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今朝平遺跡 縄文のビーナス 3:縄文人の川漁

豊田市(とよたし)の足助資料館から北東700mあまりに位置する今朝平遺跡(けさだいらいせき)に向かいました。

豊田市足助町 足助資料館/今朝平遺跡

足助資料館に展示されていた発掘当時(1978~1979年)の今朝平遺跡の写真が以下で、南側を東西に流れる足助川沿いの畑地のような部分。
右端の横に広い部分が現在は「今朝平遺跡」と地図に表記されている部分だ。

発掘当時(1978~1979年)の今朝平遺跡 南東からの眺望 (足助資料館)
豊田市足助町 八万橋/足助川/今朝平遺跡

下記写真は足助川に架かった八万橋上から現在の今朝平遺跡を撮影したもの。

豊田市足助町 足助川八万橋上流側/今朝平遺跡

今朝平遺跡と足助川の水面までは4m以上の落差があるようだ。
川床には両岸に土砂が堆積し、雑草に覆われ、水面は川幅の25%くらいしかない。

今朝平遺跡の入り口は残されている遺跡の南西の端に位置していて、入り口前にはちょっとしたスペースが取ってあって、足助地域バスの旧保健所駅になっていた。


豊田市足助町 今朝平遺跡入口

おそらく、1日に数本のバスだと思われる。停留場標識の脇には木製のベンチが設置してあり、その背もたれには「のってきん、足が助かる地域バス」という標語が入っている。「のってきん」はこの地域の方言で「乗って行きなよ」の意で、町名の「足助」を利用した標語になっている。こうした町や商店街に溢れる日本語の標語や告知文は日本語の読める外国人には面白いらしい。

それはともかく、そのベンチの脇に3段の石段があり、入り口脇に「愛知県指定史跡 今朝平遺跡」と刻まれた石標が立てられていた。

石段を上がると、左手に教育委員会の製作した、屋根が拭かれてガラスケースに収められた大きな『今朝平遺跡』の案内板が設置されていた。
以下の案内書が表示されていた。

本遺跡は、縄文時代後期から弥生時代初頭の遺跡で、昭和53年(1978)12月から発掘調査が行われ、約3500年前のお祭りを行う場所である環状配石遺構2か所と約2300年前の子どものお墓がみつかっています。
大量の縄文土器・石器のほか、土偶22点、動物土製品、 耳飾などが出土しています。 特に土偶は、東海地方を代表する名品として有名です。縄文人たちはここに集まって、お祈りをし、お酒を飲んで宴会をしたと考えられています。縄文人の生活の様子がわかる重要な遺跡として愛知県指定史跡に指定されています。
なお、環状配石遺構は、新しい土で埋めもどして永久保存 はかっており、現在地下約1メートルにあります。

豊田市足助町 今朝平遺跡 案内板 (豊田市教育委員会)

入り口から今朝平遺跡の対角線上の反対方向を撮影したのが以下の写真。
奥に見える白いふたつのボックスはトイレとゲートボールの用具をしまうための倉庫のようだ。

豊田市足助町 今朝平遺跡

現在はゲートボール場としても使用されているこの平地の地下1mに下記写真の縄文のビーナスが出土した環状配石2号も存在するようだ。

豊田市足助町 今朝平遺跡 環状配石2号 (足助資料館)

環状配石2号は長径2m×短径1.5mの配石だ。

以下は今朝平遺跡内の倉庫の前から案内板のある西側方向を撮影したもの。

豊田市足助町 今朝平遺跡

上記写真から左右(南北)に尾根の迫っている間に位置している遺跡であることが分かる。

今朝平遺跡脇を流れている足助川下流60m以内に架かっているのが八万橋だが、その八万橋上から見下ろす下流側の足助川は下流40m以内で右に90度以上の角度で蛇行しているため、浅瀬になっている。

豊田市足助町 八万橋から見下ろす下流側の足助川

縄文時代の川漁はすでに現在とほとんど変わっていないと見られている。
それを示す網漁に使用する複数の石錘(せきすい:重り)が今朝平遺跡から出土している。

豊田市足助町 今朝平遺跡から出土した石錘 (足助資料館)

紐で縛って吊るすための1本線の溝が刻まれている。

現在の足助川ではイワナやアマゴが獲れるというが、魚種も現代と大きく変わることはなさそうだ。

イワナ
アマゴ

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アマゴは豊田市の山間の親族が養殖しているので、いつも母親の実家に行くと、塩焼きにして食べています。あゆよりも身が多く、養殖には向いている魚です。

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