で、日本の国内のアメリカンフットボールに関わってきた。それが10年ほど続いた後、1999年からは、介護のため仕事をやめ、当然、アメリカンフットボールの取材にも関わらなくなっていたが、2007年の大会には、入場料を払って、観戦をした。その戦いは、大学生主体とはいえ、初めてアメリカ代表が参加したこともあり、緊張感の高い時間が続いていた。

 もちろん、アメリカンフットボールの専門誌では、大きく取り上げたものの、もっと広く伝えたいという気持ちもあって、このワールドカップのことを書いて、そして、公募された賞にも応募したものの、落選をした。


 それから10年以上の時間が経って、今、振り返っても、あの時のワールドカップのことは、昔の話であっても、まだ伝わりきっていないし、そのときに見た観客の一人として、まだ、伝える意味はあるのではないか、と思った。

 こうしてnoteを始めるようになり、少しでも多くの方の目に留まる機会が作れるのではないか、と思い、人によって、昔の話だし、関心がない方には申し訳ないのですが、「スーパーボウル」という世界最高峰のアメリカンフットボールのゲームが行われる時期に、伝え始めようと思いました。


 2月上旬から、毎週、火曜日に何回かに分けて、「2007年 アメリカンフットボールのワールドカップ」のことをお伝えしようと思います。

 今回の話は、2007年のアメリカンフットボールのワールドカップの決勝戦アメリカ代表と日本代表の試合が始まるところからです。

(今回は、約1万字です)。

先制点

 キックオフはアメリカ代表だった。

 自陣35ヤードから蹴られたボールは、ホントにぽーんと音がするようにあっさりと重さがないように飛んで、65ヤード先にあるゴールラインを超えて、転がった。

 この場合、日本代表は自陣20ヤードからのオフェンスになる。
 ゴールラインは80ヤード先にある。
 とにかく、そこへ向かって進むのが、オフェンスのやるべきことだった。

 オフェンスの「司令塔」といわれるクォーターバックは高田鉄男。背番号18。
 身長180センチ。82キロ。25歳。高校の時に日本一となり、立命館大学の時も2年続けて日本一。社会人では、松下電工インパルスで活躍し、去年は、社会人の中でのオールスターにも選ばれている。運動能力にも優れたクォーターバック。カタログには、そんな紹介がされている。

 オフェンスの11人がフィールドに散らばる。
 ボールがスナップされ、ディフェンスも含めて、22人が一斉にフルスピードで動く。一瞬で無数の激突。ボールを持ったクォーターバックは、素早くパスを投げた。それは、本当にあっさりという音が出そうなほど、自然に相手ディフェンスの選手にとられた。インターセプト、といわれるディフェンスのビッグプレー。この瞬間に攻守が入れ替わってしまう。

 そして、ボールをとったアメリカの選手は、一瞬の間もなく、すぐに前進していた。前へはじかれるように進んでいる。日本代表のゴールラインへ向かって、なんのちゅうちょもなく走っている。その動きは、まるであらかじめプログラミングされているように見えた。恐さを感じた。これまで見てきた日本国内の選手のこうした時の動きには、ボールをとってから走り出すまで、微妙な間があったように見えてきたせいかもしれない。

 日本の選手は、その走りを止めるために集まってくる。だけど、観客から見て「これで止まっただろう」と思えるような強いタックルなのに、止まりきらない。観客としては、息を止めるような気持ちになって、ゴールラインが近くに見えて、さらに多くの体を投げ出すようなタックルが集まって、ようやく止まった。そんなに長い時間ではないはずなのに、やたらと長く感じた。まだ最初のプレーなのに。

 ゴールラインまで、あと15ヤード。
 時計もプレーもいったん止まる。
 アメリカンフットボールはオフェンスとディフェンスでは別のチームというくらい、ほぼ全員が入れ替わる。フィールドでは人の移動が激しくなり、そして全員がそれぞれのポジションについてから、また動きが止まる。

