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読書感想 『プレカリアートの憂鬱』  「今でも届く叫び」

 著者の名前は、知っていた。
 テレビなどの討論番組でも一時期、よく見かけることがあった。

 それも、バンギャル、右翼活動、フリーターという、当事者としての経験があるからこそ、その言葉には説得力を感じることもあった。

この頃から、「貧困問題の論客」として、『朝まで生テレビ』をはじめとするメディアに登場するように。
一時期は「ネットカフェ難民の女神」という、「下町のナポレオン」みたいな呼ばれ方をしていた。

(「雨宮処凛 公式サイト」より)

「この頃」とは、2007年頃で、たぶん、私が知ったのも同時期だったと思う。そして、著者にとっては代表作ではないかもしれないけれど、2009年に出版された本を随分と年月が経ってから読み、そして、自分自身も、収入が増えるあてがないのに、様々なものの値上げで悲しい気持ちになっている2020年代の現在、この著書の言葉が、強く目に飛び込んでくるような気がした。



『プレカリアートの憂鬱』  雨宮処凛 

月収10万のフリーター、ロスジェネ世代のニート、“派遣切り”に脅える非正規雇用者、「債務奴隷」さながらの新聞奨学生、高学歴ワーキングプア、「ネットカフェ難民」の日雇い派遣―『雇用崩壊社会』の現実に迫る渾身のルポルタージュ。

(「Amazon」より)

 これは、2009年に出版された、この著書の紹介としてAmazonにも載っているのだけど、ここに登場する17人の、厳しい状況にいる人たちの声が、10年以上経っても、届いてくるような気持ちがするのは、今も変わらず社会が厳しいいままで、今後、さらに悪化しそうな状況だからだと思う。

 多くの過労死、過労自殺でも同様なのだが、身近な人のリストラという事実がもたらす恐怖によって過労に追い込まれるというパターンだ。自らがリストラ候補かどうかは誰にもわからない。だからこそ、常にその恐怖が付きまとう。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 今も派遣として働いていると、急に契約が切られる、ということもあると聞くけれど、こうした恐怖心は変わらないはずだ。

私自身、フリーター時代、バイトをクビになり、何度も自殺を図ったことがあるからよくわかる。くだらない仕事と思いながらも、そんな仕事にすら必要とされない自分。たかがバイトでも、私にはそれしか食べていく手段がなかった。それをある日突然、誰かの一言であっさりと奪われることの怖さ。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 この著者の言葉が発せられたのが、2000年代の後半のはずだけれど、基本的には、それがずっと変わらなかったことが、2020年代にコロナ禍になって、改めて明らかになってしまったように思えた。

今でも届く叫び

 この書籍には10人以上の人の言葉が記録されている。同時に、それに呼応するかのように著者自身の思いも書かれているのだけど、ここに登場している人たちは、その後、状況が好転しているのだろうか。

 そんなふうに想像するのが難しいのは、社会構造全体が、どう考えても良くなっているとは思えないからだ。

子連れで家を出たところで、働こうと思っても、仕事をしていないと子どもを保育園にも入れられない。しかし、保育園に入れないと職探しすらできない。不動産屋も、無職で子連れの女性に部屋を貸してくれない。仕事をしたくても、子どもがいると正社員として雇ってもらえない。

生活保護の相談に来たネットカフェ難民の若者が面談中に血を吐いたことを話してくれた。若者は結核に冒されていたという。漫画喫茶、ネットカフェで結核が集団発生しているという話は〇六年夏から聞いていた。

なぜ、最前線に行かねばならないことを嫌というほどわかっている当事者が戦争を望まねばならないのか、これがどれほどの切実さに基づいているのか。なぜ、そこに心を寄せようとしないのか。彼は戦争で死ねば「恩給」と「名誉」が得られると言った。フリーターのまま自殺しても、何も得られない。それどころか親と暮らす彼は、「親の寿命が自分の寿命」だと感じている。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 現状に絶望しているから、戦争という変化を望む人もいた。今は、どうしているのだろうか。この10年間でも、突然、暴発するような通り魔事件は増えてきた気もするのだけど、それを擁護はできないとしても、絶望の先の行動なのだろうか。

 一度フリーターになってしまうと正社員になるのは至難の業という不平等さがなぜか許容されている社会(経団連の調査では、フリーターを正社員として採用したい企業は一、六パーセント)。

卒業と就職が地続きになっているこの国では、年がひとつ違うだけで天国と地獄に分かれるという不条理が当たり前にまかり通る。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 こうした問題も、それから改善されたという話を聞かないまま、年月が過ぎ、コロナ禍に見舞われ、そして、立場が弱い人間が切り捨てられるような印象は強くはなっても、弱くなった気がしない。

二〇代を棒に振ったんじゃない。二〇代をフリーターとしてしか生きられなかったことで、人生そのものを棒に振ったんだ 

「最近の若者はすぐに仕事を辞める」などと「経済成長」世代は言う。が、果たして連日五時起き、帰宅が深夜の一時、二時という仕事を続けられる人などこの世にいるのだろうか。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 最低時給についての論議がされたり、実質賃金のアップなどが話題になったりもするけれど、それよりも様々な値上げの方が先行しているから、現在でも、とても希望を持てる気がしない。

 だから、この著書の叫びは、今でも届く言葉になっているのだと思う。

絶望の現在

一〇年後は自分の父親がもう働けなくなっているから、そうしたら自殺するしかない、という意見だ。父親の寿命が自分の寿命。特に実家暮らしの不安定層の数人から、そんな言葉を聞いた。現代の日本に、父親が死んだり働けなくなった時が自分が死ぬ時だと認識している二〇代、三〇代が実際にいる。彼らのこれまでの生活の中から滲み出た、ひっそりとした絶望。ある種の諦念のような、淡々とした絶望の底の深さに打ちのめされる。

(「プレカリアートの憂鬱」より)

 この言葉が聞かれたのが、2000年代の後半だから、その10年後は、すでに過ぎていることになる。

 その後、どうなっているのかはわからないのだけど、やはり、状況が好転しているイメージは持ちにくい。それは、10年以上経っても、様々な課題が解決していないからだと思う。


 2009年出版の著書ではあるのですが、ここにある言葉は、今も聞くべきことだと思います。


(こちらは↓、電子書籍です)。



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