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宝石を語らなくていい。石ころをアツく語ろう。

いま、実質2回目のnoteを書いています。

というのも、ついさっきまでこれとは別の日記を1000字くらいまで書いていました。けれど書いているうちに、どんどん気持ちが心地よくなくなっていることに気づき…

すべて消そうかと思ったけど、一旦下書きに保存して、仕切り直すことにしました。それがこの日記です。生まれ変わっているというわけです。

いつも日記を書き始めるとき、今日という1日のなかから、どの部分を切り出そうかなぁと考える。こんなことがあったなぁーとか、あんなことを感じたなぁーとか、思い返してみると意外とぽろぽろと出てくる。

その1つ1つの感情の粒には、大小があって、濃淡もある。たとえば「親友とはじめて喧嘩をして悲しかった」というのと、「マグカップについた茶しぶが洗っても落ちなくて悲しかった」というのでは、おなじ「悲しい」でも、だいぶレベルのちがうもの。そのどっちを日記として残すかは、すべて書き手である自分次第。(親友と喧嘩はしてません。茶しぶはほんとに落ちません。)

さっき、1回目の日記を書いていた途中で、ふと自分につっこみたくなった。

「ほんとうにそれを書きたいのかい?」

日記って、なにを書けばいいんだろう。その日あった一番ビッグな出来事について?一番感動したこと?一番楽しかったこと?そもそも「一番」って、なに基準?いくつもの感情と出来事の積み重ねによってできている「1日」を、数百字、数千字くらいの文章に写しだす。それってかなり難易度高いのかも。どこを書けばいいんだよって思うもんね。

じゃあそもそも、誰のために日記を書いているんだっけ?なんのための日記なんだっけ?という原点に戻ってみる。それはやっぱり「自分のため」だし、自分がたのしみたくて、書いてる。「誰かに何かを教えるために…」なんて言えるほどの経験は持ち合わせていない。誰かのためにという目的が混ざったら、きっとわたしの文章は途端に姿を変えるんじゃないかなと思う。

わたしはわたしのために書いている。それなら、わざわざ「今日という1日のなかで、一番伝えなきゃいけないことは…」なんて考える必要はないのだと今さら気づいた。だれかに伝えたいことよりも、「自分に言い聞かせたいこと」のほうが、ありふれた日常においては圧倒的に探しやすい。一番近くにあるほんとうの自分の気持ちにだけ、目を向けて入ればいいからね。

背伸びなんてしないで、今日あった出来事のなかで「一番自分のちかくにあるもの」を、手にとってみたらいい。ちゃんと見たこともない宝石についてよく分かりもせずに語り出す人よりも、そのへんの石ころについてたくさん語れる人の話のほうが、圧倒的におもしろいし、聞きたいって思うよなぁ。

・・・

今日、ひさしぶりにたい焼きを食べた。わたしはたい焼きがすき。

知らなかったけど、たい焼きは電子レンジで30秒くらい温めてから、オーブントースターで数分焼くといい。皮の部分カリカリで、中身はふわっとする。

たい焼きを食べながらお茶を飲んで、「これが人生におけるしあわせの一部だ…」と心の底から思いました。

おやすみなさい。

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