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自分の中の「ピュア」を抽出できるようになりたい。

「話がおもしろい人ってなんであんなにおもしろいんだろう…わたしも話がおもしろい人になりたいなぁ…」と最近よく思うので、話がおもしろいなと思う人が発する言葉をよーく聞いてみることがある。

それと同時に、そのおもしろさのワケを自分なりに考えてみている。芸能人のトークだったら「この人は、切り返しが素早いな!」と思ったり。身近な友だちだったら「この子は天然でほわほわしていて、その独特さが味だよね」と思ったりする。「おもしろい」の中にも、いろんな種類がいる。だから、こう言えばおもしろい!みたいなルールっていうのは、存在しないんじゃないかと思っている。

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そもそもこんな話を始めているのは、今日とある人の話を聞いて、おもしろいと思ったからです。具体的なエピソードは仕事のことでもあるため言えませんが、えっ!?と思うような目の付け所だった。

それがそんなにおもしろいの?と、よく考えてみれば思う。しかもその人は、同じことを何度も何度もみんなに話してくる。毎回本気でおもしろがっていて、どんなに使い古したネタも、その人にとってはいつまでも新鮮なんだろうと感じる。それだけその出来事がめちゃくちゃツボだったんだろうなぁと思うし、こっちまで本当におもしろい気持ちにさせられるから不思議である。

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話をおもしろくできる人って、自分にとってのおもしろいを、素直に信じている人が多い気がする。おもしろいことに限らず、その人だけのセンサーを反応させながら常に生きている人って、話しているときもそこにちゃんと「自分」がいるのを感じるなぁ。

相手に対しての「どう言うか?」を考える前に、自分に対しての「どう感じるか?」を問うことが必要。これは最近のわたしの最重要課題です。自分に素直なこたえを常に出しつづけていれば、そこで受け止めたピュアな感情を相手に共有することができるのです。

この、ピュアを抽出する作業がけっこう難しかったりする。でも、それがうまくいっている時は、ことばの1つ1つをちゃんと相手に届けられている感覚があって。まるで「太鼓の達人」でドン!!をちゃんと枠内におさまるタイミングで次々叩き上げているような気分です(伝わりますか?)。

ピュアな感情には、温度もある。その人からしか出てこないからこそ、その人を感じる温度。人が求めているのって、そういう「温度のあるピュアな感情」なんだと思う。あんまりうまくハッキリいえないけれど、そういうものにこそ、心をうごかされるんだろう。。。

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きょうは仕事で出張中。かなり眠くて、目のとろんとした時間に書いてしまったため、あんまり頭をつかえない状態でnoteをかきました。。。

でもそんな今日も、更新できたこと!それが今日イチうれしいです。

おやすみなさい。またあした。

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