見出し画像

自己紹介特技はナチュラル作り笑い

今すぐに空気を凍らせてみたい
やらないけれど

このにゃんぞぬデシ『勘違い心拍数』のMVの主人公が、自身の思い描いていた20代社会人女性の理想形すぎて羨ましくなった。
オフィスで一人遅くまで残業、仕事終わりに居酒屋で一人酒── 当人からすればそんな毎日しんどくてたまらないし一体どこが羨ましいの?と言われてしまうかもしれないけれども、私はそんな行き場のない都心のOLというかキャリアウーマンになりそびれた身であるので、今でもなんとなく憧れてしまう。それは決して嫌味などではなく、“なるつもりだったのに、なれなかった”といういつかの無念の残像である。

“ごく普通の”だとか“どこにでも居そうな”、そんな女性に憧れた。気だるい毎日を惰性で生きているようでも、少しのエッセンスが加わったなら彼女の世界は一転する── 実はそんな見えない可能性に満ち溢れている生活。その事に彼女はまだ気づいていない、そんな感じの。

画像1

私はかつて「旗の台」という街に住んでいた。東急大井町線と東急池上線が通り、急行で止まるというどこへ行くにもアクセス抜群、駅としてははなまるな土地である。今やアドレスホッパーと化した私であるが、そこには2年間ほど暮らしていたので自分史上そこそこ長く滞在していた事になる。
少し歩けばお隣の荏原町駅、反対を歩けば長原駅と、駅が密集しすぎていて“旗の台”という街としての要素は正直まるで感じられなかった。多くの人が、ただの乗り換え駅としか捉えていないのではないかと思う。実際友人たちも「乗り換えの関係で駅名は知っているけれど、実際に降りた事はない」そんな立ち位置の街なのであった。

当時の勤務地は品川で、そびえ立つオフィスビル街をスーツ姿で颯爽と歩いていた。通勤ラッシュ時の港南口へ向かう品川駅内の通路を歩くビジネスマンたちはなんだかボラの大群のようであったが、そのボラの一匹として私は意外にも意気揚々と出口を目指すのであった。
通勤時間は30分足らずで、あまり混んでいない大井町線の後方車両に乗り、大井町駅で乗り換えるJR京浜東北線はまさに満員電車だったけれども、一駅で下車という恵まれた通勤環境下にあった。

肝心の仕事の方はどうだったかというと、正直大した事はしていなかった。上司曰く「ゆっくり育てていくつもりでいるから」との事で私の行動範囲は狭められていて、営業職での採用でありながらやっている事は営業事務でも、私は素直に従っていた。
しかしながら、周りの別部署の皆さんからすると、私が社内でほったらかしにされているようにしか見えなかったようで「なんか、大丈夫?」「放置されてない?」と多くの方々が心配してこっそり声をかけてくれたのであった。正直、ほったらかしにはされていたけれども。

同じ部署の同期は、大阪支社ではあったものの先輩社員とともに毎日外回りに奮闘しているようであった。そのため、私も早いところ外回りをしたいという思いがどんどん強まっていた。これではその同期と圧倒的な差が開いてしまう──
周囲の「とにかく外に出たい意思を伝えないと」と言う声がどんどんと強まっていくも、上司はなかなか私を鳥籠の中から出そうとはしなかった。これぞ俗にいう“板挟み状態”というやつである。

画像2

もしも心が読まれてたら
僕がいる場所は無くなるのだろう

板挟みになろうとも、それこそ特技の作り笑いとぼんやりとした反応でごまかしてきた。それでも「そろそろ外回りの経験を積ませてもらいたいです 同期くんも外に出ているようですし」など、伝える事は上司にちゃんと伝えてはいたのだけれど、この先上司から教えを乞う身としては上司の指示はゼッタイであるので、致し方なかった。

ちなみに私は「結局は、ミナさんの気持ち次第だよ」という無責任な言葉が大嫌いなのであった。一社目で散々そう言われた事があり、この二社目でも結局はそういう状況下にあって、内心では“またか”と思っていた。
何も私自身、自主性が皆無という訳ではない。彼方を立てれば此方が立たずの状況というのはそれなりに苦痛で、新人を採用するのであれば“育成方針”ぐらい足並みを揃えておいてくれないかと声を大にして言いたかったのであった。言わないけれど。

それが甘えか甘えではないかはさておき、大人というのは極端なもので、後に私はいきなり外界に放り出される事となる。事実上の一人立ちである。
どこの会社も結局こんなものなのだろうと、この際好き勝手にやらせてもらう事にした。自由にアポを取り、新幹線に乗って研究所へと向かう。引き合いを得て報告書を書き、代理店からの対応に奮闘した。自分が社会人であるという自覚が芽生え、“いよいよこれからだ”という希望を感じていたのであった。
そうして徐々に自信を取り戻し始めた私は、早々にとあるリベンジをしようと試みたのであった。今ならばあの彼と対等に会話をする事ができる気がする、そう思った。