 アメリカのオフェンス。
 最初は楕円形のボールを持って走って進むランプレー。日本の選手達がわさわさとスゴいスピードで集まり、前へ進ませなかった。

 次のプレー。パスが通った。11ヤード進んだ。オフェンスの始まった地点から10ヤード以上前進すると、ファーストダウンといって、再び4回の攻撃権を得ることになる。

 ゴールラインまで、あと5ヤード。
 スタンドからは、凄く近くに見える。アメリカは、ここから4回のオフェンスが出来る。

 次のアメリカのオフェンス。ランプレー。日本代表のディフェンスは前へ進ませない。

 さらに次のアメリカ代表のオフェンス。ランプレー。必死のタックルがあったはずなのに、無数の激突があったはずなのに、アメリカの選手はゴールラインを超えて、その先のエンドゾーンといわれる場所へ、合理的に走り抜けたように見えた。
 タッチダウンで、6点が入る。

 その後には、さらにトライフォーポイントというプレーがオフェンス側に与えられる。ゴールラインから3ヤードの地点から1回だけオフェンスできる。そこからエンドゾーンへパスかランでボールを持ち込めば2点。キックでH型ポールを通せば1点が追加される。接戦になると、このプレーの重要性はよけいに増してくる。

 アメリカはあっさりとキックも決めて1点が追加される。

 0対7。

 日本代表は、負けられない試合で、3分たたずに、もう点をとられた。
 アメリカ代表の選手達は大きく頑丈で少し角張ったロボットのように見え、日本の選手達はとてもスリムに思えていた。
 
 ここにいるアメリカ代表は、アメリカンフットボールの歴史が始まって以来、初めて組まれた公式な代表だった。今年のプロのアメリカンフットボールのチームにドラフト指名されなかった大学のプレーヤーばかりのはずなのに、こんなに強いのか、と思った。

 アメリカのプロは、どれだけ強いんだ、と想像すると、遠い気持ちになる。

圧倒的な差

 アメリカの選手が、またボールをキックして試合が再開される。そのボールは軽そうに飛んで、またエンドゾーンへ届いた。日本のオフェスは、また自陣20ヤードからになる。

「にほん。がんばれ」。
 小さな男の子の声が、けっこう遠くから、それほど大きくないのに、よく響いた。

 少し太陽の光がさしてきた。でも、全体的には空は暗く、台風の気配みたいなものは近づいてくるように見えた。風も強いままだった。

 日本のオフェンスのクォーターバックは、今度は波木健太郎になる。25歳。身長185センチ・92キロ。ヨーロッパでのプレーも経験してきたプレーヤーだった。

 こうして状況に応じて3人のクォータバックがプレーするのが日本代表のプランのようだった。波木が1回オフェンスした後、クォーターバックは、また高田にかわる。

 そして、3回目のオフェンス。
 パスを受けたランニングバック・古谷拓也が人の密集する真ん中を抜けていった。大きく前進して10ヤード以上進み、ファーストダウンをとった、と思ったら、まるで交通事故のように突然、強いタックルをうけ、ヘルメットが飛ばされ、倒れ、その場で動かなくなった。

 圧倒的な差。薄い絶望感みたいなものが、スタンドをおおった気までした。その選手はしばらく動かないまま静かにサイドラインへタンカで運ばれていった。

 アメリカのディフェンスの選手達は、すごいタックルで相手を止めても、思ったより進まれた時でも、自慢気にふるまうでもなく、がっかりするでもなく、ふっと一斉に同じようなタイミングで首を回し、サイドラインの方を見て、コーチの指示に注目しているようだった。よく出来たロボットでなければ、体の奥にまでしみ込んでいる習慣に見えた。

 それから、何回かのオフェンスの後、ハーフラインを少し超えたあたりで、日本代表は、それ以上は前へ行けずパントを選択して、攻撃権はアメリカへうつった。

日本のオフェンス

 そのアメリカのオフェンス日本のディフェンスは体を張って、止めている。
 ボールを持った相手の選手に、ひたすら集まるだけでなく、自分達のリズムを少しずつつかんでいくように見えた。そして、アメリカ代表は3回で10ヤード進めず、パントを選択した。

