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ひょっとしたら、全ての問題を解決するんじゃないかって。

コミュニケーションを取ることは、ひょっとしたら、全ての問題を解決できるんじゃないかと、最近すごく思う。

子が何を考えているか分からない親。
自分の気持ちを親は全く分かってくれないと嘆く子。
兄はいつも弟を泣かせ、
すぐ泣く弟のせいで全部オレが怒られると不満いっぱいの兄。
やって欲しいことを全くやってくれない夫にイライラする妻。
なぜか妻がイライラしているからそっとしておこうとする夫。
彼女の連絡をずっと待っている彼氏。
たまには彼氏からの連絡が欲しい彼女。
ワタシは一緒にトランプがしたいけど、ひとりで絵を描くことに夢中な友だち。
先生はそのセーターの色はダメだの、制服のボタン開けすぎだのうるさいし。
生徒は何を言っても無視。
先輩は、後輩は、同僚は、隣人は、、。

こうやって挙げていくと、関係って果てしないな。
関係って、一体この世にいくつ存在するんだろう、なんて話がまた違う方向に行ってしまいそうなのだけど。

単純な問題が、我慢したり積み重なったりすることで複雑な問題になる。
相手と自分の認識の違い、ギャップが問題をややこしくする。
複雑に見えてた問題が、実は単純で、ちょっとコミュニケーションを取るだけで解決することもあるかもしれない。

悩みの全てに人が絡み、コミュニケーションを取ることを避けることができない。
だからコミュニケーションを上手うまく取れば、全ての問題を解決できるんじゃないかって。

簡単に言うよねー。
そんな簡単じゃないからたくさんの問題があるわけだけど。

生きづらさを抱えているひとたちは、実はとっても身近にいて、でもそのひとたちはとても見えにくい。気付かれにくい。

噂、容姿、イメージ、先入観、誤った情報、自分だけの一方的な希望や感情。
そういった色眼鏡を付けて、目の前のひとを見てしまうと、いつまでたっても分かり合えず、悪化する一方だ。

「困った子は困っている子」とあるように、例えば問題行動をする子どもが、なぜこんなことをするのか、本当は何に困っていて、何を求めているのかということに注目しなければ、その子はずっと「困った子」というレッテルを貼られたまま。

行動の奥にあるその子の気持ちに気付ける大人でありたいし、想像力を働かせてコミュニケーションをたくさん取ることを心がけたい。
じゃあ今後の活動でどういう風にコミュニケーションを取ろうか、
子どもの言動からうかがえる、普段の生活を何気なくくみ取るためにどういう風に接していこうか、
なんて考えながら、また考えすぎかななんて思いながら。
それにしても研修ではいつも自分にはない他の人の意見が聞けて、本当におもしろいなあ。

という研修で感じたことメモ。

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