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読書感想  『愛と差別と友情と LGBT Q +』 北丸雄二 「回路を通じさせるためのガイドブック」

 LGBTという言葉を覚えたのが、恥ずかしながら、自分の中ではつい最近だった。そこにQが加わり、さらに+という表現もされるようになった。定着と変化のスピードは速くなった。たぶん、理解が追いついていない。

 それは、おそらくは単に、見えていなかった事が見えるようになっただけなのだろう、と思えるようにはなったものの、それでも、自分は分かっていないし、分かるようにならないのではないか、という恐れのようなものは、ずっとある。

 橋本治の小説の中で、自分の思いを相手が受けいれてくれるか。ではなく、自分の思い自体を知られてはいけない、という登場人物がいて、それによって、同性愛であることの社会環境のようなものに、初めて思いが少しだけ至った、という記憶ぐらいしかない。

 だから、アメリカに長くいて、日本に帰国した著者の、今回の作品は、本当に知らないことばかりだった。というよりは、知らないことすら知らないことを、改めて教えてもらったような気がした。

「愛と差別と友情と LGBT Q +  言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体」   北丸雄二 

 マイノリティの権利が認められるような場所を見て、ただ、賞賛するだけでなく、そこに至るまで、闘いの歴史があったことを、ぼんやりとは意識していても、具体的には本当に自分自身が無知だった。

 例えば、1980年代、エイズという病気によって、アメリカの社会が、変わっていった。だけど、その変化の具体的な様相を、この本を読むまで、恥ずかしながら、知らなかった。

 八〇年代後半から九〇年代のアメリカのリベラル社会全体がエイズ禍と差別システムへの猛反撃を始めたわけです。そのことなしに、現在の同性婚合法化(結婚の平等)につながるゲイ・コミュニティ受容の現状はありません。

 それも、俳優ロック・ハドソンのエイズによる死によって、アメリカ社会に嫌でも衝撃が走った。そこから始まった、と言われていることも知らなかった。

 彼はエイズで死亡した世界的有名人の初めての例となりました。(中略)彼は、最もエイズから遠い(すなわちゲイとは無縁の)「オールアメリカン・ボーイ」(中略)(すべてのアメリカン人を代表するような男性)」という称号を欲しいままにしていた人物だった(と一般には思われていた)のです。 
 彼の死がアメリカの「世間」に与えた衝撃は二種類です。一つは、自分の知っている人物がエイズで死ぬという衝撃です(それまで死者はほとんど「他人」でした)。もう一つはそれに関連して、あんなに男らしいロック・ハドソンがゲイだとすれば、他の誰がゲイではないと言い切れるだろう、という、反語の形の衝撃でした。
 私たちの周りには、私たちが気づかなかっただけで、ゲイやレズビアンであることをひた隠しにしている友だちや家族や同僚がいるのではないか?私たちは気づかぬうちに、そんな友人知人たちにひどい言葉を聞かせていたのではなかったか?

 アメリカでは、1980年代という30年以上前。そこからの前提も過程もある。その歴史があってこその現在、ということを想像するだけでも、現状は違って見えてくるような気がする。

 エイズ禍に対応して、欧米社会はどんどんとカミングアウトの方向へと進みました。対して日本社会は逆に、ますますクローゼットの中へと隠れる方向に向かいます。

少数を許容しない社会構造

 著者の分析は、もともと、少しでも違うことを許さないような日本の社会構造の指摘にも及ぶ。とても納得がいき、そして、知っておいた方がいいことだと思ったので、少し長いけれど、引用する。

 「公」の領域は不可侵で、そこで、あるいは、そこに向かって言挙げをしたら、それだけで打ち首や村八分や勘当となり、連座する者たちまでが切り捨て御免となりました。これは根が深い。そうして大衆はそのうちに学習性の無気力に陥って、私的にすら救済されないものはもう「どうしようもないもの」と反応しなくなる。それが社会的成熟の在り方として浸透する。諦めることがオトナの処世となる。その次は、自分たちとは今や異質の、公的言語を発しようとする者たちを、逆にまず自分たちで抑圧するようになります。さらには否定します。それでもダメなら自分たちとは関係ない者として疎外する、あるいは無きものとして扱うーーー 公の領域での、社会の内側での、自動抑圧装置のループの完成です。
「公」の存在しない集団では、集団の不正を正そうという「内部告発」は「告げ口」になります。「私」から「公」への回路がつながっていないと、すべては個人的な怨嗟で語られてしまうのです。内部告発者は「告げ口する卑怯なやつ」です。「どうしてそれを法で守ろうとするのか?それは特権だ、そんな必要はない」ということになります。

 目の前が少し暗くなるほど、本当のことだと思う。

 そう考えると、アメリカ社会ではオトナになるということは「公の空間」で言葉を発することであり、日本社会では逆に言葉を発しないこと、という極論が成り立つことになります。

ホモソーシャルな日本の理由と、私たちの正体

 男女平等の視点から見て、日本の組織は中年以上の男性ばかりに権力が偏っている、という批判がされ、それは、女性蔑視、という言葉で語られることも多く、確かにそうとしか思えないのだけど、逆に言うと、どうして男ばかりでつるむのか、という基本的な疑問がわいてくることがある。

 だけど、それは、あまりにも日常化しているから、あえて指摘されていない。

 性的アイデンティティはストレート/ゲイだけれども、性的指向としては何割かゲイ寄り/ストレート寄りである人だって少なくはない。それにまた、そういうグラデーションの中でしか、日本社会でこうも多いホモソシアルな関係は説明できないような気がします。

 そして、そこから、もっと人間の欲望についての、根源的な考察へ進んでいく。

 「ホモセクシャルな欲望」を「都度的」で「忠実」な「変位」として捉えれば、それは自身の性的なアイデンティティとは関係なく、いや、自身の性的アイデンティティはそのままに、ホモセクシャルな欲望の矢印を肯定できるのではないかとも思うのです。なぜ肯定する必要があるのか?その否定がホモフォビアに向かうからです。そしてそのホモフォビアは、自身の都度的な磁場の乱れをも否定して、自家中毒的な苦しみに帰結するからです。

 さらに、人間同士の関係の見直しまで、話は深まっていくように思えた。

 私たちは、そうした意味でもさまざまに「セクシャル」であっていい。というより、そもそもが「セクシャル」である、と認めない限り、次には行けません。

 自分のことなのに、分かっていないこと、無理に押さえつけようとしていること、認めようとしないことは、想像以上に多い、と思った。

些細で重要なこと

 ここまで紹介した内容も、本書の一部に過ぎない。

 ニューヨークというとてもユニークな都市に飛ぶことができました。そしてそこで「ゲイのこと」を定点観測し突き詰めることで世界の諸々の事象の正体を知ろうとしていました。(中略)そのいずれもがとても基本的な事柄ながら、同時に多くの人がすっ飛ばしてきている、とても重要な、これまでの日本でほとんど誰も話してこなかったことだと思っています。

「ポリティカル・コレクトネス」のことなど、他にも、大事で、あまり聞いたことがない内容が多く、また、信じ難いような実験の結果も紹介されている。自分自身にとっても、知らないことへの自覚と共に、もしかしたら、回路は少しでもつながるかもしれない、と思えたのも事実だった。


「LGBT Q +」という言葉をこれだけ聞くようになり、少しでも興味がある場合、最初の1冊として、どなたにでも読むことをおすすめできる書籍だと思います

 知らないことばかりが多い、ということは、それだけ読む価値が高いということでもあると、個人的には思いました。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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