 また日本のオフェンスになった。
 ゴールラインまで、あと45ヤード。クォータバックは、富澤優一。背番号は13。

 100メートル先から、ヘルメットの中に見える目は、とても冷静に見えた。

 さっき倒れて運ばれていた古谷が、もうフィールドにいた。173センチという、この中では小柄なはずだが、またタックルを受けつつ、前へ進もうとしていた。日本代表は、ボールを持って進むランプレーと、クォーターバックからボールが投げられるパスプレーをおりまぜつつ、前へ進む。

「にっぽん」。
「にっぽん」。
 手拍子と共に、そんな声援も響く。

 ゴールラインまであと12ヤード。
 審判のフエが鳴って、第1クォーターが終わった。

 フットボールは第1クォーターと第2クォーターで前半。第3クォーターと第4クォーターで後半という構成になっている。そして、1クォーターのプレー時間は、12分だった。

同点

 第1クォーターが終わると、陣地を交代する。時間が止まり、選手達が動く。ここで、いいリズムが変わってしまうのではないか?と観客は勝手な心配をする。

 オフェンスの方向が変わった。クォーターバックも高田に代わった。
 プレーが始まると、高田は、ボールを持って、自分で前へ進もうとしている。ゴールラインが近いほどボールの周辺は人口密度が増している。まるで満員電車の中を前進しようとしているように見える。だから、1ヤードが遠い。高田は前へ行こうとして、かえって後ろにさがってしまった。

 観客として、なんだか少し集中力がきれ、オフェンスの合間の25秒間に周りを見たら、少し遠いところに、知っている顔があった。昔、取材をしている頃、いろいろとお世話になった社会人の強豪チームのスタッフだった。現役として活躍した後もフットボールに関わり続けた人で、いつもにこやかな印象だった。今も、基本的には変わらないように見えたが、確実に歳をとっていた。この人も、この日を待っていたのだと思った。

 次のプレーが始まっていた。
 クォーターバックの高田は、人がもっとも密集している真ん中を突破しようとしていた。味方が道をあけようとしている。プレーが始まるまでの時間の中で、相手の意図をよみ、その裏をとろうとしてお互いの様々な意図が交錯しているはずで、そしてプレーが始まってからも、いろいろな意志がぶつかりあい、実際に無数の激突があるはずなのに、スタンドから見ると、あちこちで一斉にプレーが起こり、人の固まりが出来て、ほぼ数秒でプレーは終わってしまう、という印象になる。

 高田は10ヤード以上進んだ。そして、あとゴールラインまで、あと2ヤードを残してフィールドに倒れていた。

 クォーターバックは富澤にかわる。
 プレーが始まる。日常的な動きで、スムーズにパスを通し、タッチダウンをとった。


 7対7
 少し前にあるオーロラビジョンに、今のプレーが再び映っているようだ。多くの視線が集まっている。さっき見かけたスタッフの人も振り返って見上げていた。すごく嬉しそうな顔だった。


逆転


 雨が、急に激しさを増した。カーテンのように、ひだを作っている。なにかを漏らすみたいに、だばだばと水が大量に落ちてくる。雨音がいろいろな音を包んでしまうような変な静かさになる。

 風もさらに強くなった。
 スタジアムの後ろのすきまから、20メートル以上はあるはずなのに、雨が吹き込んできて背中にあたっている。レインコートのフードをかぶり周りを見てからカサをさす。飛ばされないように強く握る。

 アメリカのオフェンスの時、日本のディフェンスの激しいタックルが、ボールを落とさせ、それを押さえて攻撃権を奪った。そこから始まった日本のオフェンスは、タッチダウンまでは届かず、フィールドゴールを選択していた。フィールドから楕円のボールを蹴ってH型ポールを通せば、3点が追加されるという得点方法だった。

 でも、49ヤードある。
 かなり長い距離だった。それに雨も風も強い。

 11人の選手達は、それぞれ自分の位置に散らばり、キッカーは少し離れたところでボールが来るのを待つ。観客としては、息を止めるような瞬間だった。

 ボールがスナップされる。味方も相手も一斉に動く。そのボールをキャッチした選手は、キッカーが蹴りやすいようにボールをセットする。もうキッカーは助走を終えて足を後ろに振り上げている。その時間の中でアメリカの選手は、そのボールを止めようと殺到してきた。その本気具合がスタンドまで伝わってきたような気がして少し恐い。蹴られたボールは、でもアメリカの選手達の手の上の空中を飛んで、フィールドゴールは成功した。

