今朝平遺跡 縄文のビーナス 77:害虫駆除目的の鶏
愛知県豊田市井ノ口町の廣見神社(ひろみじんじゃ)社頭から、飯田街道(国道153号線)を東の足助町(あすけちょう)に向かいました。廣見神社社頭から2kmあまりで、足助町に入りますが、足助町に入ると、80m以内で、この界隈唯一のセブン・イレブンが右手にあります。かつての飯田街道はセブン・イレブンを過ぎると、中馬街道(ちゅうまかいどう)と呼ばれた時代には足助町の目抜き通りを通過して足助町を通り抜けていましたが、現在は足助町には入らず、北側に通されたトンネルを通って稲武町(いなぶちょう)に向かっています。足助町には幼児期から何度もやって来ていて、今回紹介する蓑曳鶏像(みのひきどりぞう)以外のものは全て紹介済みです。蓑曳鶏像は足助町の中馬街道の1本北側を並行して延びる路地を散策していた時に遭遇したものです。
足助町は様々なテーマで訪れています。
まずは足助町の一宮的存在の神社、八幡宮の奥宮の祀られた飯盛山に存在する方位石や磐座。
豊田足助資料館の土偶。
土偶の出土した今朝平遺跡。
真弓山に祀られた神体巨石。
そして、レイラインを設定して足助町を辿ったり、足助川を水源から辿って足助町まで降ったりと、「今朝平遺跡 縄文のビーナス」のタイトルの記事の足助町に関する記事の全てが縄文のビーナスを口実に巡ったものです。
2022年9月、足助町の路地を愛車で走っていると、路地の北側に着彩された鶏像が2体、対になって設置されていました。
向かって左が雄鶏像、右が雌鶏像で、中央のステンレス版の案内板『蓑曳鶏(みのひきどり)』には以下のようにある。
蓑曳鶏なんて、初めて知った名称だ。
文中の「つくられたもの」は蓑曳鶏像ではなく、蓑曳鶏のことで、「蓑を曳いたような姿」というのは雄鶏の尾と背の羽根が垂れ下がっていることを指しているようだが、雌鶏はそんな姿はしていない。
ところで、この蓑曳鶏像を前庭に設置した背後の建物は「蓑曳鶏会館」か何かの建物かと思ったのだが、そのような看板は出ていなかった。
個人宅のようで、蓑曳鶏を飼育している方の自宅だろうか。
向かって左の戸は引き戸で、右の戸は扉になっているから1軒のお宅だろうか。
蓑曳鶏雄鶏像を観てみると、岡崎御影(おかざきみかげ:花崗岩)を彫像して彩色したもので、彩色が部分的に剥げているが彩色具は不明だ。
問題は背中に乗っているスーパーの有料ビニール袋のような白いモノだ。
住人が買い物後に荷物を自宅に運び込む時につい置いてしまった袋のように見えるのだが、ちゃんと岡崎御影でできている。
背にこういう白い羽根毛のある鶏なのだろうか。
しかし、ネットで見る蓑曳鶏にはこんなものは付いていないので謎だ。
この像では尾が多尾で長尾。
背の羽根が地面まで垂れ、堂々たる像だが、実際の蓑曳鶏の写真を見た限りではここまで立派な蓑曳鶏は見かけなかった。
偉人の銅像と同じで、実物より立派に仕上げられるのは鶏も人間も同じなのだろう。
この雄鶏像のトサカは上部が平らな見たことのない形状をしている。
単冠でないことだけは確かだが、造形が不正確でこうなっているのか、本当にトサカが平らなサヤ状になっているのか不明だ。
耳朶(じだ:みみたぶ)もトサカと同じ赤。
脚(きゃく)の色は一般的な黄脚となっている。
一方、雌鶏の方は派手な色の羽根は首から上部分のみで、体全体は純白、尾の先端部だけが帯状に漆黒になって縁取られている。
首が長いのと尾先が立派なのを除くと、鳩のような配色だ。
●私の食習慣と錦爽鶏(きんそうどり)
東天紅(とうてんこう)とか尾長鶏とか名古屋コーチンは知っているが、それ以外の鶏の名称で初めて知ったのが、この蓑曳鶏だった。
蓑曳鶏に続いて知ったのが錦爽鶏。
私はボクサーのような食生活を試してみようと思い立ったことがあり、2年近く鶏の胸肉を主食にしていたことがあった。
スーパー・マーケットで販売されている鶏の胸肉は味がほとんど無いので、強い味付けをしなければ食べられたものではない。
そこで、地図で名古屋市内の肉の専門店を探して、数件巡って定めたのが鶏肉の専門店だった。
