にも

ポップにいきたい24歳。

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言葉の船を漕げる人になる。

日ごろ生活していると、相手になんと言葉をかければいいのか分からない場面が、多々ある。 たとえば、「相手を励ますときの言葉」がそのうちの1つだ。共感するところがある人もいるかもしれないが、わたしは「自分と立場や境遇の異なる人」にかける言葉を見つけることが、けっこう苦手だ。わたしはその人とおなじ状況に置かれたことがないから、まるでその人の気持ちを知っているかのような顔をして言葉をかけることなんてできない。なにも言葉が見つからないとき、わたしは慎重になるあまりに「黙って」しまうこ

    • 親知らずを産んだ夜

      今日、およそ10年ぶりに親知らずを抜いた。 前回抜いたのは、たしか中学生くらいの時。下の2本を抜いた。 今回は上の2本を抜くことになったのだけれど、治療がこわいという気持ちなんてまったくなかった。当時中学生だったわたしが耐えられたのだから、今のわたしがその痛さに耐えられないはずがない。わたしは案内された施術椅子の上に、涼しげな顔で座った。 そもそも親知らずってどうやって抜くんだっけ?ポロッと抜けるものなんだっけ?そんなことを思うくらい、もう親知らずについての記憶なんてさっ

      • 最寄りの天国

        今、最寄り駅のミスドにいる。身近な天国を見つけてしまったかもしれない。 なんだか家に居たくないなというとき、まっさきに思い浮かぶのはスタバなのだけど、最近はスタバに居心地の悪さを感じていた。わたしは人の多いところに1人で行くのが大の苦手だ。今日もダウンジャケットを買おうと思って心をつよくして渋谷に出かけたけれど、1時間も滞在したら全身がつかれてしまった。往復の移動時間の方が長かったかもしれない。 わたしの家から一番近いスタバは、人との距離が近くて、1人で行っても1人で行っ

        • 人の心はビミョーでフクザツ。でも、それが正常。

          おとといくらいから、ずっと、ある事で悩んでいます。その悩みのほとんどを占めるのが、まだ起きていないことに対する不安。というのも最近わたしはとある決断をしたところで、その決断がほんとうに良い決断といえるのかどうか、自信がもてないのです。 自分で決めたことなのに自信がもてないって、すごく厄介です。わたしは決断をしてしまったあとも、それがよかったのかどうかをぐるぐる考えていて、「そうだ、これでよかったんだ!」と思う瞬間もあれば、「やっぱりやめた方が良かったんじゃ…」と思う瞬間もあ

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        言葉の船を漕げる人になる。

          「それらしい正解」で話すのは、もうやめよう。

          最近わたしは、だれかと話す前に、あることを意識するようにしてます。 それは、「自分をそのまま伝える」こと。話す順序がおかしくなっても、言葉になりきれてないような言葉で表現しちゃっても、それが本当に自分の中から出てきたんだったら、「オールオッケー!!」と思うようにしてます。 ・・・ ずっと悩んでいました。(今でもこの悩みに向き合いつづけてますが。。。)「それらしい」ことを言いたくて、自分の中から出てきたわけではない言葉をスラスラと並べてしまうのです。それができるのがすごい

          「それらしい正解」で話すのは、もうやめよう。

          毎日にたった1mmのたのしむスキマがあればいい 〜『ミリハック』を始めてみる〜

          毎日noteを更新しよう!と宣言したものの、「なに書こう…」と夜になって悩んでいる間に眠くなり、そのまま寝落ちするというパターンがここ2日間くらいつづいていました。 何かいい対策はないかなぁと考えていたところ、なんとシャワーを浴びながらひらめきました(お風呂場でひらめく率が謎に高いのです)。そのことについて、以下に書いていきたいと思います。 去年の11月ごろ、わたしはどん底に落ちていました。。。 今思い返せば、仕事に追われすぎて、その分うまく回せないことが増えていって…

          毎日にたった1mmのたのしむスキマがあればいい 〜『ミリハック』を始めてみる〜

          週末に感じた、わたしの小さなアップデート。

          今日は公園でキャッチボールをした。何年ぶりだろう、キャッチボール。高校生のころの体育の授業で、やったなぁ。 自分のことを、あんまり運動が得意なほうだとは思ってない。幼稚園生のころから、足がつかない遊具(鉄棒やうんていや跳び箱など)がこわくてできなかった。小学校のころスイミングスクールに通ってたけどクロールの息継ぎができなくてあきらめたし、自転車さえ小学生ころから乗っていないという。。。 おとなになってからも、なにかの場面でスポーツの話になると「運動はまったくできません!」

          週末に感じた、わたしの小さなアップデート。

          宝石を語らなくていい。石ころをアツく語ろう。

          いま、実質2回目のnoteを書いています。 というのも、ついさっきまでこれとは別の日記を1000字くらいまで書いていました。けれど書いているうちに、どんどん気持ちが心地よくなくなっていることに気づき… すべて消そうかと思ったけど、一旦下書きに保存して、仕切り直すことにしました。それがこの日記です。生まれ変わっているというわけです。 いつも日記を書き始めるとき、今日という1日のなかから、どの部分を切り出そうかなぁと考える。こんなことがあったなぁーとか、あんなことを感じたな