 10対7。
 スタンドよりも低い位置から起こったような歓声は、どんどん高くなっていき、最後は空へ向かってわれるように散って、どよめきとなった。
 日本が逆転した。
 前半は、まだ約8分残っていた。

アナウンスの声

 雨と風は、さらに激しくなった。それでも時々、空は黒いまま、太陽の光がさす瞬間もあった。 


 どちらのチームにも、それから点が入らずに、前半の残りは1分を切っていた。
 アメリカ代表のオフェンスは、何度目かのサードダウン…3回目の攻撃…を迎えていた。
 ゴールラインまで、あと31ヤード。
 ファーストダウンを獲得するまでは、あと3ヤード。その距離をアメリカが進めば、まだ攻撃は終わらない。だけど、ここで止めれば、おそらくアメリカのオフェンスは、そこで止まる。

 また勝負どころが来た。
 場内の男性のアナウンスの声の質が変わった。

「本場、アメリカの応援方法を紹介します」。

 軽い反発と違和感で、その声に今までにないくらい集中した。たぶん、他の観客も同じような反応をして、そして、一斉に少しだけ頭を動かしたような気がした。

「相手のオフェンスの時、特にサードダウンの時、ホームチームの観客は、これまで以上の歓声によって、サポートします」。

 そんな内容の話を続けた。無理に感情を押さえたような声になっていた。
 確かに、大きな歓声だけでなくブーイングなどで包まれたら、それだけで相手のプレッシャーになるだろう。さらに、フットボールの攻撃側は、予定されたオフェンスをしようとして「相手ディフェンスによまれている」と感じ、そのオフェンスを変更する場合があって、その際クォーターバックが暗号のような指示を出すことがある。

 だから、それが聞こえないくらい大きな声や音が起こったら、実質的なサポートになる可能性があるのだ、と改めて思い出す。

 空気が少し沈み込むように、やや静かになったスタンドのあちこちから、まとまりはないけれど、きちんと言葉になっていない声や、慣れていないようなブーイングの音が起こり始め、それは本当に膨大な固まりのようになって、フィールドに注がれ始めた。
 これまでとは質の違う歓声に思えた。

前半最後の攻防

 プレーが始まる。アメリカ代表は走る。止めたと思ったところから、さらに走られた。パワーやスピードだけでなく、相手にタックルを受けてから最も合理的に自分の力を有効に使うようなプレーに見えた。5ヤード進まれて、ファーストダウンをとられてしまった。

 なんともいえない空気の中で、またアメリカのオフェンスが始まる。
 すると、日本のディフェンスラインの主将・脇坂康生が密集の中から抜け出し、相手のクォーターバックをつかまえた。もちろん激しいタックルではあるのだけれど、どこか慎重で大事に相手を倒したようにも見えた。アメリカ代表は、1ヤード後退した。

 歓声が、急激に上がる。
 そして、その流れを、勢いを切るように、アメリカはきっちりと3回目のタイムアウトをとった。プレーが止まって、両チームは、サイドラインに集まり、短いミーティングをして、次へ備えている。
 エンジンがあったまったままのように、スタンドには熱気がこもり、その熱さが場内を回っているようになっていた。

 前半は、残り12秒。ゴールラインまで、あと27ヤード。
 それぞれのチームの11人がポジションにつこうと動いている。
 スタンドの歓声のテンションは、もう上がってきた。

 プレーが始まる。22人が一斉に動く。無数の激突が起こっている。
 アメリカ代表のクォーターバックの投げたパスは、失敗した。
 時計が止まった。

 次が、前半最後のプレーになるはずだ。
 アメリカがフィールドゴールを選択した。キッカーが出てくる。
 また、願いというものもこもったような、整理されていなけれど、大きな歓声がわき起こっている。

 わきさかー。という声。
 22人が、フィールドにいる。

 アメリカのキッカーが、構えている。
 ボールがスナップされる。
 日本代表の選手達が一斉にラッシュする。
 キッカーがボールを蹴る。
 そのボールは空中に飛んでいったが、ポールの間を通らなかった。
 失敗。

