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第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」。横浜美術館------- 「戦いと混乱」。2024.3.15~6.9。

 横浜トリエンナーレも8回目を迎えた。

 最初に行われた2001年のときは覚えている。横浜駅近辺を通る電車の窓からでも、ホテルの壁面にくっついていた巨大なバッタのバルーンは見えていた。ただ強風に弱いため、それほど毎日バッタがいたわけではない。

 それでも、さまざまな国から大勢のアーティストの作品が集まってくるというのは、その頃はほとんどなくて、ありがたく、ちょっとワクワクしていた。

 2回目は、2005年だから、いきなり4年が開いて、トリエンナーレなら2004年なはずなのに、いきなり時期がずれたりした。かなり直前になってからキュレーターが交代するようなトラブルのようなこともあったけれど、第1回から、20年以上が経って、途中でもうこれで終わるのではないか、といった活気が下がった頃もあったし、2020年にはコロナ禍の真っ最中だったのに、なんとか続いていた。

 毎回キュレーターが代わり、その度にかなり全体から受ける印象も変わるので、始まるまでどうなるのかも、ずっと注目していなければ分からなかった。

 そして、2024年にも横浜トリエンナーレが始まっていた。第8回。これまで毎回、見に行っているので、誰が見ているわけでもないのだけど、行かなくては、という気持ちになっている。


野草:いま、ここで生きてる

 横浜美術館は、3年間、改装しリニューアルしたのが、2024年。その3月から横浜トリエンナーレは開催されているから、すでに2ヶ月くらいは過ぎていて、もうすぐ終わってしまうと思って、出かけた。

 最寄りの駅で降りて、美術館へ向かう。

 外側からは、どこが変わったのかはよく分からなかったけれど、中へ入って明るくなったような気がしたから、どうやら天井がガラスになっていたのかもしれない。

 そして、今回のトリエンナーレで、この入ってからの、やたらと横長の空間は、とても雑然としていた。そこは、建物の内部だけど、街中のような感じになっていた。

 腕も足も頭もかなりアトランダムに組み上げられたマネキンの人体。当然、性別もよく分からなくなっているが、その姿は意外と目立つ。ピッパ・ガーナの作品。

 中空に浮いているのは動物の皮のようにも見えるサンドラ・ムジンガの作品。さまざまなことから守るためのガードのようなものらしい。

 そして、3階への階段の途中に大きな映像が流れていて、それはウクライナ出身のアーティストたちの「オープングループ」の作品だった。人の顔が大きく映り、声で爆撃の音を表現する。それはすでに2年以上続いているロシアからの攻撃であって、今も日常になっていることだった。

 今回の横浜トリエンナーレのアーティスティックディレクターは、北京を拠点に国際的に活躍するリウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーということだったけれど、もっとアートに詳しい人だったら知っているかもしれないし、現在の世界のことに関心が高かったから、あああの人かと思ったかもしれないが、私は知らない人だった。

 だけど、たぶん、これが今の世界のアートのトレンドなのだろうと思っていた。

戦いと混乱

 そして、そこからエスカレーターで3階に上った。そこは、どうしても体感的には2階なのだけど、さまざまな作品が並んでいる。

 やはり、自分にとっては知らない作家が多かったし、さらには、ちょっと意外だったのは、日本のかなりの昔の作品も一緒に並べられていて、しかも、あまり知らない歴史のようなものに触れさせてもらっているのだけど、そこに共通するのは闘争という要素のようだった。

 さらには、トマス・ラファの映像作品は、会場のあちこちで流れていて、それは、ヨーロッパのあちこちで起こっている、移民の排斥を訴えるようなデモのドキュメンタリーで、それはかなり近くから撮影されていることもあり、何を叫んでいるのかも分からないものの、どこか怖さも感じるような作品だった。

 この横浜美術館の中は、5つのテーマで展示室は七ヶ所に分かれて展示がされていて、それは「密林の火」「わたしの解放」「流れと岩」「苦悶の象徴」「鏡との対話」だった。

 そのテーマと解説は、作品を見ても、あまり納得ができるようなフィット感はなかったものの、横浜美術館にきて、いつもとは全く違うところに行ったような気がした。

 それは、普段の日常では接することもないような言葉や映像や音などが、この場所にあふれているからで、気がついたら3時間くらいが経っていた。

 今の世界は戦いと混乱が基本なのだろうとは思えた。

テーマ

 今回のテーマは「野草」だったので、草花好きの妻は、植物に関係する作品がかなりあるのではないかといった期待があったらしい。確かに、そうした作品は一部にはあったけれど、今回の「野草」は魯迅の「野草」で、あくまでも比喩のようなものだったようだ。だから、そういう意味では思ったのとは全く違った展示だったそうだ。

