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今朝平遺跡 縄文のビーナス 4:湧き上がって来た花崗岩

豊田市足助町(あすけちょう)を流れる足助川を挟んで、今朝平遺跡(けさだいらいせき)の南側の対岸には真弓山が存在するのですが、そこには実在した山城が再現されており、そこに訪れた際、予定外で祀られた巨石に遭遇しました。今朝平遺跡から、久しぶりにその巨石を観に行くことにしました。縄文のビーナスの出土した今朝平遺跡環状配石2号からはイノシシの土製品も出土しています。イノシシ猟をしていた縄文人はこの巨石の存在に気づいていた可能性があります。

豊田市足助町 國光稲荷神社

今朝平遺跡側の足助川北岸から撮影したのが下記写真の真弓山。

豊田市足助町 真弓山

この真弓山の尾根の主成分が伊奈川花崗岩であることが解っている。
目的の巨石は真弓山の頂の南東側の中腹に存在するようだ。
真弓山に登るルートは西側と南東側からのルートしか無く、今朝平遺跡(けさだいらいせき)から連絡のよい県道33号線と365号線を経由して、足助資料館(あすけしりょうかん)の西側まで迂回し、急な山道を登った。
この山道は最初にやって来た時は、あまりに急峻なために平衡感覚がおかしくなり、2輪車では怖かったほどだった。

豊田市足助町 國光稲荷神社

最初にやって来た15年ほど前の國光稲荷神社は荒れ果てており、國光稲荷神社の向かい側に設置された城跡公園足助城の路面の傾斜した駐車場に愛車を駐めたのだが、今回は國光稲荷の境内に沿って朱の幟が立ち並んでおり、その石垣の下に駐車スペースが設けられていたので、そこに愛車を駐めた。

豊田市足助町 國光稲荷神社

上記写真右端が國光稲荷神社の境内に登って行く社頭になっていたが、その入り口は坂道があるだけで、鳥居や社号標は置かれていなかった。
社頭から坂道を登っていくと、石造八幡鳥居が設置されているが、雑草が整備されている以外、最初にやって来た時と変わり無かった。

豊田市足助町 國光稲荷神社 鳥居

石鳥居には「國光稲荷大神」と浮き彫りされた石造の社頭額が掛かっている。
それにしても雑草は1週間で伸びるから、この境内の草を摘む作業は大変な労力のはずだ。
だから、最初にやって来た時は境内全面に雑草が膝の高さまで伸びていて、マムシが怖かった。
雑草に手間を取られないためには、境内に砂利を敷き詰めるのが対応するための主な方法だ。
上記写真を見て気付くのは、鳥居の奥正面にある拝殿が、鳥居の方ではなく、少し右方向を向いていることだ。
おそらく、かつては拝殿の向いている方向にスペースがあったのが、樹木が成長して、向いている方向にスペースが無くなったことから、現在地に石鳥居が設けられたのだろう。

銅板葺切妻造平入の拝殿前に至ると、前面に簓子張り(ささらごばり)の板壁と格子戸を持つ4間造の建物が3段の石段を持つ土壇上に設置されていた。
左脇奥には小さな石造覆屋内に小祠が祀られているのが見えるが、これに関する情報は無い。

豊田市足助町 國光稲荷神社 拝殿

拝殿前で参拝して格子越しに殿内を見ると、奥側にも同じ格子戸が設けてあり、格子戸を通して本殿が見えていた。
拝殿内には机だけが置かれている。

豊田市足助町 國光稲荷神社 拝殿内

拝殿の左脇に回り込むと、1対の使いの狐像が短い石段の両側に設置され、奥には銅板葺切妻造妻入の覆屋内に本殿が祀られていた。

豊田市足助町 國光稲荷神社 本殿

そして、覆屋内の本殿の裏面にはムクリ屋根の庇を持ったような巨石が立ち上がっている。

豊田市足助町 國光稲荷神社 本殿/巨石

本殿の真正面に立ってみると、巨石の大部分が覆屋の死角に入ってしまうのだが、覆屋の裏面も素通しになっており、巨石が裏面を覆っているのが解る。

豊田市足助町 國光稲荷神社 本殿/巨石

『地域地質研究報告 足助地域の地質』(山崎 徹・尾崎正紀)から推測すると、やはり花崗岩である可能性が高いようだ。
この地域の花崗岩は「伊奈川花崗岩」と呼ばれ、表面が風化しやすい特徴のある花崗岩だという。
伊奈川花崗岩は地底からマグマとして地表に貫入してきたものであることが解ってきている。

本殿は檜皮葺(ひわだぶき)流造の旧い社だ。

石の側面に回り込んで見ると、正面には目立たなかった苔に表面がかなり覆われていることが判った。

豊田市足助町 國光稲荷神社 巨石

下記写真は斜め後方に回り込んで撮影したもの。

豊田市足助町 國光稲荷神社 巨石

國光稲荷神社の外に出て、巨石周辺を見ると、巨石に比肩するサイズの石は存在しないが、それでも角が取れた複数の巨石が積み重なっていた。

豊田市足助町 真弓山 巨石群

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現在のように國光稲荷神社が祀られたこの巨石が、それ以前から祭祀の対象になっていたのかどうかという情報は見あたりません。「豊田と言えば花崗岩」と言われるくらい、豊田には伊奈川花崗岩が帯状に分布しています。この伊奈川花崗岩の帯は中央アルプスから三河にまで分布していて、約8200万年前(白亜紀後期)に、地表に出てきたものだそうですが、この時代の日本列島はまだ大陸の端にくっついていたそうです。


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