 そこで前半が終わった。10対7。日本のリードは守られた。
 長くて短い時間だった。

 選手達が、スタッフが、川の流れのように、フィールドから、サイドラインから、出ていく。
 フィールドには誰もいなくなった。

 ハーフタイムショーが、ほどなくして始まった。
 先週と同じアイドルグループが歌っていた。
 空は黒いままだった。

集まっている場所

 後半が始まる。
 あと1時間くらいで、日本のアメリカンフットボールのこれまでの蓄積の答えが出る。大げさで感傷的すぎるかもしれないけれど、そんな気持ちにもなった。

 後半の最初のアメリカのオフェンスは、それほど進まずにパントで終わった。
 ここの競技場は、半径200メートルくらいの楕円形の中に、今は人が1万人以上集まっている。ここから見える向こう側のスタンドからも、膨大な視線がフィールドに注がれているのは分かる気がする。

 次は日本のオフェンス。それも、あまり進まずにパントで終わった。

 私から、かなり下のスタンドで立ち上がった人は、見た事がある顔だった。
 取材していた10年間で社会人リーグの1部に上がり、アメリカからコーチも招き、年々確実に強くなり、そして日本一となったチームで現役の選手として、引退後はコーチとしてフットボールに関わっている人だった。遠いせいかもしれないが、あまり印象は変わらなかった。

 このスタジアムには、私が取材した人達だけでなく、このスポーツの関係者といえるすべての人が、さらには、現役のプレーヤー達が、もちろん古くからのファンや、あらゆるアメリカンフットボールに関わる人が、すべてここに集まっている気がしていた。

同点

 アメリカ代表のオフェンスはさらに続き、前進し、ゴールラインまであと18ヤードまで来た。

「業務連絡です。
 サードダウンです」。

 3回目のオフェンスをサードダウンといい、そのオフェンスで、合計10ヤード以上進むことになれば、ファーストダウンとなり、さらにオフェンスが続くが、そこを止めれば、オフェンスもいったんは止まる。

 場内に響くアナウンスは、もうホームチームの応援のようだった。そして、それに応じるように、歓声や音が自然と高まっていく。向こう側のスタンドも、手をたたいたり、声を出したり、そんな風に細かく動いているのが見える。

 あと4ヤード進めば、ファーストダウンになるところで、アメリカ代表はパスを投げ、それは通らなかった。

 そして、フィールドゴールを選択した。
 キッカーが出てきて、いったん時間が止まり、そして再びプレーが始まったら、高く蹴られたボールはスムーズにポールの間を抜けていった。
 10対10。
 同点に追いつかれた。
 第3クォーター。残り4分18秒だった。
 


ゲームの質の変化


 日本代表のオフェンスに代わる。
 自陣20ヤードから、80ヤード先のゴールラインを目指して、進んでいく。

 クォーターバックは富澤。ランプレーとパスプレーをおりまぜながら、前進する。
 その途中で、この試合では初めて、クォーターバック以外がパスを投げるというトリッキーなプレーを見せ、それはあっさりと相手にカットされてしまった。

 観客にとって、嫌な予感のする瞬間だった。その後パントとなり、アメリカのオフェンスに代わっても、まだ、嫌な予感を勝手に引きずっていた。

 アメリカのクォーターバックがパスを投げた。
 それをとったのは、日本の選手だった。

「ターンオーバー」。
 
 場内に響く大きなアナウンスの声。
 一瞬で攻守が入れ替わる。
 ちょっと間があって、スタンドが急激に盛り上がっていくようだった。
 ゲームの質が少し変わったような気がした。
 

 また、日本のオフェンスになった。相手陣内42ヤードからだった。
 パスやランで、だんだんとゴールラインの先・エンドゾーンに近づいていくのだが、残り20ヤード近くになって急に進まなくなったように見えた。