「野草:いま、ここで⽣きてる」というテーマは、中国の⼩説家である魯迅(1881〜1936年)が中国史の激動期にあたる1924年から1926年にかけて執筆した詩集『野草』(1927年刊⾏)に由来します。この詩集には、彼が中国で直⾯した個⼈と社会の現実が描かれています。魯迅が当時直⾯していた窮状と敗北感は、1911年に起きた⾟亥⾰命の経験にさかのぼります。

「野草:いま、ここで⽣きてる」というテーマは、魯迅の世界観と⼈⽣に対する哲学に共感するものです。「野草」は荒野で⽬⽴たず、孤独で、頼るものが何もない、もろくて無防備な存在を思い起こさせるだけではありません。無秩序で抑えがたい、反抗的で⾃⼰中⼼的、いつでもひとりで闘う覚悟のある⽣命⼒をも象徴しています。

2019年に始まった新型コロナウイルスの急速な世界的広がりは、グローバル化がもたらした両⽴不能な⽭盾を考えるきっかけとなりました。パンデミックは、公衆衛⽣だけではなく、ほかの危機の表⾯化を促し、加速化させ、新たなものまで誘発しました。パンデミックの状況下では、地政学的、経済的、社会的な難題がからみ合い、20世紀の政治や社会の構造や仕組みに根ざした、古い⾔語と新しい歴史的条件の間に⽭盾があることを浮き彫りにしました。現代の世界秩序は、社会主義制度が衰退し、冷戦の終結を経て形成されたものです。今⽇、さまざまな政治体制が実際に直⾯している喫緊な課題は、それぞれの政治体制と社会形態との間に⽣じている断絶です。

第8回横浜トリエンナーレでは、20世紀初頭にさかのぼり、いくつかの歴史的な瞬間、できごと、⼈物、思想の動向などに注⽬したいと考えています。

 本トリエンナーレでは、アートとその知的な世界に⽬を向け、アートがいまのわたしたちに積極的にかかわる⽅法を⾒出します。そして、アートの名のもとに、友情でつながる世界を想像します。そこでは、個⼈が国などの枠組みを越えてつながる⾏為(individualinternationalism)と個⼈が⽣きるなかで発する弱い信号とが結びつくような、そんな未来が開かれると信じています。

(『横浜トリエンナーレ』ホームページより)

 第8回横浜トリエンナーレのサイトには、このように今回のステートメントがあり、ここでは、その一部を抜粋しただけに過ぎないのだけど、意味も重層的であるのはわかるし、このステートメントの印象と、横浜美術館の展示は確かに重なっているように思えた。

草花

 美術館のすぐ外に机とイスがあって、(だから敷地内ではあるのだけど)、屋外にいて気持ちがいい天候だったので、鑑賞を終えてから持参したコーヒーと、途中で買った小さなパンを妻と一緒に食べた。

 気持ちが良かった。

 美術館の前に噴水などもあって、そこは、小さな子どもを遊ばせている家族も目立って、とても穏やかな光景だったのだけど、白いロープで囲まれた四角い小さな庭のような場所がいくつも並んでいて、そこはベースに芝がはられているのだけど、雑草と呼ばれそうな草花が咲いていた。

 それも無秩序に、新緑のようにうっそうとした感じではなくて、ナガミヒナゲシ、ニワザキショウ、ハハコグサのような、ちょっとスマートな草花が適度な距離感を保って育っていて、その姿は妻もとても気に入っていたようで、写真に撮ったりスケッチをしたりしていた。

 このスペースのことが気になったので、もう一度美術館内に戻って、スタッフに聞いたら、特定の作家の作品ではなく、「野草」というテーマだったこともあるので、横浜美術館として、このスペースはトリエンナーレが始まってから意識して野草を刈ったりすることもなく、あえてそのままにしているようだった。

 それなのに、こんなにいい感じになっているのは、なんだかすごいと思った。

 この美術館の外の「野草」のおかげで、妻は気持ちよく帰ることができたらしい。それもなんだかわかるような気がした。





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