私は、何気にindigo la Endというバンドが好きである。
波瑠が出演する『瞳に映らない』のこのMVが本当に好きで、これまで幾度となく再生してきたけれども、その切ないストーリーに未だに泣きそうになる。
かつて性格の不一致でスピード破局したサークルの後輩の男の子が、まだ付き合いたての頃にこのMVを脈絡もなく送ってきた事があった。──「この女の人、ミナちゃんに似てる」そう言って。

「寂しそうな顔をしてるから?」と訊くと、彼はそうじゃないと言った。なんとなくどことなく、というような返答に随分ともやもやしたけれども、元々好きだった波瑠ちゃんに似ていると言われた事は嬉しかった。
彼曰く、出会ってから私の存在を意識するようになった頃、私の姿を目で追っているとふとした瞬間に寂しそうな表情をする事が多々あったらしい。それはいわゆる“アンニュイ”というやつだと彼は説明してくれた。
ただ、当時の私が時折そんな表情をしていただなんて全くの無自覚なのであった。毎日が楽しかったというのに、不思議なものである。
そんな訳でそのアンニュイとやらの意味合いでこのMVの波瑠ちゃんに似ていると言われたのかと思ったのであるが、どうやらそれは違うらしかった。
そしてこのMVの舞台こそ、まさに東急大井町線沿いなのである。それは旗の台に引っ越してきてから気づいた事でもあった。

そうして私は、彼に3年ぶりに電話をかけた。LINEはとうに削除していたので、電話帳から引っ張り出したガチの方の番号にいきなりかけた。それほど彼との関係の終焉は、納得のいかないものだったのである。
外資系企業でまともな社会人として身を立てて東京でよろしくやっている姿を彼に見せつけて、心理的に対等な状態で二人で話をしたかった。人並みの自信を持って、せめてもの人間関係を修復したかった。よそよそしくてもなんでもいい、同じサークルの仲間としていつ偶然会っても気まずくない、そういう関係に戻りたかった。

彼と一緒に居た時の事を備忘録として書き留めておきたいところだけれども、まだその傷は癒えきってはいないらしく、今でもどうも泣けてきてしまうのでnoteにまとめられるようになるまではまだまだ時間がかかりそうである。
いつしか私は彼の言いなりとなり、立場は逆転し、自分自身の事がわからなくなった。私の自尊心や自己肯定感の欠如および低下は、彼の存在から始まったのである。それでも、自分を失ってでも、私は彼の事が好きなのであった。実に愚かな年上のババアである。

画像3

電話は無事繋がり、久々に彼の声がした。あれから3年近く絡んでいなかった事もあり、とにかく緊張した事を今でも憶えている。
グズグズとあれこれ言いつつも「一度、会って話をしたい」という肝心な部分を伝えると「今、出先だからまた後でかけ直す」彼はそう言った。

正直期待はしていなかった。彼の性格に鑑みて“でしょうね”という心境。彼から折り返しの電話が来る事はなかった。──数ヶ月後、私は電話番号を変えた。

もしも彼に会えていたなら、あの時はこうだったとかその時こう思っていただとか、自分の中で封印していた事柄を笑い話として伝えてみたかった。私は彼に心が痛む事を言われても、言い返す事もできずに人知れずただ泣いていただけだったから。
外面だけは大層良くて、邪魔な人間はとことん挑発するし、要らない人間はバッサリと切り捨てる── そんな彼は明らかに私とは真逆の人間なのであった。だからこそ惹かれてしまったのかもしれない。それはまるで磁石のよう、とでも言うと思ったかアホボケドジマヌケオタンコナス。

彼との再会は果たせなかったけれども、あの時に会えないで良かったと思ったのは、冒頭の会社を解雇された後の事である。私は体裁をもの凄く気にするタイプであるので、そんなの彼だけには隠したいに決まっている。

大人しい人と言われるが 言葉を留めてるだけなんだ
平和な人だと言われるが 心を留めてるだけなんだ  ──「勘違い心拍数」にゃんぞぬデシ

ある時、能天気な上司に代わっていきなり来日してきた外国人が私の直属の上司となった。
最初は普通の外国人という印象であったけれども、次第に本性が露になってきて会議中にぶちギレてペンを投げつけるなどするようになったので、“こりゃ完全にヤベー奴だ”と誰しもが気づくまではかなり早かった。その上司に盾を突く事など、誰もできなかった。

いつぞや出張で来日してきた外国人女性が、その上司を含めた場でプレゼンをしたところ、一旦休憩時間を挟んで戻ってきた彼女の目と鼻は真っ赤になっていた。本人は「家族にちょっと不幸があって…。」とのように涙の理由を話していたけれども、あの上司にどやされたのは明らかなのであった。それだというのに能天気な日本の男性陣は、彼女の取って付けた嘘を真に受けて「それは可哀想に」とぼそぼそ言っていたので、それってマジの反応なの?と私は一人ざわついていた。