この店のショーケースで鶏の胸肉を見てみたら、標準の胸肉とやや高価な胸肉があって、やや高価な胸肉に「錦爽鶏(きんそうどり)」の札が付いていた。
それを購入して鶏しゃぶにして気に入り、個人的に主食認定した。
以降、現在もその鶏肉店を贔屓にしている。
ただ、鶏肉を主食にして穀類を避けていたところ、1年近く経つと、毎朝脚がこむら返りを起こして目覚めるようになった。
肉食が招くマグネシウム不足が原因であると思われたのだが、人体はマグネシウムを高単位で吸収できないようになっており、高単位のサプリメントは摂取しても、ほとんど意味のないことが判った。
考えてみると、あの井上尚弥も試合中に脚がこむら返りを起こしていたことを試合後に複数回報告しており、やはり肉食(人の5倍くらい平気で食べるらしい)が原因だと推測できた。
それで、マグネシウムの多いホタルイカや牡蠣もせっせと摂取したのだが、追いつくことはなく、主食を鶏の胸肉から大麦+魚に変更して現在に至る。
ところで、この記事を書くまで錦爽鶏は胸肉しか見たことがなく、以下のような日本人が「ニワトリ」と言われて最初に思い浮かべる典型的な姿をした鶏であることを初めて知った。
羽根はすべて純白で雄鶏の鶏冠は鮮やかな紅赤。
雌鶏も鮮やかは落ちるが紅赤だ。
錦爽鶏は銘柄鶏であり、名古屋コーチンのような地鶏ではないので、飛び抜けて高価でもなく、ブロイラーよりも飼育にコストの掛けられた鶏だ。
『地鶏銘柄ガイド』「錦爽どり」には以下のように紹介されている。
本当は主食にしたい名古屋コーチンは以下のような鶏だ。
雄鶏は白い部分は皆無で、全体が黄丹色ベースで背は少し濃い弁柄色、尾だけが漆黒となっている。
こういう鶏の配色は「猩々(しょうじょう)」と呼ばれる。
『地鶏レシピ集』「錦爽名古屋コーチン」には以下のようにある。
「コーチン」とはその肉が目的で飼育される鶏を指しているというが、名古屋コーチンの学術名はただ「名古屋」という。
ここで、スーパーマーケットで売られているブロイラーと銘柄鶏、地鶏との違いを整理しておく。
ほかに、初めて知った在来種の3種の鶏を紹介しておく。
以下が蜀鶏(とうまる)。
錦爽鶏の白い部分を全部漆黒にした配色の鶏。
クチバシや脚もやや黒ずんでいる。
Wikipediaの情報から抜粋整理すると以下のような鶏だ。
以下は比内鶏(ひないどり)。
この写真の比内鶏は『地鶏銘柄ガイド』に紹介されている比内地鶏(ひないじどり)とは姿がまったく異なっている。
最新説ではニワトリの家畜化は、約3600年ほど前のタイで始まったとされているが、いずれにしても野生種のアカザサにもっとも近い色をしていたと思われる。
上記写真の比内鶏はそのアカザサに近い色をしている。
平均的な比内地鶏は羽根部分の全体が首部分の羽根と同色単色で覆われている猩々で、黒い羽根はまったく存在しない。
写真の比内鶏は蜀鶏が混血している感じだ。
『地鶏銘柄ガイド』の「比内地鶏」では以下のように紹介されている。
最後は小国鶏(しょうこくどり)。
トサカが赤く体が白黒で、鶏と言われて頭に浮かぶ鶏の姿をしている。
脚も白いのは、ここで紹介したほかの鶏にはなかった特徴だが、以下のJPSA(日本禽学会)の公式ウェブサイトの「小国鶏」の項目では以下のように紹介されており、脚の色は黄脚が標準と紹介されている。
鶏が日本列島に入ってきたのは弥生時代とされており、ヘッダー写真は大阪府高槻市今城塚古墳の鶏の埴輪だが、日本では当初、鶏は観賞用だったといい、鳴き声も重要な要素だった。
そして、地鶏は観賞用鶏から派生した鶏だ。
しかし、現在は生産量で地鶏は海外産の鶏に圧倒されており、再び鑑賞目的で飼育されるようになっているという。
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鶏に関してもっとも多くの種類の鶏を飼育し、情報を持っているのは広島大学のようです。広島大学は以下のような素晴らしい動画をいくつも制作しています。
https://www.youtube.com/watch?v=4gfYOmLZneE&t=1s
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