 日本代表はフィールドゴールを選択する。
 キッカーは、少し前傾姿勢でプレーが始まるのを待っている。
 もっと風も強く、雨も強く、しかもさらに遠い地点からのキックを前半は決めていた。
 ボールが後方にスナップされた。22人が一斉にフルスピードで動き出す。 
 1秒足らずの間に、キックされ、さらに遠くへ飛ぼうとしていた楕円形のボールは、完全に手を伸ばしたアメリカの選手達にブロックされ、はねかえり、フィールドに転がった。フィールドゴール失敗。

 もう、どちらのボールでもない。両チームで22人の大勢の選手達が密集し、激突し、固まりのようになって、ボールがどこにあるか分からなくなった。

 ホイッスルが鳴り、プレーが止まった。人の固まりがほぐされ、そして、ボールを押さえていたのが日本の選手だと分かった。

 さっきよりもゴールラインからずいぶんと遠い地点だった。でも、まだ日本のオフェンスが続く。チャンスはつながった。

 さらにゲームの質が変わったように思えた。


タッチダウンへの時間

 ゴールラインまで、あと46ヤード。
 古谷が走った。1ヤード進んだところで止められた。

 次のオフェンスが始まり、富澤がパスを投げた。
 通った。
 11ヤード進んだ。
 ファーストダウンをとった。

 あまりにもスムーズで、歓声が十分に上がりきらないうちに、再びオフェンスが始まり、富澤がパスを投げていた。
 また通った。
 今度は、さらに14ヤード進んだ。 またファーストダウン。

 そして、次は古谷が走った。
 新たに14ヤード前進した。
 さらにファーストダウンを重ねる。

 これまでの時間からは信じられないようなスムーズな進み方だった。
 4回のオフェンスで、ゴールラインまで、あと6ヤードまで来ていた。
 歓声が上がりきる前に、ここまで進んできて、そして、観客は、ここからが難しいと勝手に思って見ていた。

 プレーが始まる。富澤にボールが渡る。ちゅうちょも力みもなく、ごく自然にパスをなげ、それをあっさりと、エンドゾーンでキャッチしたのは日本の選手だった。

 こんなに簡単なのか。そんな解放感のあるタッチダウンだった。見本のようなオフェンスだと思った。スタンドからは気持ちよく歓声が上がっていた。トライフォーポイントのキックも決まった。

 17対10。
 日本代表が、またリードした。

合理性の歴史

 試合が終わるまで、あと5分ある。アメリカンフットボールはプレーしていない時間は時計が止まったりもするので、得点するにも、失点するにも、まだ十分な時間が残されていた。

 雨はまた強くなり、風もかなり強くなり、レインコートを着て、カサをさしても、後ろから雨がたたきつけられるのが分かった。いよいよ台風が、ここを通過するんじゃないか、と思えた。

 アメリカのオフェンスになる。自陣20ヤードから始まる。ゴールラインまでは、残り80ヤード。
 走る。
 日本が止める。

 走る。
 止める。

 サードダウンのオフェンス。
 走られる。
 ファースドダウンになった。また、4回の攻撃権をとられる。アメリカ代表は、とても確実なフットボールを続けているように見えた。

 次のオフェンスで、また走られる。
 今度は、14ヤードも進まれた。

 次のオフェンスでも、さらに、走られる。
 19ヤード前進された。

 こんなに、進まれるなんて、という気持ちになる。
 日本代表はタイムアウトをとった。

 アメリカのプレーの一つ一つに、動きの説明がつくように見えた。最初に感じたような恐さは、日本の選手が止めてきたせいで感じなくなったが、そのぶん、ランニングバックの走り方、たとえば相手にタックルに来られてから、体を小さくして、1センチでも前へ進もうというような体の使い方などが、とても理にかなっているように見えてきた。

 それは大げさかもしれないが、100年以上の合理性の歴史が体にしみ込んでいるように思えた。だから、日本の選手達が早く集まり、強く止めても、指の間をこぼれていくゼリーのように、また前へ進まれてしまう。そんなように見えていた。

30ヤードの攻防

 アメリカ代表は、ゴールラインまで、30ヤード。そこを過ぎれば、タッチダウンとなる。再び、プレーが始まる。

 アメリカのクォーターバックはパスを投げた。
 その軌道は目的よりもかなり遠くの空間へ飛んで失敗した。狙ったところよりも上へ、遠くへいくようなパスは試合中には修正しにくい。そんな10年以上前に聞いた話を思い出し、勝てるんじゃないか、という気持ちが芽生えて見ていたら、アメリカ代表の次のオフェンスは、ランプレーで確実に6ヤード進んできた。