そして早々に「お前、もう一年近く居るのにろくに売上出してないな」と私は上司に詰められた。
いやいやいや、だって前の上司が云々…、とはその時点では言い返せなかった。言い訳をゴリゴリにかましたいところではあったものの、私は英語が話せないし、あちらは日本語が話せないのである。こちらとしては売上以前にアンタとのコミュニケーションの方が問題だよと歯ぎしりをしたい気分なのであった。

明日から本気を出そう、英会話も特訓だ…、と思っていたのも束の間、夜分遅くにメールが来ていてその翌朝に私は2Fにある会議室に呼び出された。そこで手短に「この会社を去ってくれ」そう言われたのであった。
新卒で入社した会社を半年で辞め、やっとの思いで見つけた転職先をまたも一年満たずに辞める事となるとは努々思っていなかった。この若ハゲは何を言っているんだ、私の何が解るんだと人事さんの通訳を介して猛抗議をしたけれども、それも虚しく退職は避けられなかった。
4Fのオフィスにある自分の荷物を取りに行こうとすると、私の荷物は既に段ボールにまとめられていて会議室に運ばれてきた。4Fには行かせてももらえず、顧客案件の引き継ぎもできなければ、他の社員の皆さんへのお別れの挨拶をする事もできそうになかった。人事さんは何も言わずに下を向いていた。無言で荷物を仕分ける。涙がボロボロと零れた。

「I hate you.Go to Hell」

去り際、私はあの上司にそう言って会議室を飛び出した。英語だと案外言いたい事をはっきり言えるものなのだなと我ながら感心した。
もう来る事のないビル、もう用のない品川駅に中指を立てながら、その日私は帰宅した。

画像4

──“どうして自分ばかりがこんな目に遭うのだろう”、弁護士と労働審判に向けた打ち合わせをしている時に真顔でそう思った。
私は、ごく普通の、どこにでも居そうな社会人女性になりたかっただけなのである。こんなふうにそそくさと法律事務所に駆け込んで、東京地方裁判所に入廷しているような人間など“非凡”でしかなく、望んでいる方向とは真逆の方向へと人生は進んでいた。

あり得ない 明日を生きてみたい

今やこのあたりはお酒の席の良いネタになっているけれども、労働審判の内容は守秘義務が伴うので書き留めないにしても、そのやり取りはあまりにも惨すぎた。ある事ない事を言われ、シンプルに人間不信になった。

そもそも、あの若ハゲは人様の人生を転落させておいて心は痛まないのであろうか? 私と同じく理不尽に排除された人だけでなく、そんな若ハゲに嫌気がさした人も含め、短期間に10人近くの人々があの会社を離れていったそうである。
一体今どんな顔をして上司席に座っているのだろうと当時はよく想像したものだ。だけれども、あの類いの人間ほど他人の痛みが解らないどころか理解しようともせず、その上今後の残りの人生のどこかで躓く事もなくのうのうと生きていくのが相場である。
それは正直、あの彼も同じくであると思う。きっと彼はこれからあらゆる全てを手に入れるのだ。誰を蹴落とそうと、誰を傷つけようとも、一切動じないその非情さで。

“権力”を持つ人間の全てがどうこうと一括りにするつもりはないが、“いい人”ほど出世しないというのは、本当である。むしろ権力に潰された、そんな大人をこれまで数多く見てきた。
もしも、非情である人間ほど権力を得るような傾向が強いのであるのなら、私はそんな権力など要らない。そして人の苦しみや痛み、悲しみの想像力が欠如していて、人としての温かみが欠落しているような人間とは、今後はもう極力関わりたくはない。

画像5

ここまで自分語りをしてくると、私には永遠に“平凡”な生活などは訪れないような気がしてくるのであった。本当は品川で仕事に邁進して、ちょっと遅くなった帰り際に大井町駅の飲み屋に立ち寄ってしっぽり一人酒をしてみたいなキャリアウーマンになってみたかった。なるはず、だった。
しかしながら、そんな“なりたかった姿”にいつまでもすがりついていたって仕方がない。私には私なりの、波瀾万丈な人生があって今やそれが当たり前の自分の姿なのだ。

そして波瑠ちゃんのMVを観ていると、やはり彼の事を思い出す。いつしか一年生の子たちがライブでインディゴを演奏していてそのうちの一曲が『瞳に映らない』だった事があった。
正直、ライブの一番手で人の集まりも悪く、皆後方でその演奏を眺めている中、彼だけが一人前方のポールに前のめりにもたれ掛かってその一曲の演奏を静かに見つめていた。
あの時、彼は何を思っていたのであろうか。そんな事は解りっこないけれども、このMVを観るとどうしてもそのライブでのあの光景が蘇るのであった。

「旗の台」という街に住んでいた間、私は希望も絶望も味わった。普通であればトラウマになって街も路線も嫌いになりそうなものであるが、今でも大井町線は私が好きな路線の2位タイにつけている。またもし機会があれば、最近リニューアルしたという駅構内を歩いてみたいとさえ思っているのであった。
ただ、改札の外には出ないと思う。なぜならあそこには本当になーんにもないから…。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?