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読書感想 『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』 「すでにあった現象の明確化」

 ここ数年、あちこちで見聞するようになったのは、スマホを手にするようになった高齢になった親に会いに、久しぶりに実家に戻ったら、外見は変わらないようだったのだけど、話をしたら驚くほどの変化があった、という話だった。

 そして、その言動は「ネット右翼」といわれてもおかしくない変化で、その生々しい体験を本にした著者がいて、分断から理解に至るまでの親子関係というものまで考えさせてくれる優れた作品で、紹介させてもらったことがある。 

 それは、とても個人的な話でありながら普遍的なことでもあったので、これで、シニアになってからの右傾化というのは、かなり理解できるのではないかと思えるほどだったのだけど、実は、まだ、実際の現場を明確にしつつ歴史的な視点から考える、という大事な部分をわかっていなかったことを、貴重な経歴を持った著者・古谷経衡によって、改めて見せられた。

 読んでみないと、その部分を理解していなかったことに気がつけなかった、と思う。


『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』 古谷経衡

 著者が、2010年代以降の「保守」の世界に詳しいのは、20代で「保守論壇」にデビューし著書も出版し、その後、その論壇に失望し、そこから出る、という経緯をたどっているので、近い距離でも知っているし、その世界をふかん的に見ることもできるからだ。

 そして、少しでも考えてみれば、「保守論壇」の世界に今もいる人は、詳しいのは当然だけど、そこを批判的に見るのは難しい。また「保守論壇」の世界の外にいる人には、その内部のことは、当然ながら、よくわからないはずだ。

 だから「ネット右翼」といったことが注目されるようになった2010年代以降で、著者のような経験と、分析や解釈もできる能力を持った人は、とても貴重なのではないかと、今回、この著書を読んで改めて思った。

「保守論壇」

2010年、27歳だった私は所謂「保守論壇」に入った。

(「シニア右翼」より。引用部分は、以降も基本的に同著より)

 このことは、他の分野であれば、ごく普通のことかもしれず、いわゆる新入社員であれば、さらに若いのも通常であるのだけど、この20代で論壇に入ったことの意味が、とても大きいことを、著者自身でも、入った後により理解していく、というような状況だったようだ。

 保守系言論人は完全に硬直化した階級ピラミッドを形成し、70・80代を超えた大学の名誉教授などを頂点として、60代以上が概ね第一線、50代で第二線、そのあとに40代が「気鋭」「若手」として続き、30代はまずほとんど居らず、居ても30代前半ではなく後半であってその役割は後方部隊で、20代はほぼ絶無だった。

 書籍を読むとき、その内容によっては、著者の年齢を確認することも少なくないが、保守系言論人の年齢が、これだけ高齢化していることは、こうして伝えてもらわないと、あまり気がつかなかった。

 保守系言論人の言説を受け取る視聴者や読者層というのはどうかというと、全く同じ構図かさらに高齢化が進んでおり、50代で「若手」という感じで、ほとんどが定年で会社をリタイアしたり、自営業者であってもその経営の一線からは退いて事業を部下に任せ、自身は経営を総覧するだけで暇と時間をもてあそぶ60代以上の高齢の集積体であった。まさにシニア右翼の世界がそこにあったのである。

 このことは、久しぶりに実家に帰ると、高齢の親が「ネット右翼」になっていた、という見聞した話とも符合していると思う。

私が2010年に保守論壇に入ることができた要因の最も重要なことは私の年齢であった。政治的右派とされるオピニオンの発信側も、また受け手も、著しく高齢化していたために当時27歳という私の年齢がまず第一に相当希少であった。

 そのために、「保守論壇」の世界で注目を集めるのも早く、だからこそ、この世界をよく知ることになった、とも言えそうだ。

「保守界隈」

保守界隈には暗黙のアンシャン・レジームがあり、先行的に保守活動をしていたものが一段上で、後発、特にネットでその勢いを増長させている勢力に対しては、既存の保守勢力は露骨に嫌悪こそしないものの一等見下していた。(中略)戦後日本の保守論壇の中核をなしてきたのはこの『正論』と産経新聞社であることは論をまたない。