          宝石を語らなくていい。石ころをアツく語ろう。

          「noteに反応してくれるみなさん、ありがとう」という話

          noteを更新していると、いろんな人にわたしの書いた文章を見つけてもらえる。ほんとうに便利な世界だなぁ。さっきまで、まだわたしの心の中にしかなかったものが、言葉にして発信した瞬間に、だれかのもとに届く。 中にはその人の心の中にうまいこと潜り込んでいって、何かしらの作用をもたらしたりもする。ときにはそれが「いいね!」になってわたしの元へ届き、そのたびに、がんばって言葉にできて、世に出せて、うれしく思う。 ・・・ 中学3年生の頃、それに近い体験をしたことを、今でもおぼえてい

          「noteに反応してくれるみなさん、ありがとう」という話

          「ちがう」を言い合える関係。

          今、おうちでお昼休憩をしています。 昨日の夜、日記を書こう〜と思っていたのに、気づいたら床の上でぐぅぐぅ寝ていたので、書きそびれてしまいました。ここまで毎日noteを更新しつづけていたのに(たとえ出張の日があっても)こんなところでリタイアするのはくやしいので、今から昨日の日記を書いていきます。 ・・・ 友だちとイタリアンレストランに行ってご飯を食べた。食べながら、わたしと彼女のちがいについて、ひたすら話していた。 彼女とは、いつもそういう話になる。もちろん、「わかる〜

          「ちがう」を言い合える関係。

          自分の中の「ピュア」を抽出できるようになりたい。

          「話がおもしろい人ってなんであんなにおもしろいんだろう…わたしも話がおもしろい人になりたいなぁ…」と最近よく思うので、話がおもしろいなと思う人が発する言葉をよーく聞いてみることがある。 それと同時に、そのおもしろさのワケを自分なりに考えてみている。芸能人のトークだったら「この人は、切り返しが素早いな!」と思ったり。身近な友だちだったら「この子は天然でほわほわしていて、その独特さが味だよね」と思ったりする。「おもしろい」の中にも、いろんな種類がいる。だから、こう言えばおもしろ

          自分の中の「ピュア」を抽出できるようになりたい。

          ちがうペースで歩いているから、同じ道を歩きたい。

          普通の会社からしたら不思議な話かもしれないけれど、今日は社員のほとんどのメンバーがわたしの家にあつまって、毎週行っている社内会議をした。 いや、社員の自宅で会議って!仕事とプライベートの境界、消滅してるやん!ってかんじですよね。でも、うちはそんな会社なんです。それがいいんだけど。 このご時世になり、元々リモートが中心だった仕事ではあるものの、みんながリアルで会って仕事をする機会が激減した。思えば、そうなってからのほうが、社内で「効率性」「ムダをなくそう」みたいな言葉が飛び

          ちがうペースで歩いているから、同じ道を歩きたい。

          文章を書くことは、自分をビッグハグで包むこと。

          去年の夏くらいから、本当にまったく文章を書けない日々がつづいていた。 書けなくなってから、「スランプを抜け出す方法!」みたいなタイトルのweb記事を読んでみたり、書くコツが書かれた本を読んでみたりもした。そのたびに「分かった!こうして書けばいいんだな!」という気持ちになったけれど、結局その後も根っこの部分はなにも解決されず、またスランプにはまっていく、という繰り返しだった。実はそんな状態だったことも影響して、秋のころには病みまくっていた。 いや、今だって抜け出せているのか

          文章を書くことは、自分をビッグハグで包むこと。

          山頂の景色よりも、山道をたのしむ生き方がしたい。

          冬になると、水に触るのが嫌になる。日常生活には、水に触らないとできない習慣がいくつかある。 とくに洗い物と洗顔は、まぁまぁ長いあいだ手を冷たい水に晒さなきゃいけないので、冬になると途端に難易度が上がる。それまでは50%くらいのエネルギーで上げていた腰も、90%くらいのエネルギーが必要になる。人間は思っている以上に、季節に生活を左右される生き物かも。 最近はようやく学習して、洗い物や洗顔を「やらなきゃなぁ」と感じたタイミングで、給湯器のスイッチを押すようになった。あたたかい

          山頂の景色よりも、山道をたのしむ生き方がしたい。

          「えいっ!」とドアを開けてみる勇気。

          今日は、家から徒歩13分ほどのところにある喫茶店にひとりで行った。 「あぁ、今あの店に行って、ご飯をたべてお茶を飲んで本を読めたら、今日の締めくくりとして文句ない。」と思ったので、一直線にそそくさと歩いて行った。 この店にひとりで来るのは、今日で3回目。 最初は、とっても緊張したのを覚えている。 べつに常連さんが集っていて入りづらいってわけでも、穴場すぎてお客さんが全くいないというわけでもない。 レトロで落ち着いた雰囲気ではあるけれど、広々としていて割と賑わっていて

          「えいっ!」とドアを開けてみる勇気。

          これぞたのしい人生。

          自分がもっともワクワクする瞬間のことを考えてみた。 好きなものは、音楽やことばやアートなど。少し前からラジオにもハマりだした。 それから、文章を書くことと、絵を描くことが好きだ。 でも、どうしてそれらが好きなのか、わたしはただ「表現が好き」という大ざっぱな説明で片付けていた。 けれどもその「表現が好き」ということの意味を、もう少し噛み砕いて、自分にとって本当のワクワクの根源とはどこにあるのかを考えてみた。 そして、これかもしれないと思ったのが、「視点」だった。 わた

          これぞたのしい人生。