 3回目の攻撃。サードダウン。あと4ヤード進まなければ、アメリカのオフェンスは、たぶん、ここで終わる。

「サードダウンです。
 今日、一番の歓声をお願いします」。

 ここで止めたら、本当に勝てる。

 アナウンスの声がなくても、たぶん歓声は大きくなったはずだ。今日一番、と思われる音声がスタジアムをおおっていった。それがフィールドに存分に注がれたあと、まだ黒いままの空にまで届いているようにさえ感じた。私からは、多くの人のカサや後頭部やいろいろなものの向こう、100メートルはある遠さに選手達はいるのに、その存在はすごく近くに感じていた。

 プレーが始まる。ほとんどが日本への声援の中で、アメリカのクォータバックは短いパスを通し、きっちりと5ヤード進んで、ファーストダウンを更新した。まだアメリカのオフェンスが続くのだ。

 こういう状況の中での無数の選択肢があって、それは実際の試合の中で試されてきて、その一つを選んで実行した、という自然さに見えた。プレーのすみずみまで確実さがあった。そう見えたのは、歴史の短い一員の、ひがんだ見方なのかもしれないが、圧倒的な歴史の蓄積の違いみたいなものが、そこにあったように思えた。

 アメリカのオフェンスは、まだ続く。 
 止めたはずなのに、どうして、そこから、また進めるのだろう、という気持ちになる。

 距離的には、遠い出来事のはずなのに、ただ見ているだけなのに、自分が今にも落ちそうな平均台の上を渡っているような感じがしていて、顔の半分に力が入り、少し表情がゆがみ、いつのまにか左足のかかとが上がり、ふくらはぎに不自然に力が入っていた。

 ゴールラインまで、あと5ヤードしか残っていない。
 両チームの22人がそれぞれのポジションについた。プレーが始まる。満員電車のような中で無数の激突が起こり、そんな時間の中で、クォーターバックが、さりげなくボールを渡したランニングバックが、あっさりと走ってエンドゾーンに入り、タッチダウンとなった。その後のキックも、やっぱり、あっさりと決めた。

 下の通路の「WE ♥ USA」をかかげた数人の外国人達が、何度もとびはねている。
 17対17。
 同点に追いつかれた。

オーバータイムへの希望

 映画か何かでしか見たことがないのだけれど、アメリカ人の親子が、小さめの楕円形のフットボールでキャッチボールをしている光景。公園の木の枝にぶら下げられた古いタイヤの真ん中の穴に、楕円のボールを通そうと投げ続けるような映像…それが本当なんだ、と思わせるようなオフェンスの時間だった。

 親から子へ、そのまた子供へと、語り継がれるような様々なこと。「うちの息子をプロのフットボーラーにしたいんだ」。アメリカで、おそらく数限りなく言われるようなそんな言葉。ここにいるアメリカの選手達は、そうした願いを、もう少しでプロが届くようなところまで来ていたのだから、かなりの程度は、そうした夢をかなえているのだった。

 プレーの背後に、そんな圧倒的な蓄積が見えたような気がしていた。

 スタジアムの熱が下がっていた。がっかりまでいかないにしても、集中力が急に去りつつあった。それでも整理されていない熱気が、まだスタンドのあちこちに固まりとしてあるようだ。何しろ、試合の時間は、まだ残っていた。約3分。点をとるには十分だった。
 
 アメリカがキックオフをして、日本の選手がリターンをし、日本のオフェンスが始まったが、ほとんど進まず、パントになった。

 その後、アメリカにわずかの時間が残されていたが、もうプレーをすることもなかった。練習を終えるようにフィールドを去ろうとしていた。混乱した空気のまま、試合は一応、終わった。

 同点だった。でも、まだ勝敗を決めるための、延長戦のような、オーバータイムが残されている。

 風が、また強くなってきた。


(読んでいただき、ありがとうございます。『2007年のワールドカップ』④へ続きます)。



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