 その上で、著者がコメンテーターをつとめていたネット番組のことは、のちにそこから離れるだけに、時間が経つほどに、あまり「いいエピソード」はないようだった。

 例えば、著者よりも若い貴重な言論人は、こうした状況だった。

 A女子は私より1歳年下で韓国が嫌い、中国が嫌い、『朝日新聞』が嫌い、民主党政権が嫌いという典型的なネット右翼のロイヤルストレートフラッシュを完備していたが、基本的な社会科学や歴史の知識が欠落していた以前に国語力が無かった。どのように無かったのかを簡略に記すと、「慎重」という漢字が読めなかった。数少ない貴重品のような同世代の知識水準が落盤事故レベルのありさまなのである。

 さらに、アラフォーのコメンテーターの状況にも厳しいものがあった、という。

 彼らは基本的な社会学の知識が全くなく、「日本が好きです、日本を愛しています」「靖国神社が大好きです」と連呼するだけで何ら具体的なコメントができる者は絶無だった。

 誰もが学部1年生レベルの教養も持っていなかった。本は買うだけで中身を全く読まない人たちであった。情報源は全部ネット動画だった。   
 しかもこれに留まらず、コメンテーター同士が些細な出来事で反目し、AがBを「在日朝鮮人だ」と陰で揶揄するという紛争まで勃発して私はそのレベルの低さと差別性にとうとう全部嫌になってしまった。

 そして、著者は「保守論壇」を去ることになるのだけど、その間の経験によって、そうした番組を支持する層も見てきて、構成する人たちの具体的な像を明らかにしていることは、時間が経つほど重要な意味を持つようになってくると思う。

 右派は経済政策にあまり関心がない。なぜなら彼らの構成主力であるシニアは、経済的に余裕のある中高年の自営業者や、すでに相応の貯金額を有し住宅ローンも完済し、自らの子息も社会人となって教育費の心配というものもない、という経済的に中産上位から富裕層である。そのために、リーマン・ショックの後遺症を受けていた当時であってすら、世論の愁眉であった経済対策とは別の政治的右派のイシューにこそ彼らは注目していたからである。 

「シニア右翼」になる理由

 「右翼とは何か?」「保守とはどんな立場か?」。そのことを、歴史を踏まえて考えれば、現在の「ネット右翼」と言われるような人々は「保守」とも「右翼」とも言えないのではないか、と著者は指摘しながらも、「シニア右翼」になる主な理由として、テクノロジーに関することと、思想的なことの2つを挙げている。

 彼らが普通のシニアからシニア右翼になったその最初の入り口は、ほとんどすべてが「動画」である。必ずその門戸は口を揃えたようにネット動画なのである。

 書籍や雑誌も買ってはいるが、それで必ず読んでいるとは限らないのは、著者自身の体験でわかっていたようだ。

 彼らにとってこういった保守系論壇誌を買うのはほとんどファッション的所作で、半ば「ファン買い」というものだった。

 そして、どうして「動画」によって、「シニア右翼」になるかと言えば、一つには、「動画」に対してのリテラシーの問題があるという。

 21世紀以降にネットに参入してきた後発のシニアは、ネットの危うさや脆さについての体験を持たず、その危険性について免疫が薄弱である。原体験の無さはリテラシーの低さと相関する。

 不完全で危うい時代をリアルタイムで知らなければ、クリックひとつで再生できる動画をうのみにし、そこにある種の万能を感じてしまうのは当然の成り行きと言える。

 さらに、思想的な理由としては、もともとの戦後日本のあり方、という大きい環境も関係しているという指摘もある。

 つまり「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を原則とした戦後民主主義の大原則は、彼らの中ではまったく咀嚼されることなく、「ただなんとなく、ふんわり」と受容されていたに過ぎないから、後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしまったのである。

 それについては、戦前から戦後にかけての歴史を具体的に振り返りつつ、大づかみでもありながら、それゆえに、大きな流れが見えやすい視点を提示している。

 戦後でも、日本が民主主義社会を達成したことは一度もない。
 戦後の日本でこういった旧体制が温存され、それが時間と共に金属疲労を起こしたからこそ、シニア右翼は生まれたのである。こう考えるとこの現象は戦後日本特有の現象だという事がわかる。 

 こうした指摘だけを読み、乱暴だと思う方ほど、できたら本書を手に取って全体を読み通していただきたいと思います。

 かなり説得力があるだけに、現実の厳しさと、変わらなさをより強く感じ、気持ちは暗くもなるのですが、まず、現実をなるべく正確に把握したい方や、「親がネット右翼になってしまった」という方にも、オススメできると思います。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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